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宮崎地方裁判所延岡支部 昭和51年(ワ)124号 判決

目次

当事者の表示

主文

事実

(当事者の求めた裁判)

第一節 請求の趣旨

第二節 請求の趣旨に対する答弁

(当事者の主張)

第一編 請求の原因

第一章当事者

第一節 原告ら

第二節 被告

第二章労働環境における鉱毒曝露

第一節 戦前の労働環境

一、操業の概要

二、鉱石運搬作業

三、製錬作業

四、焼滓の運搬・投棄作業

五、燃料・製品箱の運搬作業

第二節 戦後の労働環境

一、松尾鉱山の操業実態

1、戦後の作業工程の概要

2、採鉱

3、選鉱

4、製錬

二、鉱山従業員の鉱毒曝露

1、坑内夫の鉱毒曝露

2、選鉱夫の鉱毒曝露

3、製錬夫の鉱毒曝露

第三章居住環境における鉱毒曝露

第一節 原告等の居住環境

一、戦前の居住環境

二、戦後の居住環境

第二節 居住環境の鉱毒による汚染

一、亜砒酸の製造と砒素等の鉱毒の排出

二、鉱山社宅居住者の鉱毒曝露

1、鉱煙の排出・焼滓粉じんによる鉱毒曝露

2、戦前における坑排水の利用による経口汚染等

3、戦後における生活用水による汚染

4、燃料・農作物による鉱毒曝露

第三節 環境調査にみる鉱毒の汚染

一、ハウスダスト(家屋内の堆積粉じん)中の砒素含有量

1、宮崎県調査

2、岡山大学医学部衛生学教室の調査

3、ハウスダスト中の砒素含有量調査結果の意味

二、土壤中の砒素含有量

三、健康調査結果にみる地域汚染

1、岡山大学の調査結果

2、北九州自主検診医師団の調査結果

3、行政検診と宮崎県調査

第四章病像

第一節 本件鉱山における慢性砒素中毒症

一、慢性砒素中毒一般について

二、本件鉱山における慢性砒素中毒症

三、原告等の慢性砒素中毒症

第二節 肺疾患の特質

一、本件鉱山元従業員らのじん肺罹患

二、本件鉱山元従業員らのじん肺の特徴

1、何故ここでじん肺を論じるか

2、じん肺の一般的病理

3、本件鉱山元従業員らのじん肺の特徴

4、じん肺罹患の持つ意味

三、発癌と肺疾患の関連性

1、じん肺と肺癌の関連性

2、亡武夫の肺癌

第五章責任

第一節 債務不履行責任(その一)

一、雇傭契約

二、安全配慮義務

三、安全配慮義務の不履行

四、原告等の鉱毒曝露

第二節 債務不履行責任(その二)

第三節 不法行為責任(その一)

第四節 不法行為責任(その二)

一、鉱山設備の譲渡

二、坑道、焙焼炉の欠陥

1、坑道

2、焙焼炉

三、注意義務

四、注意義務の懈怠

第五節 鉱業法一〇九条一項及び四項の責任

一、鉱業権の帰属及び操業

二、原告等の居住歴

三、居住環境汚染と原因行為

1、坑水若しくは、廃水の放流

2、山石若しくは焼滓のたい積

3、鉱煙の排出

四、原告等の鉱毒曝露

五、結論

六、鉱業法一〇九条の責任の主体

第六節 責任原因の競合について

第六章損害

第一節 損害総論

一、被害実態

1、原告等の疾病の特質

2、被害の進行性と長期性

3、被害の拡がり

4、加害企業の違法性

5、被害発生の構造

二、損害評価論

1、包括的損害

2、包括一律請求について

第二節 損害各論

一、原告勝義

二、原告シヅ子

三、原告平川

四、原告戸高

五、原告新名

六、原告ツナ子

1、亡武夫の損害

2、原告ツナ子の本件損害賠償請求権

第三節 損害額の算定

第七章結語

第二編 請求の原因に対する認否

《省略》

第三編 請求の原因に対する反論

《省略》

第一章責任原因に関する反論

第一節 債務不履行の主張について

一、原告勝義、同シヅ子関係

二、原告平川関係

三、原告ツナ子関係

第二節 不法行為の主張について

一、原告勝義、同シヅ子関係

二、原告平川関係

三、原告新名、同戸高関係

四、原告ツナ子関係

第三節 鉱業法一〇九条の主張について

一、環境汚染の不存在

1、環境調査結果

2、本件鉱山周辺住民に健康被害がないこと

3、煙の飛散がなかつたこと

4、農作物被害がなかつたこと

5、樹木の被害がなかつたこと

6、飲料水が汚染されなかつたこと

7、焼滓運搬に伴う粉じんによる環境汚染がなかつたこと

二、原告等の鉱業法一〇九条不該当の事由

第二章原告等の症状に関する反論

第一節 専門委員会による健診内容及び健診結果(久保田報告)

一、久保田報告の権威性

二、久保田報告における原告等の特定

三、久保田報告による原告等の症状

第二節 自主検診医師団の医師ら作成の診断書等の信用性

第三節 原告らの主張にかかる症状に対する反論

一、原告勝義関係

二、原告シヅ子関係

三、原告平川関係

四、原告戸高関係

五、原告新名関係

六、亡武夫関係

第四節 じん肺症について

一、亡武夫関係

二、原告勝義、同シヅ子、同平川、同新名、同戸高関係

第三章損害に関する反論

第一節 被害の程度について

第二節 被害発生の構造について

第三節 包括一律請求について

第四編 抗弁《省略》

第一章和解

第一節 和解成立の経緯

一、和解に対する被告の基本的な考え方

二、和解交渉

第二節 和解の成立

第二章消滅時効

第一節 債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効

第二節 不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効

一、民法七二四条前段の短期消滅時効

二、民法七二四条後段の長期消滅時効

第三節 鉱業法に基づく損害賠償請求権の消滅時効

一、鉱業法一一五条一項前段の短期消滅時効

二、鉱業法一一五条後段の長期消滅時効

第四節 時効の援用

第三章一部弁済

第四章損害の填補

第五編 抗弁に対する認否《省略》

第六編 抗弁に対する反論《省略》

第一章和解に関する反論

第一節 本件見舞金契約が締結されるに至つた経過

第二節 本件見舞金契約の解釈

第二章消滅時効に関する反論

第一節 債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効について

一、はじめに

二、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点

三、結論

第二節 不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効について

一、原告等が慢性砒素中毒を認識するに至つた経過

二、民法七二四条前段の短期消滅時効の起算点

三、民法七二四条後段の長期消滅時効の起算点

第三節 鉱業法に基づく損害賠償請求権の消滅時効について

一、鉱業法一一五条一項前段の短期消滅時効の起算点

二、鉱業法一一五条一項後段の長期消滅時効の起算点

第三章損害填補に関する反論

第一節 はじめに

第二節 各種の保険給付

一、労災保険給付

二、厚生年金給付

第三節 労災特別支給金

第四節 労災特別援護措置

第七編 再抗弁《省略》

第一章錯誤

第二章公序良俗違反

第三章時効の中断

第一節 本訴提起による時効の中断

第二節 第一、第二準備書面による時効の中断

一、裁判上の請求としての時効の中断

二、裁判上の請求に準ずる事由としての時効の中断

第三節 催告による時効の中断

一、催告

二、催告と本訴請求の同一性

第八編 再抗弁に対する認否《省略》

第九編 再抗弁に対する反論《省略》

第一章錯誤に関する反論

第二章公序良俗違反に関する反論

(証拠)《省略》

理由

第一章 当事者

第一節原告ら

第二節被告

第二章 加害行為

第一節はじめに

第二節戦前戦後の亜砒酸製錬作業

一、はじめに

二、焙焼炉

三、製錬作業の実態

四、従業員の砒素曝露

第三節戦後の採鉱作業

一、採鉱作業の実態

二、従業員の粉じん曝露

第四節総括

第三章 因果関係(総論)

第一節砒素中毒症の基礎的知見

一、はじめに

二、砒素の代謝

三、砒素の毒作用

四、急性、亜急性中毒症状

五、経気道性の慢性砒素中毒性

六、経口性の慢性砒素中毒症

第二節砒素中毒症の特質

一、砒素の毒作用の普遍性

二、個体差

三、症状の広範性

四、発現形式

第三節岡山大意見書、検診医師団報告

一、岡山大意見書

二、検診医師団報告

三、岡山大意見書、検診医師団報告の評価

第四節久保田報告

一、久保田報告の調査結果

二、労災認定

三、久保田報告の評価

第五節総括

第六節じん肺の基礎的知見

第七節じん肺と肺癌の関係

第八節砒素の発癌作用

第四章 因果関係(各論)

第一節慢性砒素中毒症

一、はじめに

二、症状認定の基本

三、原告等の現症、自覚症状

四、症状の経過、発現形式

五、症状と砒素曝露との因果関係

第二節じん肺

一、亡武夫

二、亡武夫以外の原告等

第三節肺癌

一、亡武夫

二、亡武夫以外の原告等

第五章 責任

第一節はじめに

第二節予見可能性

一、砒素毒の予見可能性

二、じん肺の予見可能性

第三節製錬作業をめぐる故意、過失責任

一、故意責任

二、過失責任

第四節採鉱作業をめぐる故意、過失責任

一、故意責任

二、過失責任

第六章 抗弁について

第一節和解

一、前提事実

二、本件特別見舞金契約の解釈

第二節消滅時効

一、民法七二四条後段の長期消滅時効

二、民法七二四条前段の短期消滅時効

三、時効の中断

四、結論

第三節一部弁済

第四節損害の填補

一、当事者間に争いのない事実

二、労災法に基づく休業補償給付、障害補償給付、遺族補償年金、厚生年金法に基づく障害年金

三、労災法に基づく休業特別支給金、遺族特別支給金、援護措置要綱に基づく給付金

第七章 損害

第一節損害額の算定にあたり考慮すべき事情

一、原告等に共通の事情

二、個別事情

第二節賠償額の算定

一、損害額

二、給付金の控除

三、相続

四、弁護士費用

第八章 結語

原告

金子勝義

金子シヅ子

平川誠四郎

新名清一

戸高藤平

土田ツナ子

右原告ら訴訟代理人

佐々木正泰

永野周志

中村仁

西畠正

安田純子

被告

日本鉱業株式会社

右代表者

佐々木陽信

右訴訟代理人

長尾章

神原夏樹

主文

一、被告は、原告らに対し、それぞれ認容金額一覧表(表1)の認容金額欄記載の金員及びこれに対する昭和五七年六月二八日から支払済に至るまでの年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

四、この判決は第一項記載の認容金額につき各三分の二の限度において、仮に執行することができる。

事実

(当事者の求めた裁判)

第一節請求の趣旨

一、被告は、原告らに対し、それぞれ金五〇〇〇万円及びこれに対する昭和五一年九月一〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は、被告の負担とする。

三、仮執行宣言

第二節請求の趣旨に対する答弁

一、原告らの請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

三、仮執行免脱の宣言

(当事者の主張)

第一編 請求の原因

第一章  当事者

第一節原告ら

一、原告金子勝義(以下「原告勝義」という。)及びその妻である同金子シヅ子(以下「原告シヅ子」という。)は昭和九年から同一四年ころまで被告に雇傭され、原告平川誠四郎(以下「原告平川」という。)は昭和二三年四月から同二九年一二月までは被告に、その後同三三年までは訴外糸永章(以下「訴外糸永」という。)に、それぞれ雇傭され、原告新名清一(以下「原告新名」という。)は昭和二九年一二月から同三三年まで右訴外人に雇傭され、原告戸高藤平(以下「原告戸高」という。)は昭和三〇年二月から同三三年まで右訴外人に雇傭されていたものであり、訴外亡土田武夫(以下「亡武夫」という。)は昭和二八年一一月から同二九年一二月までは被告に、その後同三三年まで訴外糸永に、それぞれ雇傭され、同五〇年一一月四日肺癌で死亡したものであり、原告土田ツナ子(以下「原告ツナ子」という。)はその妻である。

原告ツナ子を除く原告五名及び亡武夫(以下「原告等」という。)は、右各期間、宮崎県児湯郡木城村(現木城町)大字中之又字塊所の杖木山中腹に所在した旧松尾鉱山(以下「本件鉱山」という。)に勤務し、原告勝義、同平川、同新名、同戸高は亜砒酸の製錬作業に、同シヅ子は燃料、製品箱及び製品(亜砒酸)の運搬作業に、亡武夫は硫砒鉄鉱等の砒素鉱石(砒鉱)の採掘作業にそれぞれ従事した。

二、なお、被告は、当初昭和五二年一月二九日の第一回口頭弁論期日において、原告勝義との雇傭関係について右請求原因事実を認めながら、同年一〇月五日の第三回口頭弁論期日において、一部これを否認するに至つたものであるが、原告は右自白の撤回に異議がある。

第二節被告

被告は鉱業を主たる目的とする会社であり、昭和七年から同四六年六月九日放棄によりその鉱業権が消滅するに至るまで、本件鉱山の鉱業権(宮崎県採掘登録第九八号)を有し、昭和九年から同一四年までの間及び同二一年一〇月から同二九年一二月までの間、同鉱山において砒鉱の採掘、製錬、出荷等を行い、同二九年一二月被告の元従業員である訴外糸永に対し、右鉱業権について租鉱権(宮崎県租鉱権登録第二号)を設定したうえ、亜砒酸焙焼炉及び坑道を含む同鉱山設備一切を譲り渡し、その後同三三年まで同訴外人が右操業を続行したものである。

第二章  労働環境における鉱毒曝露

第一節戦前の労働環境

原告らのうち、戦前本件鉱山で働いたのは、原告勝義、同シヅ子の二名であり、前者は鉱石運搬、製錬、焼滓の運搬投棄等の作業に、後者は燃料、製品箱、製品の運搬作業にそれぞれ従事していた。そこで本節では、右原告両名勤務当時(昭和九年〜一四年)の右各作業内容と労働環境を中心に述べることとする。

一、操業の概要

採掘された鉱石は、まず各坑口前の選鉱場で山石と鉱石に選別され、山石はその場で山の斜面に捨てられ、鉱石のみが人力により製錬場へ運搬され、こぶし大に砕かれた後、粗製炉、精製炉の二段階の工程で焙焼、製錬された。

製錬後の焼殼つまり焼滓は、粗製炉の下の山の斜面に捨てられ、小山状(鉱山従業員達は選鉱後投棄された山石の堆積したものだけでなく、この焼滓の堆積したものも「ズリ」と呼んでいた。)になっていたが、これは更に木馬(きんま)でやえん場(ケーブルの基点)に運ばれ、そこからケーブルで板谷川対岸の塊所部落の焼滓置場に搬送され、そこから佐賀関精錬所へ運搬されて、金銀等採取の原料として用いられていた。一方精製された亜砒酸は、精製炉の傍で木製の製品箱につめられ、製錬所から川岸までの山道は木馬で、そこから対岸塊所の製品倉庫までは手でかかえるなどの方法で運搬され、そこからトラックで出荷されていた。

二、鉱石運搬作業

選鉱された鉱石の運搬は主として製錬夫の仕事で、製錬作業中手のあいた時間に行われた。運搬の距離は坑口によつて異なるが、最も遠い大和一坑の場合は四〇〇メートル前後、朝日一坑の場合百数十メートル、最も近い朝日上坑口の場合数十メートルであつた。そして製錬場の焙焼炉から常時排出される鉱煙は、この山道にも流れてき、運搬作業を一層難渋にした。鉱煙を直接浴びた場合には、胸がつまり息もできなくなつて苦しくて坐りこむほどであつた。

運ばれた鉱石は粗製炉わきで、ハンマー等で砕かれ粗製炉に投入された。

三、製錬作業

1、本件鉱山の製錬場で稼動していた焙焼炉は時期によつて数が異なり、昭和九年以前は粗製炉三基、精製炉一基で、それ以後は、粗製炉九基、精製炉三基となつた。原告勝義は右増設後に就労したもので、その当時の製錬夫の総数は一七、八名であつた。また当時の焙焼炉は石を積み、すき間を粘土でふさぐという貧弱な造りのものであつた。

2、粗製の工程は、焙焼室に燃料の薪と鉱石を入れ点火すると、その薪と鉱石に含まれた硫黄の燃焼により、鉱石中の砒素化合物(硫砒鉄鉱等)が酸化して亜砒酸が発生し、高温のため気化して、煙とともに集砒室(チャンバー)に導かれ、今度は自然の温度低下により固体(粉末状)となつて沈積するので、これをかき出すというものである。こうして得られた粗砒は木箱につめられ、精製炉へ運ばれて、精製された。精製の原理は粗製と同じく加熱による亜砒酸の昇華、沈積であり、炉の構造も粗製炉と大差なかつた。燃料に木炭を使用する点、焙焼時間が約一昼夜(粗製炉の場合、六ないし一〇日間)である点が粗製炉と異つていた。

3、焙焼した亜砒酸のうち集砒室に沈積しなかつたものは煙突から大気中に排出されることになる。又粗製炉において硫黄の燃焼(酸化)により発生した亜硫酸ガスは、常温で気体であるから、全部大気中に排出されたことは言うまでもない。その結果これらの有毒物質を大量に含む鉱煙が製錬場を中心に鉱山付近一帯に広がり、鉱山の従業員を汚染した。

4、しかし、製錬夫が最も鉱毒に被曝したのは、せいぜい白粉を顔に塗つてタオルでおおう程度の無意味な防護を施すだけで、集砒室内にはいつて行う、粗砒・精砒のかき出し作業、壁落し、煙道ほがしであつた(これらの各作業の具体的内容は後述する戦後のそれと同様である。)これらの作業は、亜砒酸の粉末、鉱煙を直接身体に浴びるという苛酷なものであつたが、有効な防護措置は全く講じられなかつた。

5、粗製炉からかき出された粗砒は、箱につめて精製炉まで運び、焙焼室わきの枠にためていたが、スコップを用いて粗砒を出したり入れたりしていたため、粗砒が舞い上つたり、地面に散乱したりしていた。又精製炉からかき出された精砒(製品)は、一たん木枠にためられた後、ふるいにかけて粒子の大きさをそろえたうえで、木製の製品箱に詰められ、梱包されたが、この一連の作業中精砒が散舞し、製錬夫が全身にこれを浴び吸引したことは言うまでもない。この粗砒・精砒の箱詰作業は、前記焙焼炉からのかき出し作業に劣らず、製錬夫を亜砒酸に曝露させたのであるが、製錬夫だけでなく、製品箱を運搬するため、精砒の箱詰作業の現場まで来る運搬夫(原告シヅ子がそうである)までもが全身に亜砒酸粉末を浴びたのである。

四、焼滓の運搬・投棄作業

1、焙焼炉の焼殼(焼滓)は、焙焼炉下の山の斜面に投棄されたが、粉じん防止のための散水装置等は全く設けられていなかったため、投棄するたびに粉じんが舞い上り、風で付近に散乱した。

又、右焼滓は更に木馬によつてやえん場に運ばれていたが、同所でも右焼滓捨場同様亜砒酸を含む焼滓の粉じんが投棄の度に舞い上つていた。

2、やえん場に運ばれた焼滓は更に同所からケーブルにぶら下げられた木箱につめて、対岸の塊所部落に搬送されていた。これは焼滓の自重で木箱が対岸まで降りていくというもので、焼滓置場の上まで降りると自動的に底が開き、中の焼滓が落下するようになつていたが、その際地面に落ちた焼滓は粉じんをまき上げていた。それだけでなく焼滓置場を仕切るために設けられた木枠を越えて、焼滓の塊りが付近に飛び散つた。

そして焼滓置場からトラックに積む際も、焼滓が付近に撤き散らされたのである。

五、燃料製品箱の運搬作業

1、精製炉の焙焼用燃料である木炭及び製品を詰める木箱は、塊所から製錬場まで人力によつて運搬されていた。これらの一部は製錬夫が朝製錬場へ出勤する折に運んでいたが、運搬専門の従業員もいた。原告シヅ子がこれである。又、製錬場で製品を木箱に詰めたものを対岸の塊所まで運搬する作業については、製錬夫が勤務終了後下山時に行うほか、右原告金子シヅ子などの運搬夫が専業として従事していた。

2、右各運搬作業は、製錬場から川岸まで細くて険しい山道を上り下りして行う重労働であつたが、焙焼炉から排出される鉱煙は、この山道をも汚染し、先に鉱石運搬で述べたと同様、運搬夫を苦しめた。製錬場付近で被曝が著しかつたことは言うまでもない。

3、又、箱詰の製品の運搬に際しては、運搬夫は、まず第一に箱詰作業の行われている精製炉わきのところで散舞する亜砒酸に曝され、次いで亜砒酸の粉末の付着した箱をかかえて木馬に乗せるため、この亜砒酸が手・腕・衣服に付着し、更に川岸から対岸の倉庫まで製品箱をかかえて運ぶため、右同様に亜砒酸が身体に付着したのであつた。

六、まとめ

以上述べたところから明らかなように、本件鉱山における労働環境の特徴は、各作業それ自体が、労働者が亜砒酸・鉱煙に被曝せざるを得ないようなものであつたばかりでなく、各作業を行うべき場所が右毒物に汚染されていたということである。つまり、作業それ自体の安全管理も、作業場の安全管理も全く実施されず、労働者の健康を犠牲にして、亜砒酸の製造が行われたのであつた。

第二節戦後の労働環境

一、操業実態

1、戦後の作業工程の概要

被告は、本件鉱山において、昭和二一年一〇月から鉱石の採掘・製錬等の亜砒酸製造を再開し、同二九年一二月まで操業を行つた。その後、被告は昭和二九年一二月二一日訴外糸永に対し本件鉱山の租鉱権を設定して、同人が右同日から鉱山の設備一切を引き継ぎ、昭和三三年五月閉山に至るまで亜砒酸製造を継続した。被告の操業期間中、鉱山は日本鉱業株式会社松尾鉱業所の名称で稼働し、右糸永が操業していた期間は松尾鉱業所の名称を用いていたが、これらの期間を通じて、操業の実態は殆んど変わることがなかつた。また、右糸永が被告から操業を引き継いだ後も、鉱山責任者は、被告操業時に既に鉱業所の所長であつた品川真止が「所長」と称して統括し、製造された亜砒酸の製品も被告の製品として表示されていた。

戦後の亜砒酸製造の作業工程は次のような順序で行われていた。

採鉱 坑道を掘削し鉱石を採掘する作業

鉱石運搬 採掘された鉱石をケーブル・トロッコで選鉱場まで運搬する作業

選鉱 水で砒素成分を含む鉱石を選り分ける作業

製錬 鉱石を焙焼炉で焙焼して粗砒を取り出し(粗製)更に粗砒を焙焼して亜砒酸の製品を製造して(精製)、箱詰し出荷する作業

以下にこの四つの工程を順次略述する。

2、採鉱

(一)、鉱脈及び採鉱設備

本件鉱山の鉱脈は、朝日鉱脈、大和鉱脈の二条でありこの鉱脈に沿つて硫砒鉄鉱を採掘する坑道が掘られていた。坑道の入口は、杖木山の中腹、山の斜面沿いに、朝日上坑口、朝日一坑口、朝日二坑口、大切坑口、大和一坑口、大和二坑口、大和三坑口が設けられ、昭和二八年から三三年の閉山までの間は、このうち、朝日一坑口、朝日二坑口、大切坑口、大和一坑口、大和三坑口の少なくとも五つの坑口が使用された。

大和三坑口から朝日一坑口を通つて製錬場の選鉱場までのトロッコが敷設され、各坑口に搬出された鉱石はトロッコ、ケーブルによつて選鉱場まで運搬された。

坑内では水平坑道(運搬坑道)、立坑(「掘り上がり」と呼んだ)が網の目のように掘られており、上の方の切羽で採掘された鉱石は立坑から下方の水平坑道に落とされ坑口までトロッコで搬出された。

朝日一坑口から製錬場方向へ約五〇メートルの位置に採鉱夫らの昼食に用いる休憩所が、また、朝日一坑口の横には採掘に用いるノミ(チクサ棒)の焼き入れをする鍛治屋場が設けられていた。

(二)、坑内夫の勤務形態

坑内で働く従業員は掘削作業をする採鉱夫(昭和二八年から同三三年までの間は約一四、五名)と鉱石を選鉱場まで運ぶ運搬夫(同約四、五名)に分けられ、日曜日以外の毎日午前八時から午後五時頃までが勤務時間で、間に午前一一時すぎから午後一時までの昼休みがあつた。

採鉱夫は各自一か所の切羽を受け持ち、切羽の掘削の進度に応じて出来高制の賃金を支給された。

採鉱夫、運搬夫は、出退勤時には製錬所の焙焼炉の横を通って通勤していた。

(三)、鉱石の採掘作業

(1)、坑内の各切羽における鉱石の採掘作業は昭和三三年の閉山まで、次のとおりであつた。

①水平坑道の掘削 坑口から水平に掘り進み、後に水平坑道にトロッコを敷設して運搬坑道とした。昭和二八年頃には水平坑道は既に掘削し終つており「掘り上がり」、「切り込み」、「段かぎ」が行われた。

②「掘り上がり」 運搬坑道から鉱脈に沿つて垂直に掘り上がり、立坑としてゆく作業で足場を組みながら行われた。上の水平坑道に貫通した立坑は、鉱石を下の坑道に落とす運搬口と通気孔を兼ねた。

③「切り込み」 立坑の途中から水平に鉱石を掘り進む作業で、掘削後の坑道も「切り込み」と呼んだ。

④「段かぎ」 「切り込み」と立坑の境から順次上方に向つて鉱石を掘り落とした。

なお、坑道に支柱を入れたり、「掘り上がり」・「段かぎ」の際足場を組む「枠入れ」作業も採鉱夫が行つた。

(2)、採鉱作業は具体的には手掘りとダイナマイトによる爆破作業(「ハッパ」ないしは「マイト」といつた)であつた。

手掘り作業は、ダイナマイトを詰める穴(「マイト穴」)をノミとセット(大型の金槌)で穿つ作業で、「掘り上がり」「段かぎ」の時は切羽の天井部分に上方に向けて穿ち、低い所は「水ぐり」と呼んで、水を注入して鉱石屑を流しながら行つた。

「ハッパ」は、通常昼休み前と夕方終業時の二回、坑内夫が坑外に出る前に一斉に各切羽にダイナマイトを仕かける作業であつた。この昼休み前の「ハッパ」を「昼間ハッパ」、終業時の「ハッパ」を「あがりハッパ」と呼んでいた。なお、落盤の危険のある切羽や上の水平坑道に貫通する直前の「掘り上がり」では昼休み前の「ハッパ」は行わず、「あがりハッパ」のみであつたが、採鉱夫は出来高制の賃金であつたため、昼休みの「ハッパ」を行なわなかつたのは、五日ないし一〇日に一回位であつた。

掘り落とされた鉱石は運搬夫がカナテミとホッパ(鍬)で水平坑道にかき落とし、トロッコで坑口から選鉱場に運んだ。

3、選鉱

選鉱作業は、各坑口から運ばれた鉱石をこぶし大に砕き、水をかけて山石と砒素鉱石に選り分ける作業で、焙焼炉から一五ないし二〇メートル離れた選鉱場で行われた。選鉱作業に従事したのは約一〇名の選鉱夫で、殆んどが婦人であつた。鉱石を砕く時に生じる粉鉱はセメントで固めて「製団」という塊にし、鉱石とともに焙焼した。

4、製錬

(一)、製錬設備と製錬の工程

(1)、戦後本件鉱山で用いられた鉱石の焙焼炉は、操業再開から昭和二三年四月までは戦前と同じ旧炉を用いており、昭和二三年四月から昭和二四年九月までは旧炉三基、品川式新炉(一号炉)一基合計四基で粗製のみを行い、昭和二四年九月以降閉山に至るまでは品川式新炉二基(一、二号炉)を用いて粗製及び精製を行つた。

粗製は、選鉱された砒鉱石、製団を薪(旧炉)、コークス(新炉)と一緒に焙焼し、鉱石中の砒素を昇華させて、煙とともに集砒室(チャンバー)に導き、ここで自然冷却させて沈積した粗砒(不純物が混入した亜砒酸)を回収する工程、精製は、精砒をコークスと一緒に焙焼し、集砒室内に堆積した精砒(亜砒酸の製品)を回収する工程である。焙焼に用いる焙焼炉は旧炉の場合、石を組んで作つた炉とこれに接続する一ないし四号室の集砒室から成り、新炉の場合、鉄製の炉とこれに接続する一ないし三号室の集砒室から成つていた。旧炉の粗製(昭和二四年九月まで)は、一度鉱石を入れると六ないし一〇日間焙焼し、鉱石が燃え尽きてから集砒室内の粗砒をかき出し、缶に詰めて出荷した。新炉は昼夜連続焙焼が可能な設備で、粗製炉の場合は精製炉で焙焼する粗砒がなくなると集砒室からかき出し、精製炉の場合は毎朝製品をかき出し、箱詰めにしてケーブルで対岸に送つていた。

一、二号炉ができてからは、一号炉の横には製品を電動フルイにかけ箱詰すると荷造場と、製錬夫の昼食に用いる休憩場、製錬夫の夜勤者が退勤時に入浴した風呂が設置された。

二号炉の炉口の前には棧橋が作られ、その下に焼滓の堆積場があつた。一号炉から約五〇メートルの位置に「やえん場」と呼ぶケーブルの起点が設けられ、対岸の塊所部落のはずれにあるケーブルの終点まで箱詰された製品を出荷していた。

(2)、この製錬の過程で、砒鉱石に含有されていた16.1パーセントの砒素(AS)は亜砒酸(AS2O3)純度約97.3パーセントの粗砒となり、更に亜砒酸純度99.5パーセントの製品(精砒)となる一方で、鉱石中の硫黄は硫黄酸化物(亜硫酸ガス)となつて鉱煙とともに排出され、鉱石中に含まれていた硅酸、酸化アルミニウム、金、銀、銅、鉄などはいずれも焼滓となつて堆積場に投棄され野積みされた。焼滓中にはこれらの金属のほか、砒素ないし亜砒酸が高濃度に残留していた。

昭和二三年頃出荷された粗砒は月に三ないし四トンであつたが、その後出荷された精砒は月に四、五トンで、多いときには月産三〇トンに達した。

(二)、製錬夫の勤務形態

操業再開から昭和二四年九月まで粗製のみ行われていた当時の製錬夫は七、八名で、勤務時間は午前八時から午後四時までであつた。

昭和二四年九月に二号炉が設置されてからは昼夜連続焙焼を行うようになり、製錬夫が増員されて昭和二七、八年には一四、五名になつた。勤務時間も一日三交替の勤務で、午前八時、午後四時、午後一二時の三回交替した。

昭和二七年頃には、製錬夫が粗製班と、三名の精製班に分けられ、粗製班は前記の三交替で粗製作業を担当し、精製班は当初午前八時から午後四時までの昼間の勤務のみであつたが、その後午後四時から午後一二時までの勤務との一日二交替、昭和二九年から閉山までは午前八時から翌日午前八時までの二四時間を一勤務とする変則三交替の勤務体制がとられ、精製作業を担当した。粗製班の者も、朝の製品かき出し作業を応援した。

(三)、製錬作業

(1)、旧炉の粗製作業

戦後用いられた旧炉の粗製作業は戦前のそれと同じである。

(2)、新炉の焙焼作業

新炉における粗製・精製作業は昭和三三年まで一貫して変らず、昼夜連続焙焼を行つていたため、鉱石・粗砒の焙焼量は旧炉よりもはるかに多くなつた。焙焼作業は次のような手順であつた。

① 鉱石等の投入 一号炉(精製炉)では粗砒と良質の鉱石を、二号炉(粗製炉)では鉱石を、燃料のコークスと共に炉の上にある投入口から随時(三〇分に一回程度)投入した。鉱石中の硫黄成分はいつたん点火すると自燃していた。

② 粗砒・製品のかき出し 集砒室内に堆積した粗砒・製品を粗製班・精製班の区別なく製錬夫が交替で集砒室内に入ってかき出し棒とスコップを用いてかき出し口までかき出し、手押し車に積んで運んだ。粗砒は一号炉(精製炉)の横に積み、製品は荷造場に運んで箱詰した。粗砒のかき出しは月に二、三回程度、精製炉に使う粗砒がなくなるとかき出したもので、一回のかき出し作業は午前八時から午前中いつぱいかかり、一回に一〇トン位はかき出された。製品のかき出しは毎朝始業時から三、四〇分程度一号室の集砒室で行い、多い時で一日に一トン程度かき出された。精製炉の二、三号室の集砒室から月一回程度かき出したものは粗砒と一緒に焙焼した。

かき出し作業は一号室の集砒室の天井にあつた鉄板を上げて煙を外に逃がしながら行つた。

③ 焼滓の投棄 二号炉(粗製炉)の炉の下方には焼滓のかき出し口があり、ここから粗製班の製錬夫が随時焼滓をかき出して、手押し車に乗せ棧橋の上から堆積場に投棄した。

④ 製品の箱詰 一号炉の一号集砒室からかき出された製品を荷造場で電動フルイにかけ、棒で突いて箱(五〇キログラム入り)に詰め、やえん場からケーブルで対岸に送つた。

⑤ 「壁落とし」、「煙道ほがし」 「壁落とし」は集砒室の壁に付いた粗砒・製品をホウキ、ノミ、ハンマー、バール等を用いて落とす作業で一号炉では月に一回位、二号炉では二ケ月に一回位の割合で一号集砒室の天井の鉄板を上げて煙を逃がしながら行つた。「煙道ほがし」は、集砒室の間をつなぐ煙道に粗砒・製品が詰まつて煙突から煙が出なくなると行われ、炉の火は止めないまま、天井から煙を逃がすこともしなかつた。

二、鉱山従業員の鉱毒曝露

1、坑内夫の鉱毒曝露

(一)、坑内作業における曝露

採鉱夫は坑内の切羽で手掘り、「ハッパ」による掘削作業を行つていたが、坑内は自然通気以外に何の排気設備もなく、水平坑道、立坑、「切り込み」が入り組んでいて自然通気も効果が少なかつたために掘削作業に際して生じる砒鉱石、山石の粉じんの吸人、皮膚への付着は防げなかつた。採鉱夫は防じんマスクどころかガーゼマスクも支給されず、顔を覆うものもなく、また手袋もしないまま素手で作業をした。このため、「水ぐり」をしない時や、上方へ向けて手掘りをする時は鉱石の粉が顔に落ちかかり、鼻や顔に付着した。「掘り上がり」や「段かぎ」の際閉塞された切羽で「昼間ハッパ」をかけた後切羽に戻ると粉じんが立ちこめていて、一、二時間は抜けず、「しば(青い木の枝)を持つて入り、粉じんを払わねばならないほどであつた。作業が終つて坑外に出ると顔や鼻に鉱石じんがいつぱいについていた。ガーゼマスクを自分で買つて着用していた採鉱夫もいたが、鼻と口のあたりはまつ黒に鉱石じんがついていた。

運搬夫もまた、鉱石を運ぶ際に舞い立つ粉じんを吸引し、鉱石じんが皮膚に付着した。

(二)、坑外における鉱毒曝露

坑内夫は昼休み坑外に出ると、選鉱場から五〇メートル位離れた休憩所で昼食を取つていたが、ここにも鉱煙と焼滓の粉じんが及んでおり、これらを吸入し、皮膚に曝露した。

また、朝日一坑口横の鍛治屋場で焼き入れていたノミ(チクサ棒)には鉱石の屑が付着していて、焼き入れの際、鉱煙と同じ刺激臭のある煙が立ちのぼつた。休憩所で焼き入れを待つ採鉱夫はこの煙も吸引した。

なお、通勤時における鉱毒曝露は居住環境における鉱毒曝露の章において述べることにする。

2、選鉱夫の鉱毒曝露

選鉱場は、焙焼炉に近接しており、炉から出る鉱煙は選鉱場に漂い、曇りの日や雨の日はあたりに立ちこめていた。選鉱場の上にあつた食事場のテーブルには白い粉じんがたまつていた。選鉱作業中の選鉱夫らは鉱煙と焼滓投棄の際生じる粉じんを吸入し、皮膚に曝露した。

3、製錬夫の鉱毒曝露

(一)、製錬夫の作業のうち、粗砒・製品のかき出し作業、「壁落とし」・「煙道ほがし」はいずれも鉱煙が立ちこめ、亜砒酸の粉が舞う集砒室内で行われた。作業の際は熱と鉱煙・粉じんによる呼吸困難のため、二分と室内にいられないほどであつた。

また、鉱石・粗砒の投入の際、焼滓の投棄の際も粉じんが舞い立つた。投棄される焼滓は火が消えずにくすぶつているものもあり、板谷川の川べりにまでころがり落ちていた。粗砒・製品のかき出し作業の時あけた一号集砒室の天井からは昇華した砒素を含む白い鉱煙があたり一帯に広がつた。

荷造場でも、電動フルイにかけられた亜砒酸の粉が舞い、日光に光つて見えた。

製錬夫の食事は荷造場の横の休憩室で取り、夜勤明けの製錬夫はその横の風呂に入浴していたが、ここにも粉じんと鉱煙は侵入していた。終業時に製錬夫は顔と手足を洗つて帰宅したが、洗い水は、溜め水で鉱煙と粉じんを浴びたものであつた。

(二)、製錬夫の労働環境はこのように鉱煙と粉じんを全身に浴びる、いわば鉱毒漬けと言つてよいものであつたが、他方、製錬場には何ら防じん設備も集じん設備も施されていなかつた。

そして、製錬夫には防じんマスクやガーゼマスク、手袋さえも支給されず、かき出し作業の時ですら、製錬夫は頭から作業衣を被るか、手拭いで頬被りをし、タオルでマスクをして素手で作業をしていた。かき出し作業の時はタオルマスクに亜砒酸の粉がつまり息苦しくなる程で、集砒室の外に出てマスクをとると、鼻と口の当つていたところに丸く亜砒酸の粉が付着していた。

被告からはもちろん製錬の監督者からも、製錬夫に対して亜砒酸が猛毒であるという説明もなく、鉱煙・粉じんを吸入しないように注意されることもなかつた。鉱業所側で準備したのは白いドロンとした塗布剤だけであり、これもかき出し作業の時に塗布するように指導されたこともなく、昭和二三年頃までしか用いていなかつた。

このような労働環境で製錬夫らが亜砒酸の粉じんや、鉱煙中の砒素等の有毒物、焼滓の粉じんを吸入し、皮膚に曝露し、経口的に摂取したことは言うまでもない。

なお、製錬夫らの通勤路における鉱毒曝露については後述する。

第三章  居住環境における鉱毒曝露

第一節原告等の居住環境

一、戦前の居住環境

本件鉱山の製錬設備は塊所部落から水平距離約六〇〇メートル、標高差約二〇〇メートル上方の位置に設けられていたが、昭和一四年に一時休山するまで鉱山の従業員の多くは、塊所部落との中間にあたる製錬設備の北西、水平距離約四〇〇メートル標高差約二〇〇メートル下方の杖木山裾にある四棟の四軒長屋の鉱山社宅に居住していた。

原告勝義、同シヅ子は、昭和九年から一一年までは塊所部落の鉱山事務所の近くに間借りして居住し、同一一年から一四年までは右鉱山社宅に居住した。そして、勝義、シヅ子をはじめ、鉱山従業員は、塊所部落もしくは鉱山社宅から製錬場まで毎日通勤していたが、始業時に木炭を運搬し、終業時に製品を運び下ろす時は、塊所部落にあつた鉱山事務所横の倉庫と製錬場を徒歩で往復していた。

二、戦後の居住環境

戦後、鉱山の操業が再開されてからは、鉱山社宅が塊所部落内に建てられ、原告平川、同戸高、同新名、亡武夫ら鉱山従業員はここに居住していた。製錬夫は板谷川を渡つて、山神社前、火薬庫番前を通り製錬場まで通勤し、亡武夫ら採鉱夫は更に製錬場の焙焼炉の横を通つて各坑口に通勤していた。

第二節居住環境の鉱毒による汚染

一、亜砒酸の製造と砒素等の鉱毒の排出

前述のとおり、本件鉱山における操業は、戦前、戦後を通じて、まず鉱脈から砒素を含む鉱石を採掘し、これを選鉱して、焙焼炉で焙焼し、亜砒酸を製錬するというものであつたが、採掘された粗鉱の金属成分は硅酸、酸化アルミニウム、カルシウム、マグネシウム、金、銀、銅のほか砒素(粗鉱含有量8.3パーセント、手選鉱後の精鉱含有量16.1パーセント)、鉄、硫黄が多量に含まれていたから、亜砒酸製錬の工程は、その反面として、砒素以外の前記金属成分を分離して排出する工程である。このような亜砒酸製錬の過程において、砒素を中心とした重金属、硫黄酸化物等人体の健康を破壊する有毒物質の排出・漏出は避けられない。

第一に、砒鉱石を採掘する坑内には、自然状態より広く砒鉱石が露出しているため、坑内からは高濃度の砒素を含有する坑排水が排出される。本件鉱山の坑口からも高濃度の砒素を含有する坑排水が排出され、板谷川に流れ込んだ。

第二に、砒鉱石が選鉱された後に残つた「ずり」(山石)にも、砒素成分が含まれており、他の金属成分も含まれている。この「ずり」は鉱山の坑口付近に「ずり山」として野積み放置されていた。

第三に、焼滓中にも、砒鉱石から昇華分離されないまま残留し、焙焼中に一部は亜砒酸となつた砒素成分が含まれている。この焼滓は、焼滓堆積場に野積みされることになる。本件鉱山で戦前戦後を通じて、約二〇パーセントの粗砒を取り出した残りの砒鉱石(精鉱)は焼滓として粗製炉の焚き口からかき出され、堆積場に投げ捨てられた。焼滓中には三八五〇〇PPmにのぼる高濃度の砒素が含有されていた。

第四に、砒鉱石の焙焼により昇華分離した砒素も、集砒室内で完全に回収されない場合には、鉱煙として排出され、亜砒酸は浮遊粉じん中に残存して、有毒ガス(亜硫酸ガス)と共に付近一帯に漂うことになる。亜砒酸は、0.1μから1μの微細な粒子(フューム)となつて鉱煙中に存在するものであり、気流に乗つて容易に遠方まで飛散するものである。

本件鉱山においてはこれらの排出・漏出する砒素等の有毒物質(鉱毒)が原告らの居住環境を汚染した過程としては、

第一に排出された鉱煙が製錬場からの下ろし風に乗りあるいは無風状態のとき、気流に乗つて、約六〇〇メートル離れた塊所部落まで及んで鉱煙中の亜砒酸粉じん・フュームが大気を汚染し、土壤まで汚染したうえ、堆積粉じんに含有された有毒物質(砒素等)が鉱山閉山後も浮遊粉じん中に混入したこと。

第二に、製錬所における焼滓投棄作業に際して発生した焼滓の粉じんが風向きによつて塊所部落にまで及び、鉱煙同様浮遊粉じんとして大気を汚染し、更に土壤堆積粉じん中に含有されたこと。

が重要であり、その他にも、

第三に、戦前、鉱山社宅に坑排水が飲用等の生活用水として利用され、経口的に社宅住民に摂取されたこと。

第四に、戦後の一時期、製錬所から約一六〇メートル離れた火薬庫番屋横の水槽に貯められ、鉱煙と焼滓の粉じんを浴びた水が、パイプで社宅まで導水され、社宅住民の生活用水として経口摂取されたこと。

第五に、鉱煙、焼滓の粉じん等を浴びた鉱山周辺の樹木を折り取つて燃料としていた戦前戦後の社宅居住者は、これを燃やす際に生じる砒素等の有毒物質を吸入し、同じく鉱山付近で汚染された土壤に生育した農作物を摂取していたこと

が挙げられる。

そこでこのような汚染の過程を住民の曝露の過程として詳述することにする。

二、鉱山社宅居住者の鉱毒曝露

1、鉱煙の排出、焼滓粉じんによる鉱毒曝露

(一)、戦前

(1)、戦前、本件鉱山の操業中、焙焼炉としては粗製炉九基、精製炉三基が使われており、焙焼中は、四号室のチャンバーの上に設けられた煙突から鉱煙が常時排出されていた。煙はもやがかかつたようにあたり一面に滞留した。鉱煙は石積みの焙焼室の隙間からももくもくと漏れ出ていた。鉱煙の及ぶ範囲は樹木の生育状況が悪く、製錬場の下方は約二〇〇メートル離れた山神社の辺りまで植物が生育していなかつた。

鉱煙と、粗製炉の下に投棄された焼滓の粉じんが鉱山下にある社宅にまで及んでいたことは容易に推認できる。

鉱山従業員は通勤途上において鉱煙を吸引し、居住していた社宅においても鉱煙に曝された。

(2)、戦前、焼滓は粗製炉の下に投棄され、野積みされた後、木馬で「やえん場」に運ばれ、ここから塊所部落の鉱山事務所に設置されたケーブルの終点に送られて、トラックで搬出されていた。このケーブルの塊所部落側の終点には板囲いで覆いのない焼滓だめが設置されており地上約五メートルの高さのケーブルのゴンドラから落とされる焼滓が地上約二メートルの板囲いの底にぶつかつて砕け、粉じんが舞い上がつて飛散することがしばしばあつた。トラックが板囲いから焼滓を荷積みする時も同様に粉じんが飛散した。塊所部落の鉱山事務所周辺は焼滓の粉じんによつても汚染されたのである。

(二)、戦後

(1)、昭和二一年一〇月の操業再開から二四年までは製錬場において旧炉が使用されており、その数は戦前の最盛期に比べて少なかつたものの、各炉毎の排出は戦前と同様であつた。

昭和二三、四年に品川式焙焼炉(新炉)による粗製精製が開始されると、焙焼は昼夜連続して間断なく続けられ、排出される鉱煙の量は増加した。新炉における作業のうち毎朝八時の一番方始業時における精製炉のかき出し作業と、月に二、三回程度行われる粗製炉のかき出し作業の際は、一号室の集砒室の天井にある鉄板を上げて炉から出る煙を外に逃がしながら行つた。粗製炉のかき出し作業は午前中、精製炉のかき出し作業は三、四〇分かけて行つている。この間も炉の火は止めず、煙は外部に排出されていたため、昇華した亜砒酸がそのまま大気中に流出した。かき出し作業の時は、真白な色の煙が大量に放出された。鉱煙は下ろし風の時は、風に乗つて塊所の部落にまで及び、嗅覚の未だ低下していない鉱山従業員の家族は煙の刺激臭を嗅ぐことがあつた。風向きにより、製錬場の煙が約二〇〇メートルはなれた山神社のあたりまで下りて来るのが見えていた。製錬場の周囲には曇りの日や雨の日などに煙が立ちこめ、周囲に粉じんが舞い下りて、選鉱場の上の食事場では白いほこりがたまつていた。

粗製炉から排出される焼滓は粗製炉の前にある桟橋から堆積場に落とされ野積みされた。昭和三一年すぎには焼滓が川岸までころがり落ちる程だった。投棄された焼滓は粉じんを生じ、鉱煙とともに約一六〇メートル離れた火薬庫番屋にまでしばしば飛散した。炉からとり出されたばかりの乾燥し切つた焼滓が投棄の際に崩壊して、肉眼でとらえ難い微細な粉じんとなり、塊所にまで及んだことは十分に推定できる。

鉱山の操業期間中は、戦後においても、戦前と同様製錬場周辺の樹木の生育状況は悪く、製錬場よりも上の方は一本も木が生えておらず、製錬場より下の方も火薬庫番屋付近までは殆んど木が生えていなかつた。これは鉱煙と焼滓の粉じんの影響が如何に激しかつたかを物語る。

(2)、焼滓は粗製炉下の堆積場に投棄されただけでなく、昭和二五年頃には、数回にわたつて、塊所部落の社宅付近の道路上に道路の穴埋めを兼ねて投棄されたこともあつた。この投棄された焼滓は前述のとおり多量の有毒物質を含んだものであり、社宅付近の居住者がその粉じんを吸入する結果をもたらした。

(三)、農業被害の発生にみる鉱煙等の影響

(1)、「煙毒ニ依ル損害補償請求陳述書」の存在

昭和一三年、本件鉱山周辺の中之又地区のうち塊所を除く、菖蒲谷、松尾、屋敷原、木各地区の農業従事世帯で構成する「実行組合」の田爪乙蔵は、本件鉱山の操業による鉱煙の影響で、農作物・家畜に被害が生じたとして中竹関畩に依頼し、被告に対する昭和一三年五月二〇日付「煙毒ニ依ル損害補償請求陳情書」(以下「陳情書」という)を作成した。そして、右田爪乙蔵は、右「実行組合」の組合員一六名に右「陳情書」の申請者に名を連ねるよう求めて捺印せしめた。

この「陳情書」には、被告の本件鉱山における亜砒酸製造の過程で生ずる煙により、農作物の他、樹木にも損害が生じたとされており、本文中には、米・麦の二、三割の減収、小豆・大豆の五、六割の減収、椎茸が四、五割の減収ないし全滅、梅実・柿・栗等果実の減少、蜜蜂の逃亡、養蚕の中止などが事細かに記載されている。そして、各世帯の昭和九年から一二年までの収穫の減少と損害額が別表で計上されている。

(2)、「陳情書」記載の農業被害の意味するもの

右「陳情書」の記載は、その作成経過からしても、菖蒲谷地区で鉱煙の臭いがし、屋敷原地区にも北風にのつて鉱煙が下つていたことや後述する宮崎県の環境調査において、松尾地区、塊所地区を始め製錬場周辺の農地・ハウスダスト中に高濃度の砒素が検出されたことからしても、個々の数値の正確性はともかく、少くとも昭和一三年より四、五年前から製錬場周辺の各地区に鉱煙による農作物被害が生じていたこと及びこれにつき被告に補償を要求しようとする動きがあつたことにおいては、真実に合致するものである。

右「陳情書」に表われた周辺地区の農業被害は、製錬場周辺に広範囲にわたつて鉱煙が及んでいたことを示している。「陳情書」中に塊所地区居住者の名がないのは、塊所には実行組合の組合員がいなかつたことによるもので、木地区よりもはるかに製錬場に近い塊所に、松尾地区を除く他地区よりも激しい鉱煙の影響があつたことを推定する障害とはならない。しかも、地形的にみても鉱煙による農業被害があつたとされる屋敷原、木地区は塊所と同様谷間に位置し、鉱煙が前者に到達したとすれば、製錬場により近接し、地形の似ている塊所ないし、その対岸の鉱山社宅(戦前のもの)に到達していたことは容易に推認できるものである。

戦前、鉱山社宅に居住していた従業員とその家族が鉱煙を浴び吸引したことは紛れもない事実である。

2、戦前における坑排水の利用による経口汚染等

原告勝義、同シヅ子夫婦が子供とともに居住していた塊所の対岸に位置する鉱山社宅では、飲料水等の生活用水として、朝日二坑口から流出する坑内水を竹を二つに割つた樋で社宅横の水槽まで導水して、貯水槽に貯めたものを用いていた。導水した竹の樋は覆いがなく、製錬場の下方を斜面に沿つて設置されており、貯水槽にも覆いがなかつた。従つて、竹の樋には落葉が詰まることもあり、貯水槽は週に一回位栓を抜いて洗わねばならない程粉じんが溜まつた。樋の位置や貯水槽の位置からして、導水の途中に製錬場の排出する鉱煙を浴び、投棄された焼滓の粉じんを浴びていたことは明らかであり、導水経路において亜砒酸粉じん等の有毒物質が生活用水に混入したことは容易に推定できる。のみならず、水源の坑水中には、鉱脈中に露出した砒鉱石の砒素その他重金属が混入していたのである。

社宅の居住者はこれらの有毒物質を含む水を飲料水に用い、風呂水、洗濯水として利用した。砒素を中心とする鉱毒の経口摂取ないし皮膚曝露の過程である。

3、戦後における生活用水による汚染

(一)、戦後の生活用水

戦後、本件鉱山の操業が再開された後、昭和二四年九月頃、選鉱等に用いるために菖蒲谷地区の湧水を鉄管で製錬場のタンクまで導水し、更に、同二五年八月頃、このタンクから火薬庫番屋の横を通つて松尾ダム貯水池をくぐり対岸の鉱山社宅まで鉄管で導水する設備が作られた。この水は鉱山社宅居住者の飲料水等生活用水として用いられた。製錬場からの導水管は、火薬庫番屋横の覆いのない木製水槽に接続し、水槽にいつたん貯めた水を再び鉄管で社宅まで引いていた。もつとも、この設備は、水の貯まり具合が悪く、半年余り後に水槽を経由せず、直接社宅に導水するよう改められた。

(二)、社宅居住者の鉱毒汚染

ところで、右の火薬庫番屋横の水槽は、製錬場から約一六〇メートルの位置にあり、鉱煙や焼滓の粉じんを浴びていたのであつて、社宅居住者が飲用し、共同浴場で用いた水に砒素等の有毒物質の混入を防止する措置はとられていなかつた。

こうして、原告平川を含む社宅居住者は、生活用水に混入した鉱毒を経口摂取し、皮膚に曝露した。

4、燃料・農作物による鉱毒曝露

(一)、燃料による鉱毒曝露

戦前、鉱山社宅の居住者のみならず、塊所地区の住民は、製錬場付近で立ち枯れている樹木を折り取つて薪として使用していた。この薪には、表面に白い粉が付着し、燃やすと青と黄の炎が出て、鉱煙と同様な刺激臭がした。

戦後に至つても、鉱山閉山までの間、鉱山社宅の居住者は製錬場周辺の樹木を薪として用いた。戦前のものと同様、薪からは青白い炎が出て鉱煙と同じ刺激臭がした。

戦前戦後を通じて住民は、製錬場から出る鉱煙と焼滓の粉じんを浴びその中の砒素等の有毒物質の付着した薪を用い、これを燃やすと出る鉱毒を吸引し、皮膚を汚染された。

(二)、農作物摂取による鉱毒曝露

前述のように製錬場の排出する鉱煙と焼滓の粉じんは、風向きにより塊所地区にまで及び、土壤を汚染するとともに、農作物に直接有毒物質を付着させた。

塊所で穫れる農作物は、戦前、戦後を通じて鉱山の操業中はさつまいもは割れ、とうもろこし、豆類、麦などの収穫が減少した。

収穫が減少しただけでなく、ようやく穫れた農作物は鉱山社宅をはじめ塊所の住民に摂取され、経口的に砒素等の鉱毒に曝露する結果をもたらした。

第三節環境調査にみる鉱毒の汚染

一、ハウスダスト(家屋内の堆積粉じん)中の砒素含有量

1、宮崎県調査

宮崎県は昭和五〇年八月から環境分折調査(河川等の水質調査、飲料水調査、農用地土壤及び農作物調査、ハウスダスト等調査)と疫学調査、健康調査(以下「宮崎県調査」という。)を実施し、その結果を昭和五一年三月に「松尾鉱山問題調査報告書」にまとめた。

この調査報告書によると、製錬場周辺の塊所など七地区の建物の天井裏などからハウスダストを採取し、砒素含有量の調査を行つた。その結果、製錬場から0.8キロメートルの塊所部落内の建物の天井裏からは最高1480.0PPm、最低7.2PPm、平均412.3PPmの高濃度の砒素が検出された。これを製錬場から最も遠い石河内地区(製錬所から一二キロメートル)の建物の天井裏のそれ(最高48.0PPm、最低23.0PPm、平均32.0PPm)と比較するとはるかに大きな値であり、他地区と比べても、製錬場から遠ざかるに従つて砒素含有量は減少する傾向が見られた。

2、岡山大学医学部衛生学教室の調査

昭和五〇年六月から九月にかけて岡山大学医学部衛生学教室は、本件鉱山周辺地区の一般住民の健康状態を鉱毒汚染との関連において把握することを目的として環境調査及び自覚症状調査を行い、その結果を昭和五一年七月三〇日調査報告書にまとめた。

この調査でも本件鉱山周辺の一〇地区について建物の天井裏または梁・かもいの上部からハウスダストを採取し、砒素含有量の検出を行つた。この結果、製錬場から0.6キロメートルと最も近い松尾地区の廃屋からは130.0PPmの砒素が検出され、塊所地区のハウスダストからは最高76.5PPm、最低51.8PPm、平均67.0PPmの砒素が検出された。そして、製錬場から最も遠い石河内地区では9.6PPmであり、宮崎県調査と同じく、鉱山から遠ざかるに従つて砒素含有量が低下する傾向がみられた。

3、ハウスダスト中の砒素含有量調査結果の意味

この二つのハウスダスト中の砒素含有量の調査結果は、その傾向において鉱山に近い所ほど家屋内の堆積粉じん中の砒素の濃度が高く、鉱山からの距離が遠くなるほど低くなつてゆくことがはつきりと認められ、本件鉱山の焙焼の工程で発生する亜砒酸のヒュームが周辺の部落一帯に飛散して、それが天井裏の埃の中に堆積して現在まで残つていることを示している。

二、土壤中の砒素含有量

前記の宮崎県調査中には、塊所他七ケ所の農用地土壤調査結果が報告されている。これによると、松尾地区の山林(52.2PPm)、畑(44.7PPm、塊所地区の畑(17.8PPm)から比較的高濃度の砒素が検出され、本件鉱山から離れた地区の土壤からはより低い数値の砒素が検出されている。これも、鉱煙、焼滓の粉じんが鉱山周辺地区の土壤を汚染していることを示しており、前述の農作物被害の事実にも符合している。

三、健康調査結果にみる地域汚染

1、岡山大学の調査結果

岡山大学医学部衛生学教室は、前記環境調査と併わせて塊所ほかの汚染地区(製錬場から約0.8ないし2.8キロメートル)及び石河内地区(製錬場から約一〇キロメートル)の住民各々八四名の自覚症状調査を行つた。その結果、汚染地区住民のうち、塊所部落の「鉱山従業歴のある者」の群は最も高い有訴率を示し、「鉱山従業歴のない者」の群も多岐にわたる自覚症状の有訴状況が見られた。

このことは、塊所地区を中心とした環境汚染の影響を否定できないこと、今なお、塊所地区には住民の健康被害が存在していることを示している。

2、北九州自主検診医師団の調査結果

昭和五一年三月二一日、二二日の両日、北九州の医師一〇名を中心とした松尾鉱毒被害者検診医師団(以下「自主検診医師団」という。)は、本件鉱山元従業員とその家族、鉱山周辺地区住民計四九名を対象に健康診断を行つた。その結果は「旧松尾鉱山元労働者及び周辺住民の健康調査報告」(以下「検診医師団報告」という。)としてまとめられている。

これによれば、元従業員の方が従業歴のない住民よりも呼吸器障害等は有意に高率に症状を有しており、いずれも、多岐にわたる健康障害が認められ、鉱山から約一〇キロメートル離れた石河内地区と比べて住民の訴える自覚症状が有意に高率であつた。また、他覚的にも、鉱山周辺地区住民と元従業員の有症度は汚染のない地区より高率であつた。

この検診医師団報告もまた、岡山大学の調査と同じく、本件鉱山周辺地区住民の環境汚染による健康障害の多発を表わしている。

3、行政健診と宮崎県調査

(一)、久保田報告の誤り

昭和四七年四月及び九月に宮崎労働基準局は久保田重孝を委員長とする「旧松尾鉱山元労働者に係る健康障害調査専門委員会」(以下「専門委員会」という。)に委嘱して本件鉱山の元労働者を対象に健康診断(以下「専門委員会健診」という。)を行つた。同委員会は昭和四八年二月に「旧松尾鉱山元労働者の健康調査結果報告書」(以下「久保田報告」という。)をまとめた。この報告書は、「まえがき」において「(宮崎労働基準局は)旧松尾鉱山の場合は『土呂久鉱害』と異なり健康障害を訴えるものが労働者に限られていること、亜砒酸粗製炉および精製炉の位置、鉱滓の現況など旧松尾鉱山の立地条件、操業状況から付近村落の一般住民に対する大気・水質汚染による影響の可能性はないと判断した」として、この判断を前提に本件鉱山の元労働者のみに健康診断を行つた。

ところが、久保田報告中には、この「まえがき」にあるような鉱山周辺地域の汚染の有無について、何ら科学的なデータも、検討も記載されておらず、「まえがき」は論拠を欠く記述である。のみならず、右労働基準局が右のような判断をした前提の資料は全く公開されておらず、このような判断自体、科学性を欠くこと著しいものがある。

(二)、宮崎県調査の誤り

宮崎県の行つた前記調査中には、本件鉱山周辺地区(塊所、屋敷原、木、中之又)居住者の健康調査結果が報告されている。

この報告は「調査対象者六四名中五四名の健康診断を行つたが、松尾鉱山操業に関連すると思われる健康障害の存在は否定的な結論であつた」としており、疫学調査の結果も受療状況調査の中で周辺地区住民に特異な受療状況はなかつたことなどを理由に地域汚染による住民の健康被害を否定している。

ところが、健康調査の過程では、本件鉱山周辺地区住民中に、慢性砒素中毒症の症状である多発性神経炎を疑わせるもの二例が報告されている。健康調査結果の前記結論は、主として、当時慢性砒素中毒症の外形的特異症状とされ、土呂久地区でも認定基準とされていた皮膚病変についてのみ土呂久地区、非汚染地区と比較して併発病型を検定するなど、砒素の影響による症状を限定的に捉えて、これを前提としていたことは明らかである。

このような論理は、後述する岡山大学医学部衛生学教室の自主検診結果、自主検診医師団の結論がいずれも、本件鉱山元労働者の砒素等を中心とする鉱毒の症状を全身症状としていることに照らしてみても誤つている。

しかも、更に疫学調査の一環として行つた受療状況調査も昭和四七年から四九年の三年間の国民健康保険診療報酬請求明細書によつて受療疾病の分類を行つたもので、調査報告書自身が皮膚病変は実際には受療することが少ないと思われることを認めており、多発性神経炎も、専門医の少ない鉱山周辺地区において一般の受診者から発見される可能性が殆んどないことは容易に推定できるのである。

また、昭和四七年に本件鉱山の鉱害の存在が疑われ始めてから、中之又地区には公害汚染地域に指定されると地場産業である椎茸栽培、こんにやく、柚などが売れなくなるとの不安から、木城町町議会に地域指定に反対する請願署名が出されるなど、地域の汚染の有無にかかわらず汚染の疑いを否定しようという地元住民の動きがあつた。このことは、前記の久保田報告においても、宮崎県の行つた健康調査においても、受診者の数が減少し、主訴が抑制されていたことを推定させるに十分である。

宮崎県調査の前記結論はかかる事情の下に行われたもので、到底信用できるものではない。

第四章  病像

第一節本件鉱山における慢性砒素中毒症

一、慢性砒素中毒一般について

1、亜砒酸(三酸化砒素、AS2O3)は、非晶系、等軸晶系、単斜晶系の結晶又は無色粉末の三種の態種があるが、常温で安定なものは右のうち等軸晶系の砒華と呼ばれるものであり、製錬により産出されるもののほとんどはこれである。右三種は物理的性質は若干相違するが化学的性質、毒性は勿論全く変らない。右砒華は、比重3.865で一三五度Cで昇華する。又、水に可溶で、一〇〇グラムの水に二グラム溶ける。

2、単体の砒素それ自身は毒性が弱いが、その化合物中三価の砒素は最も毒性が強く、砒素及び五価の化合物は生体内で三価に変り、細胞内のSH基酵素と結合してその酵素の働きを阻害する。亜砒酸として存在する砒素は勿論三価の砒素であり、その致死量は0.1グラム前後と言われている。右のSH基酵素とは、細胞の中で酸化還元反応、新陳代謝をつかさどつている酵素であり、この酵素の働きが阻害されるということは、細胞の基本的機能が侵されるということである。亜砒酸が細胞毒と呼ばれるのもこういうことからである。

右SH基酵素は全身にくまなく分布しているため、砒素中毒が全身的症状として発生するであろうことは、中毒の作用機序から容易に推認できる。更に体内に吸収された砒素は細胞内の酵素と結合するため、その排泄は速やかではなく、その結果中毒は長期間にわたり継続、進行するのである。

3、慢性砒素中毒症は古くから知られた疾病であり、その臨床報告例は厖大な数にのぼる。文献から拾つた砒素中毒の臨床症状はきわめて多岐にわたつている。皮膚、粘膜(消化管、呼吸器、口、眼、鼻)、神経系(末梢神経、中枢神経)、心臓、循環器、造血器、肝臓等は最も普遍的に侵襲され、これらは病像の前景をなす。しかし個々の病像は多様で症候学的には様々なバリエーションを有している。その中には、発癌性など看過できぬ致命的な疾病も含まれているのである。

4、また、砒素中毒症の発現形態について言えば、病状発現までの期間や各症状の症度および経過は、汚染の型(汚染量、汚染期間、汚染経路)により異なるものの、発現する症状の種類や各症状の発現形式は、一部の局所症状を除き、汚染の型によりほとんど左右されない。つまり経口、経気道、経皮、あるいはこれらの複合汚染のいずれでも、また急性、慢性を問わず、ほぼ同じ種類の症状が一定の順序で出現してくる。そして一般に砒素中毒は皮膚及び粘膜の刺激症状で始まり、ついで多発性神経炎が起つてくる経過をたどるものが多い。そして大気汚染による慢性砒素中毒症をまとめた報告例によると具体的な症状の発現様式は次のようなものである。すなわち、まず亜砒まけと呼ばれる皮膚炎が顔面、口唇周囲、鼻前庭、眼瞼周囲、頬部、頚部に、又全身的には衣類との摩擦部露出部に発生する。あわせて膜の刺粘激症状として、上気道系を中心とする刺激炎症症状(咳、喀痰、嗄声、喉頭痛など)が現われ、気管支炎も認められるようになる(長期化すると慢性気管支炎が常在する)。又、鼻粘膜障害として鼻炎、鼻出血が(この繰り返しにより鼻中隔潰瘍、穿孔が生ずる)、眼の粘膜障害として結膜炎、角膜潰瘍が発現する。そして、全身倦怠、易疲労、めまい、るいそう、息切れ、貧血等の全身症状が自覚されるとともに、高度な場合は、神経痛様疼痛、四肢脱力、歩行障害、四肢しびれ感、知覚異常、すなわち両側性、末梢性の多発性神経炎が生ずるのである。これらの症状の発現様式は、原告等を含め本件鉱山の鉱毒被害者におおむね共通するものである。

二、本件鉱山における慢性砒素中毒症

1、本件鉱山の操業において排出され、労働者、地域住民を汚染した物質は砒素(亜砒酸、硫砒鉄鉱粉じん)に限らない。焙焼炉から排出された鉱煙は亜砒酸のほか高濃度の亜硫酸ガスを含むものであつたから、この亜硫酸ガスの曝露による健康被害が生じたことは明白である。又、鉱石中に含まれていた鉛、亜鉛、銅、マンガン、カドミウム、アンチモン等の重金属との複合汚染が存在したであろうことも十分に推認できるところである。しかし、亜硫酸ガスを除けば、曝露量は砒素化合物が圧倒的に大きく、又亜硫酸ガスにより生ずる呼吸器系の鼻粘膜障害は亜砒酸によるそれと共通し、これを増強するものとして作用したものと考えることができること、各症状の中に亜硫酸ガスや重金属類の影響が存在することを確認することは困難であること、原告等をはじめとする被害者群の健康障害を慢性砒素中毒症として過不足なく説明できること等の事情に鑑みると、本件鉱山における健康被害(松尾鉱毒病)の実態は慢性砒素中毒症、つまり主として砒素によりもたらされた健康障害と考えるべきである。

2、本件鉱山における慢性砒素中毒症の病像については、今日まで数回の調査が行われ報告がなされている。それを時間的順序で述べると次のようになる。

イ、久保田重孝を委員長とする専門委員会は、昭和四七年四月及び九月、松尾鉱山元労働者の健診を実施し、翌四八年二月その結果を報告書にまとめた。

ロ、岡山大学医学部衛生学教室は、土呂久鉱山における健康被害調査を踏まえたうえで、昭和四九年一〇月松尾鉱山元労働者の検診を実施し、これを意見書として発表した(以下「岡山大意見書」という。)。

ハ、同衛生学教室は、昭和五〇年六月ないし九月に中之又地区及び石河内地区環境調査を、翌五一年一月に右各地区住民の健康調査を行い、同年七月にその結果を報告した(以下「岡山大報告」という。)。

ニ、自主検診医師団は、昭和五一年三月本件鉱山元労働者及び周辺住民の検診を実施し、同年六月報告書にまとめた(検診医師団報告)。

ホ、なおその外に、土呂久地区の慢性砒素中毒について詳細な調査報告をまとめた熊本大学医学部の医師堀田宣之(以下「堀田医師」という。)は原告等を含め、本件鉱山元従業員、家族等の検診を行つている。

3、岡山大意見書

これは本件鉱山元労働者四一名について、自覚症状調査、就労時以降その当時までの就労状況と健康状態に関する問診及び検診、検査、測定を行ない、既に慢性砒素中毒症の存在が明らかとなつていた宮崎県西臼杵郡高千穂町土呂久地区(元土呂久鉱山所在地)住民の健康被害の実態調査結果と比較、考察したものであるが、その結果、

① 本件鉱山元労働者群に、土呂久地区の被害者同様全身にわたる健康障害が認められたこと

② 本件鉱山元労働者群と土呂久鉱山元労働者群と比較すると、四肢筋、骨格、神経系の症状を除いては前者が後者より高率であること

③ 本件鉱山元労働者群に特徴的なものとして、咳、痰、喘鳴等の呼吸器症状、流涙、鼻汁、嗅覚低下、鼻閉、嗄声等の粘膜、上気道系の症状がより強いことが指摘できること

④ 土呂久地区住民に全く見られなかつた鼻中隔穿孔が六名も見られたこと

などが明らかにされた。そして右両群の相違は短期高濃度曝露と長期曝露の相違に起因すると推察され、頻度の違いはあるにしても、両群とも全身的にほぼ同じ症状がそれぞれ受診対象者に認められ、症候群ともいうべき健康障害は同一のものであるとの結論が得られた。

4、岡山大報告

これは、本件鉱山周辺地区の鉱山従業歴を有しない一般住民の健康状態を鉱毒汚染との関連において把握するために行われたもので、

① 塊所部落を中心に中之又地区に砒素による環境汚染が存在し、その汚染源が本件鉱山であること

② 塊所の鉱山従業歴のない住民に、鉱山従業歴を有する住民と大差ない多岐にわる自覚症状が高率に認められたこと

③ 右自覚症状の多発現象は、住民の健康状態の全般的歪みを示しており、その原因として砒素を主体とする環境汚染の影響を否定することはできないこと

などが明らかになつた。この報告は慢性砒素中毒の病像等を明らかにするものではないが、環境汚染による健康被害の存在を示すもので、鉱業法にもとずく被告の責任を基礎づけるものとして重要である。

5、検診医師団報告

(一)、これは、本件鉱山元従業員、その家族及び鉱山操業中に松尾鉱山周辺に居住していた住民合計四九名について、問診、身体計測、診察、血圧測定その他の検査を実施し、更に対照として石河内地区住民一四八名の自覚症状調査、北九州市内の四病院内科の新患者五一名の診察所見を採用し、詳細な比較検討を行つたものである。

(1)、まず自覚症状調査の結果は次のとおりである。

① 鉱毒非汚染地区である石河内地区に比べ、松尾地区は元従業員群、非従業員群ともに極めて有意に各症状が高率に認められる。

② 本件鉱山の元従業員群と非従業員群では各症状が両群とも高率に認められ、その傾向は両群ほぼ一致しているが、全体としては前者の方が高率である。これは前者が職場でより高濃度の鉱毒に汚染された事実から当然である。

③ 多発する症状は、全身症状、感覚器症状、呼吸器症状、循環器症状、消化器症状、神経症状と多彩である。

(2)、診察所見の結果は次のとおりである。

① 受診者(本件鉱山元従業員とその家族及び周辺地区居住者)に高率に認められる異常所見は嗅覚異常、聴力障害、鼻粘膜異常所見、肝腫大、知覚障害、皮膚異常所見、末梢循環障害等である。

② コントロール群(北九州市内四病院の新患患者)と比較しても右異常所見は松尾群に有意に高率であり、特徴的とさえ言える。

③ 松尾群の中で元従業員群と非従業員群を比較した場合、異常所見は全般的に元従業員群に高率である。特に嗅覚異常、鼻粘膜異常所見、聴力障害、知覚障害等は有意に元従業員群の方が高率である。

(3) 検査所見の結果は次のとおりである。

① 尿蛋白、尿糖、尿潜血の陽性者が比較的高率に松尾群に認められた。しかし松尾群に特異的か否かは不明である。

② 高色素性貧血、白血球減少、血小板減少等の血液異常が高率に認められ、松尾群に特異的である。

③ 高血圧、心電図異常も高率に認められるが松尾群に特異的かどうかは不明である。

④ 呼吸器障害は松尾群に特異的に存在する。従業員群と非従業員群とでは前者が有意に高率である。

(4)、右(1)、(2)、(3)の総合考按

松尾群に特徴的な所見は、聴力障害、嗅覚障害、鼻粘膜所見、皮膚所見、知覚異常、呼吸器障害、血液障害、肝腫大、末梢循環障害等であり、これは元従業員群、非従業員群を問わず高率に認められる。このように松尾群に、従業員歴の有無を問わず、多岐にわたり存在する健康障害が、砒素を主体とする鉱毒によるものだということは否定しえないと結論された。

(二)、右報告は第一に原告等をはじめとする松尾鉱毒病の患者の症状が多岐にわたること、従業員歴のない鉱山周辺居住者にも健康被害が存在していることを示すものである。

6、久保田報告

(一)、これは、宮崎労働基準局の委嘱により本件鉱山元従業員に対する健診を実施し、精錬夫九名を慢性砒素中毒症と認めたものであるが、これら認定者の主症状として重視されたのは鼻中隔穿孔と皮膚変化であつた。

(二)、しかし右報告は、健診が多岐にわたつているにもかかわらず、基本的な点で重大な誤りを犯しているため、健診結果を十分に生かすことができず、合理性に欠けた形で慢性砒素中毒症の有無を判断している。

(1)、まず第一に慢性砒素中毒の診断基準について何ら科学的な説明がなされていないことである。同報告を見ると慢性砒素中毒症と認定された者の主症状が鼻中隔穿孔と皮膚変化であることから、この二つが、診断基準とされていることがわかるが、なぜこの二つが診断基準であるのかという説明は全くない。また「旧松尾鉱山の労働者中呼吸器系に関する職業病として、鼻中隔穿孔、嗅覚失調、上気道障害が亜砒酸製造に係る精錬職に多く認められ」との記載がありながら、結論部分では、この上気道障害が完全に落ちており、しかも落ちた理由の説明もない。

(2)、このような調査においては、従業員に発生している健康被害の実態をまず克明に調査し、その中から本件鉱山における鉱毒による健康被害の実態、特徴を明らかにし、そのような作業を通じて松尾における慢性砒素中毒症の病像を把握する必要があるのに、このような手続は一切とられていない。

7、堀田医師の調査によれば、次のことが明らかになつた。

(一)、本件鉱山の慢性砒素中毒症は、鼻中隔穿孔の有無を除けば他の臨床症状、症状の発生経過等土呂久地区の場合とほぼ同じである。

(二)、土呂久住民に高頻度にみられ、共通して認められる左の重要な症状は本件鉱山の患者にも、同様のことが言える。

神経系 嗅覚障害、難聴、求心性視野狭窄、視力障害、多発性神経炎、自律神経症状(特にレイノー症状)、中枢神経障害

粘膜系 結膜炎、角膜炎、鼻炎、副鼻腔炎、咽頭炎、喉頭炎、気管支炎、気管支喘息様症状、胃腸炎、歯の障害

心循環器系 心臓障害、高血圧、脳循環障害

皮膚 色素沈着、色素脱失、異常角化症

その他 肝障害、腎障害、貧血

8、松尾鉱毒病の特徴

(一)、右に述べたところから松尾鉱毒病の第一の特徴として、松尾鉱毒病の病像の実態は慢性砒素中毒症としてとらえることができること(但し正確にはこれにじん肺及びその合併症を伴うものである。)、その症状はきわめて多彩でかつ全身にわたつていることをあげることができる。このことは原告等被害者の健康障害を、個々の症状を単に寄せ集めたものと理解してはならず、個々の症状の軽重により健康障害全体の軽重を論じてはならないことを示している。健康障害は個々の症状が有機的に結びついた一個のものとして存在しているのである。このことは次に述べる後遺症の問題に関係する。

(二)、特徴の第二は、症状が全体として進行すること、つまり原告及びその他の被害者の罹患している慢性砒素中毒症は後遺症として存在しているわけではないことである。後遺症とは、症状が固定し、治療しても改善せず、放置しても悪化しない状態を意味する概念であり、確かに原告等の症状等を個別的に見た場合、部分的には、歯牙脱落、鼻中隔穿孔、脱毛などのように固定したものもある。しかし、症状の大部分は遷延しつつ悪化するという経過をたどつており、慢性砒素中毒症という一個の疾病は全体として増悪進行しているといわなければならない。

この進行する症状のうち、直接生命に影響するという意味で最も重要なものは、呼吸器系症状、悪性腫瘍、心臓循環器系症状の三つである。

(1)、呼吸器系症状特に慢性気管支炎は治療を加えても軽くなるわけではないが、治療しないとその進行は一層早まり、じん肺等とあいまつて、その症状は年々重篤の度を加えている。

(2)、悪性腫瘍(癌)の問題は特に重大である。砒素が発癌作用を有していることは今日争いがないが、癌のうち皮膚癌、肺癌については症例報告、疫学的研究から、砒素化合物がこの発癌機構に関与していることは疑う余地がなく、他臓器癌の発癌可能性も認められている。現に土呂久鉱山については肺癌と鉱山(つまり亜砒酸曝露)との関係についての研究が存在し、これによれば男の肺癌は土呂久及び他鉱山就業歴に関連のある発症だとされている。また、慢性砒素中毒患者における砒素曝露から発癌までの期間については、最短三年最長四〇年と報告されている。これらの事実から、亡武夫を除く原告等にはまだ癌の発生は見られないものの、その体内においては現在もなお曝露した亜砒酸の影響で発癌が準備されつつあるといわなければならない。

(3)、心臓循環器症状についてみると、慢性砒素中毒症は、全身の中小動脈内膜に線維性肥厚による著明な閉塞性変化をもたらし、そのため中小動脈の内腔が非常に狭くなり、極端な場合にはふさがつてしまうことも生じ、血液の循環が阻害されるのである。その結果、末梢循環障害が発生し、臨床的には、手足においてはレイノー症状、ブラックフット病、脳においては脳卒中、心筋においては心筋硬塞を生ずることになる。原告等の体内の中小動脈内膜に右のような閉塞性変化が生じていることは、解剖しない限り直接確認する事はできない。しかし、慢性砒素中毒患者の過去の剖検例ではこれが確認されていること、また本件鉱山における慢性砒素中毒症の特徴の一つとして、末梢循環障害の存在することが疫学的にも明らかであることなどから原告等に中小動脈内膜の閉塞性変化が進行し、その体内において脳卒中、心筋硬塞等の発症が準備されつつあることは疑う余地がない。

(三)、本件鉱山における砒素曝露の中心が砒素を含む粉じん及び亜砒酸それ自体の粉じんの呼吸器管を通じての吸入であつたため、松尾鉱毒病は、じん肺を含む重篤な肺疾患を伴つていることが、第三の特徴としてあげられる。

三、原告等の慢性砒素中毒症

1、一般に砒素中毒の診断には、砒素曝露歴、臨床症状、生体からの砒素の検出の三条件が必要とされる。しかし長期にわたる慢性砒素中毒の場合、特に砒素曝露が現在進行中でない場合、最後の条件を満足することは困難であり、従つてこのような場合前二者の条件により判断することとなるが、臨床症状については非特異的症状が中心をなすため、症状の組み合せ、特に皮膚、粘膜、神経、心循環器など、本件鉱山における慢性砒素中毒症の特徴として指摘された各症状の有無が重要となる。

2、ところで亡武夫以外の原告等は既に宮崎労働基準局から慢性砒素中毒症の認定を受けており、同原告らが右疾病に罹患していることは明白である。そこで慢性砒素中毒症の症状は皮膚所見、多発性神経炎、鼻中隔穿孔のみに限られるものかどうかについて述べる。

(一)、宮崎労働基準局の診断は公表されていないものの、右皮膚所見、多発性神経炎、鼻中隔穿孔という三つの特異的症状の有無であろうと思われる。一般にある物質の中毒症状の中で、それ以外の物質の中毒では発生しない症状が存在する場合、これを特異的症状と呼ぶ。従つて原因物質不明の中毒症が存在する場合、ある物質の中毒に特異的な症状が発見されれば原因物質の特定ができることになる。その意味で特異的症状の存在は診断のうえで重要である。

(二)、ところで特異的という意味を厳密に理解した場合、慢性砒素中毒に特異的な症状というものはないと言つて良い。前記三つの症状は、他の中毒症(例えば鼻中隔穿孔は六価クロム中毒症にも存在する)にも見られるものである。ただ他の病気でもよく見られるといつた症状ではないから、原因物質等を絞るのに役立つという意味で比較的特異性のある症状というに過ぎない。従つて診断においては右症状のみによるのではなく、全ての症状の発生経過、組み合せ等を総合的に判断しなければならないのである。

(三)、以上からまず第一に、特異的症状は中毒症状のごく一部であつて、全部ではないことが指摘できる。もし宮崎労働基準局が前記症状に限つて認定したとすれば、これは誤りである。

第二に、右特異的症状の存在は慢性砒素中毒症を根拠づけるものの一つであるが、それが欠けていることから慢性砒素中毒症を否定することはできない。慢性砒素中毒の症状のほとんどは非特異的症状で占められ、個々の病像は多様で様々なバリエーションを有するからである。

第三に、特異的症状は慢性砒素中毒の本質的部分ではないことが指摘される。慢性砒素中毒において、人の生命、健康に重大な影響をもつ本質的症状、たとえば慢性気管支炎等はすべて非特異的症状であり、前記三つの特異的症状は、診断に際し意味を有していても、健康障害の末梢的な部分を担つているにすぎないのである。

3、次に亡武夫について述べる。同人は宮崎労働基準局から慢性砒素中毒症である旨の認定を受けていない。しかし、

① 同人は、昭和二八年から同三三年までの五年間本件鉱山の採鉱夫として就労し、砒素曝露歴があること

② 同人の現病歴を見ると、本件鉱山勤務後亜砒まけ、胃腸症状(下痢)、呼吸器症状(咳、痰、嗄声)など、慢性砒素中毒の初期症状である皮膚粘膜の刺激症状が発生し、昭和五〇年の診察時においては、特異的症状とされる鼻中隔穿孔、皮膚所見、更に求心性視野狭窄、難聴など慢性砒素中毒症に見られる症状が確かめられたこと

③ 同人死亡後その肝臓と腎臓の分析を原子吸光法を用いて岡山大学医学部衛生学教室において行つたところ、砒素が検出されたこと

以上の事実に鑑みると、前記三つの条件はすべて満足されており、亡武夫が慢性砒素中毒に罹患していたことは明らかであると言わなければならない。

第二節肺疾患の特質

一、本件鉱山元従業員らのじん肺罹患

1、久保田報告にみるじん肺発症

昭和四七年四月及び九月に行われた専門委員会健診の結果、本件鉱山元従業員の中には左のとおりじん肺ないし、じん肺の疑いのある者が発見された。

第一次健診によれば、受診者六一名中じん肺症として業務上疾病と確定された者一名、じん肺症として業務上疾病の疑いのある者一二名の計一三名(うち、採鉱一一名、製錬一名、選鉱一名)で、その程度はPR4(じん肺エックス線写真の像が第4型であることを意味する。以下PR1ないし3は同じく第1ないし第3型であることを意味する。)が三名、PR3が一名、PR2が三名、PR1は六名であつた。

第二次健診は、第一次健診受診者中二七名を対象として行われ、これに第一次健診でじん肺症を業務上疾病と認定された者を加えた二八名中に、じん肺管理四の者二名(採鉱)、じん肺管理三の者六名(いずれも採鉱)、砒素等の影響が疑われ、じん肺管理二の有所見者二名(製錬)が発見された。

2、検診医師団報告にみるじん肺

昭和五一年三月に行われた自主検診医師団の診断結果においても次のとおりじん肺ないしその疑いのある者がいることが判明し、他の呼吸器症状も存在した。すなわち「じん肺と判定される者六名、じん肺が疑われる者(肺影に粒状影が増加し、肺機能障害がある者を判定する)四名、線網粒状影が増加している者五名(うち三名は非従業員)」とされたのである。

3、原告等のじん肺罹患

(一)、長門宏医師のじん肺健康診断

亡武夫を除く原告等は、昭和五五年九月二九日大分県佐伯市の長門記念病院の長門宏(以下「長門医師」という。)のじん肺健康診断を受診した。その結果原告らには左のようなじん肺の所見があつた(尚、F+とはじん肺による肺機能の障害があるとの意味であり、管理一、二とあるのは、じん肺法に定める健康管理の区分である。)。

原告新名 じん肺(PR1/0・F+)管理二

同 戸高 じん肺(PR1/0・F+)管理二

同 平川 じん肺(PR1/2・F+)管理二

同 勝義 じん肺(PR1/0・F+)管理二

同 シヅ子 じん肺(PR0/1・F+)管理一

この時、同時に診断を受けた訴外松本節夫は、本件鉱山で戦後昭和二九年一二月から同三三年の閉山まで製錬のみに従事し、その他には粉じん作業に従事していない者だが、既に昭和四九年じん肺管理四の業務上疾病の認定を受け、長門医師の診断もじん肺(PR3/3・F≠)管理四であつた。

また、同時に受診し、その後も経過観察を続けていた訴外田爪徳蔵は本件鉱山において昭和二五年から同二七年夏まで鉱山の鍛治屋場で働き、同二八年春から運搬夫、同二八年夏から三三年の閉山まで採鉱夫をしていた者であるが、昭和五六年一月二三日長門医師から「じん肺(PR1/2・F+)管理二、続発性気管支炎」の診断を受け、同年四月九日宮崎労働基準局から「じん肺管理二・続発性気管支炎合併・要療養」の業務上疾病認定を受けている。

(二)、亡武夫のじん肺罹患

亡武夫は、昭和二八年一一月から三三年の閉山まで本件鉱山で採鉱夫として就労し、閉山後も昭和三八年まで塊所の鉱山社宅に居住していたものであるが、昭和四九年二月、宮崎労働基準局からじん肺管理四に認定され、その後昭和五〇年一一月四日肺癌のため死亡した。

二、本件鉱山元従業員らのじん肺の特徴

1、何故ここでじん肺を論じるか

じん肺は一般には各種粉じんを吸入した結果生ずる肺疾患であると言われ、本件鉱山元従業員が罹患したじん肺も粉じんを主体とする鉱毒を吸入した結果生じたものである。それは、一見、採鉱夫が採鉱作業の際吸入した鉱石じん、製錬夫が製錬作業の際吸入した亜砒酸・焼滓の粉じんのみに起因するかのようである。

しかし、本件鉱山元従業員らに生じたじん肺は、これらの労働過程において吸入した粉じんのみを原因とするのではない。鉱山元従業員らは、同時に元鉱山周辺地区住民でもあり、労働環境に限らず、居住環境にも及んでいた鉱煙(亜砒酸粉じんと有毒ガス)の焼滓の粉じんを吸入し、これが長年月を経て肺疾患を惹起したのである。鉱山元従業員らのじん肺の特徴をみることは、労働環境、居住環境を通じて吸入した有毒物質全体の影響を検証することである。

また、元従業員らのじん肺は、じん肺とそれに伴う臨床症状を他の全身症状と切り離して論じられるものではない。元従業員らの肺内に滞留した粉じんは、それ自体、人体内の汚染源として、従業員の退職後も長期にわたつて有毒物質への曝露過程を担つてきたのである。従つて、元従業員らの罹患したじん肺等呼吸器系の症状は、慢性砒素中毒症を主体とした鉱毒病の一症状として位置づけられるのである。

以下に述べるじん肺の病理と、本件鉱山元従業員の罹患したじん肺の特徴は、このような松尾鉱毒病の病像として把握されねばならない。

2、じん肺の一般的病理

(一)、じん肺の定義と病理

じん肺とは一般に粉じんの吸入によつて肺、気道系に生じた疾病である。より正確には、じん肺とは臨床病理学的に不溶・難溶の粉じんの吸入によつて、胸部X線写真に粒状、線状、輪状等の各種の不整形陰影が現われ、進行に伴つて肺機能障害を起こし、肺性心にまで至り、剖検すると粉じん性線維化巣、気管支炎、細気管支炎、肺気腫等を認め、血管変化を伴う肺疾患である。粉じんの過剰吸入は肺胞内を主とする粉じん巣の発生と線維化、気道の粘膜および下織に細胞増殖と線維化をもたらし、肺気腫、気管支拡張などが発生する。粉じんを吸入し肺胞内滞留量が多くなれば、その粉じんが不溶・難溶である限り長期間の組織内滞留が可能となり、その結果有害じん肺を発生する。異物反応あるいは異物炎症の機転は喰細胞の作用、線維芽細胞、線維細胞を含む細胞繁殖であり、これは共通の細胞変性と線維化を種々の程度に起こす。このような肺内の細胞変化はいずれも例外なく不可逆性を持ち、かつ粉じん作業から離職しても進行を続け時に一五〜二〇年経て強い症状が出るのがじん肺の特徴である。

(二)、粉じん吸入による病変

このような粉じん吸入による肺領域の変化は、粉じん蓄積部(粉じん巣)の線維化のみでなく、気管支炎、細気管支炎、肺胞壁変化、これらに伴う肺気腫、細気管支拡張等の気道変化が重要であり、これらの変化の進展は間質内と肺胞腔内とを問わず血管の狭窄、閉塞による循環障害をもたらす。すなわち、これを順序立てて述べると、①多量にかつ断続的に吸入された粉じんは、細気管支、肺胞に入り込み、喰細胞の働きによつてもリンパ腺に運び切れず、細気管支・肺胞に蓄積する。②粉塵が蓄積した細気管支・肺胞では細胞が壊死して線維化し結節化するため、肺胞がガス交換の機能を失つて心肺機能が低下する。③蓄積した粉じんは、(催炎症状の物質が含まれていると特に早く)細気管支や肺胞に炎症を生ぜしめ、慢性気管支炎を起こし、細気管支が閉塞して抵抗が増大する結果肺胞壁が破れて拡大し、肺気腫となつてその部分の呼吸機能は喪失する。④このような呼吸機能の低下は心臓の過重な負担をもたらし心臓の機能低下(肺性心)にまで至るのである。

これを吸入する粉じんの性質で分けると、①珪酸じんのような場合のじん肺(典型珪肺)ではリンパ線や血管周囲の結合組織(間質)に変化が強く、大結節を作るが肺機能低下は遅れ(間質型じん肺)、②間質に移行しにくい粉じん(炭粉など)は粉じん巣が小さく密在し、エックス線陰影は少ないが直接肺胞の機能を低下させるために比較的早期に発症し(肺胞型じん肺)、③長大な粉じん(石綿)や催炎症性の物質を含む粉じん(クロムなど)は細気管支炎を起こし易く、細気管支拡張を伴い、エックス線に陰影が余り出ないうちから強い症状が発生し、肺気腫に至ることがあり、しばしば発癌の母地となる(細気管支肺胞型じん肺)というように分けられる。

エックス線陰影上は、肺の中に結節がある場合に粒状影を、気管支変化が進行している場合には異常線状影、輪状影の不整形陰影を生ずるのである。

3、本件鉱山元従業員らのじん肺の特徴

(一)、亡武夫以外の原告等のじん肺

亡武夫以外の原告等のじん肺につき、以下のとおり共通性を指摘できる。

エックス線写真の読影結果は、いずれも不整形陰影を主体としており、気管支変化が推察される。フローボリューム曲線と、これによる「・V(ヴィ・ドット)25」の値が年令に比して低下していることは細気管支の機能低下を示していて、「肺雑音ラ音」ないし「呼吸音粗」の所見と併わせて、エックス線所見上は軽いが内容的には特に気管支変化を来している重い症状である。これは慢性気管支炎型のじん肺であつて前述した石綿肺などの細気管支肺胞型のじん肺に近い型に該当するものである。

右のような肺機能障害をおこすものは、粉じんの中で気管支に対する刺激性の強いものであつて、砒素の製造の場合発生するところの亜砒酸を含む粉じん及びそのときに同時に発生するガス等はまさにこれに該当する。

(二)、亡武夫のじん肺の特徴

亡武夫の死亡後病理解剖の際摘出された左肺につき大切片標本と顕微鏡標本を作製して検定したところによると、亡武夫の肺にはエックス線所見上大陰影に達しない程度の粉じん巣ができており、リンパ腺にも非常に多くの粉じんが溜まつている。これらの粉じんにより多数の珪肺結節が形成されエックス線写真上大陰影に達しない程度の珪肺性の変化が見られる。しかし、同時に、亡武夫の気管支には上皮細胞の繊毛がなくなつて形の変わつた癌一歩手前というような細胞が全体にわたつて増殖し、粘膜下織の滑平筋が増殖するなどの気管支変化がみられ、極めて強い慢性気管支炎の像を示している。この強い気管支変化は、通常の珪肺であれば、殊に大きな固まり(大結節)ができてその後しばらくたたないと起こらないもので、亡武夫に見られる程度の珪肺性の変化では説明できず、他の刺激性の強い粉じん(刺激じん)あるいはガスの影響を想定しないわけにいかないものであつて、亡武夫以外の原告等に見られる気管支変化と同質のものである。

亡武夫の職歴からみて、珪肺性の変化は主として、本件鉱山以外の鉱山・炭鉱における岩石掘進の際吸入した粉じんに起因し、本件鉱山における硫砒鉄鉱等の鉱石じん吸入により溜まつた粉じんも影響しているが、強い気管支変化は、本件鉱山従業時及び鉱山周辺居住時における硫砒鉄鉱の粉じん、亜砒酸を含む粉じん、有毒ガスの吸入に影響されたものと考えられる。

4、じん肺罹患の持つ意味

(一)、本件鉱山元従業員らのじん肺は慢性砒素中毒症の一症状である。

本件鉱山元従業員の罹患したじん肺は正確には、鉱山従業時及び鉱山周辺居住時に吸入した鉱煙中の亜砒酸粉じん、有毒ガス、焼滓粉じんなどの刺激による気管支変化を主体とする肺疾患である。亡武夫のじん肺も珪肺性変化を除くと、これと全く同じことがいえる。

じん肺に罹患すると一般に、呼吸困難(息切れ)、心悸亢進、胸痛、咳、痰、その他の自覚症状があり、他覚的にも打鼓指、顔面蒼白等の症状の他に心肺機能障害を伴い、肺結核、結核性胸膜炎、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症、続発性気胸が、じん肺法二条の合併症とされている。これらの症状の多くは、本件鉱山元従業員らの具える前記諸症状と偶々一致し、あたかも、松尾鉱毒病は砒素等の有毒物質に起因するものか粉じん吸入によるものか判定し難いように見える。

しかし、本件鉱山元従業員のじん肺の特徴は、このような慢性砒素中毒症とじん肺を別個の疾患と見ることが完全に誤りであることを示している。

鉱山元従業員の肺・気管支の疾患はまさに、亜砒酸等の有毒物質を高濃度に含有する粉じん・ガスが肺内の組織に作用して生じた組織変化であり、それ故に、砒素等の重金属類金属の中毒症状の一態様である。じん肺には原因となる粉じん等の性質によつて多様な種類があり、一律にじん肺の症状を論じ得ないのであつて、鉱山元従業員の罹患したじん肺とは、砒素等の刺激性物質が肺内の組織に作用した結果、長年月の間に生じた組織変化の一つの名称にすぎないのである。

(二)、じん肺の不可逆性、進行性は、慢性砒素中毒症の進行性を裏づけるものである。

粉じんを吸入した肺内組織の変化は一般に不可逆性、進行性を特徴とする。一方全身症状としての慢性砒素中毒症自体もまた長期にわたつて進行する。この二つの進行性もやはり別異に考えることができない。

じん肺一般の不可逆性、進行性とは、珪肺のように、毒性のある物質を含まない粉じんを吸入した場合にも、粉じんの肺胞内滞留から生ずる肺胞組織の細胞増殖・繊維化と、これに続く気管支変化、肺気腫の発生によつて説明される。すなわち、吸入粉じんが肺胞内に滞留し、体外に排出されないまま長期間残留することが進行性の源をなしているのである。

吸入粉じんが亜砒酸のような難溶性の中毒症状を惹起する有毒物質を主体としている場合、肺内組織に滞留した粉じんは長期間継続的に肺内組織に作用して呼吸器症状の増悪を来すとともに、粉じん中の亜砒酸等が長期間、少量ずつ肺から生体内に吸収され、血液を通じて全身に運ばれて全身の細胞に作用して中毒症状を引き起こす。吸入された粉じんのみならず、ガス中の有毒物質は直接肺内組織に不可逆的変化を生じさせ、その変化は進行するが、とりわけ粉じんそのものが肺の内部に残留している間は、有毒物質の、肺のみならず全身に及ぼす作用は絶えないのである。

そして、右に述べた肺内に滞留した粉じんの作用による組織変化と、粉じん中の砒素等が全身の細胞に与える影響は、長期間の潜伏期の後、肺癌あるいはその他の各臓器の癌となつて発症することになる。

三、発癌と肺疾患の関連性

1、じん肺と肺癌の関連性

(一)、じん肺一般と肺癌の関連性

じん肺中の石綿肺罹患者に原発性肺癌が多いことは古くから知られてきた。諸外国の石綿肺者の剖検例に対する肺癌の合併率は一〇ないし二〇%という一般人に比べて著しい高率を示している。石綿肺に限らず、珪肺等の他のじん肺患者においても、昭和三〇年以降肺癌との関連性が指摘されるようになり、昭和五三年(一九七八年)までの北海道・岩見沢労災病院の剖検例三五〇例中五〇例の肺癌合併(合併率14.2%)、東京西多摩病院の六九剖検例中九例の肺癌合併(合併率一三%)等が報告された。昭和四〇年から三年間にわたつて研究を重ねた労働者のじん肺と肺癌の関連性に関する研究班(班長・岡治道)は、病理面から、気管支炎の継続が細胞の異常異型な増殖をもたらし、この部分から肺癌が発生すること、気管支炎はじん肺の重要な一部であるから石綿肺以外のじん肺であつてもその合併肺癌は業務上のものであることを主張した。その後、昭和五三年一〇月には、労働者のじん肺と肺癌の研究班(班長・久保田重孝)が、石綿肺だけでなく、珪肺その他のじん肺に合併した肺癌もじん肺の存在による肺癌、すなわち業務上のものと認めるに至り、同年一一月労働省がじん肺管理区分四と認定され現に療養中の者に発生した肺癌を業務上の疾病として取扱う旨通達(基発第六〇八号昭和五三年一一月二日)を出した。じん肺と肺癌の関連性は行政上も認められたと言つてよい。

じん肺では粉じんの粒度が大きく気道への刺激性の強いものほど、より早期に、より広範に気管支変化が発生し、時間の経過とともに上皮変化は増強する。石綿肺のような細気管支肺胞型のじん肺はその代表的なものであるが、珪肺その他のじん肺でもより長期間を要するが、慢性気管支炎の合併例は年令と共に増加し、このような例では、結局石綿肺類似の上皮変化をおこしてくる。そして大型粉じん、刺激性粉じんの混入度が高く、感染をくり返すことの多いものほどより早期に肺癌への素因形成に達することを予想してもよく、結局慢性気管支炎が継続すると肺癌になり易い組織変化(上皮変化)が起こつてその部分から発癌するのである。

(二)、癌原物質を含む粉じん吸入と肺癌発生

このようなじん肺一般の肺癌との関連性に加えて、吸入じん中に癌原物質が混入している場合は発癌が促進される。

癌の発症は、慢性の炎症の如き継続的な刺激が細胞や組織に働くことによつて正常な物質代謝が乱れて、細胞の核内遺伝子が変異し、異常増殖をするものであるが、外来物質による発癌は、前提として炎症の継続により細胞に癌化への後天的素因が形成され、癌原物質が、癌化への最後の引き金を引く役割を果す。この場合、癌原物質(発癌物質)は一時期に多量に作用しても細胞は壊死するだけで、長期間に少量ずつ作用することが発癌の条件となる。肺癌については、慢性気管支炎の継続が癌化の組織的素因を形成し、吸入じん中の癌原物質が発癌の引き金を引くのである。

粉じん吸入から肺癌を発癌するまでには、刺激性の強い粉じんの場合で三年ないし四〇年、発癌物質を含まない粉じんの場合で一〇年ないし四〇年の潜伏期を要する。

このような発癌物質としてクロム、ニッケル、等が挙げられているが、砒素もまた発癌性が明らかな物質である。しかも、砒素の場合は、クロムと同様に催炎症状と癌原性の双方を具えているのであるから、砒素を含む粉じんを吸入すると、砒素それ自体の作用として、慢性気管支炎を惹起して癌化の組織的素因を形成するとともに、発癌そのものの引き金ともなると言えるのである。この肺内の変化の機序は、肺の組織に作用する砒素が吸入粉じんからのみ吸収されるのではなく、皮膚ないし消化器から吸収されたものであつても、程度の差はあれ、同様と考えてよい。

2、亡武夫の肺癌

(一)、本件鉱山における吸じん等と肺癌の関連性

死亡後病理解剖した宮崎医科大学の剖検診断によれば、亡武夫の死因は「肺癌(扁平上皮癌・右肺中葉原発)」とされている。

亡武夫は、珪肺性の変化と、これだけでは説明できない強い気管支変化を伴つたじん肺に罹患していた。この後者の気管支変化は本件鉱山の就労と、周辺に居住している間に吸入した鉱石じん、亜砒酸粉じん、有毒ガスに起因している。

ところで、この気管支変化は上皮細胞の繊毛がすべてなくなり、形の変わつた癌一歩手前といつた細胞が全体にわたつて増殖しているなど強い慢性気管支炎の像を示しているのであり、その変化の部分から肺癌が発生している。亡武夫の場合、本件鉱山における作業あるいは居住環境において粉じんあるいはガスを吸入したことが、肺の気管支変化を強め発癌を促進したのみならず、発癌物質である砒素が引き金となつて発癌に至つたのである。

亡武夫の肺癌はかようにして慢性砒素中毒症の一症状として理解できるのである。

(二)、亡武夫の臓器内の砒素検出結果

宮崎医科大学の河野正教授は、亡武夫の病理解剖の際、各臓器の砒素の検出を行つたが、いずれも陰性であつたとしている。そして、これが、右剖検診断における「砒素中毒であるとする根拠が不十分である」との結論の理由の一つに挙げられている。

しかし、宮崎医科大学で行つた砒素検出法は、Castelの硫酸銅法によつているのであるが、この方法は感度の低い古い分析方法で必ずしも正確とは言い難く、現に岡山大学医学部が亡武夫の臓器の砒素を現代では最も鋭敏な分析方法とされる原子吸光法で行つた結果、肺、肝臓、腎臓から比較的微量ではあるが砒素が検出されている。

しかも、亡武夫の場合には、剖検までの間に、本件鉱山の退職後一七年余、鉱山周辺から転出して一二年余を経過しており、砒素曝露中止後既に一〇年以上経つたような場合に砒素を臓器から検出することは殆んど不可能なのであるから、砒素が臓器(肺)から検出されなかつたことをもつて、亡武夫の疾患に対する砒素の影響を否定することも、肺癌と砒素との関連性を否定することもできないといわねばならない。

(三)、久保田報告と剖検結果の誤り

亡武夫は、宮崎労働基準局の委嘱により昭和四七年四月及び九月に行われた専門委員会健診を受診したが、慢性砒素中毒症と認定されなかつた。また、前記宮崎医科大学の剖検結果においても、①亡武夫には皮膚症状等の慢性砒素中毒特有の症状が見られないこと、②砒素中毒に高率に見出される肝の脂肪変化が全く見られないこと、③各臓器の砒素検出結果が陰性であつたことの三点を理由に砒素中毒であるとする根拠は不十分であると結論づけられた。

だが、右報告が誤りであることは明白である。

まず、久保田報告は、既述のように、鼻中隔穿孔、皮膚変化等の外形的特異症状を慢性砒素中毒症の診断基準としているが、その根拠は全く示されておらず、かえつて、岡山大学及び自主検診医師団の検診結果によれば、本件鉱山元従業員の健康障害が全身的多岐にわたる非特異的症状であつて、かつ慢性砒素中毒症も全身症状であることは明らかなのであるから、専門委員会健診の用いた診断基準に該当しなかつたからといつて、亡武夫の砒素による疾患を否定し得ないことは繰り返すまでもない。

次に、宮崎医科大学の剖検結果についても、その根拠のうち、②の肝の脂肪変性は、砒素中毒の特異的な変化でも、必ず発症するものでもなく、①の特有な病理所見の欠如も、繰り返し述べた全身的、非特異的な慢性砒素中毒症の病像からみて、前提に誤りがあり、③の砒素検出結果は前(二)のように何ら砒素の影響を否定し得るものではないことを考えれば、全くの誤りとしか言えないのである。

むしろ亡武夫には、後述するような全身にわたる疾患があり、肺癌もまた砒素を中心とした鉱毒曝露に起因するものなのである。

第五章  責任

原告らが被告に対し本件損害賠償を請求する根拠法条は民法四一五条、同法七〇九条、鉱業法一〇九条一項及び四項である。

第一節債務不履行責任(その一)

一、雇傭契約

第一章第一節で述べたとおり、原告勝義、同シヅ子、同平川及び、亡武夫は、同記載の各期間、被告に雇傭されて本件鉱山に勤務し、亜砒酸の製錬作業、燃料や製品等の運搬作業、砒鉱の採掘作業に従事していた。

二、安全配慮義務

1、労働者と使用者との雇傭契約にあつては、労働者は労務提供義務を負い、これに対応して使用者は賃金支払義務を負うが、使用者の義務はこれに尽きるものではなく、使用者は労働者に対し、労務提供の過程において労働者の生命・健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負う。人間にとつて生命・健康を損わない権利は最も根源的なものであつて、労働者が、使用者の設置管理する施設・機械・器具・人的組織など総合的生産体制の下で、使用者の指揮命令に従つて労働力の提供を義務づけられている以上、使用者がかかる労働環境の設置管理あるいは提供された労務の管理にあたつて、労働者の生命と健康を保護すべきことは、最低限の前提条件である。従つて右安全配慮義務は雇用契約に付随する信義則上の義務として一般に認められるべきものである。このことは最高裁昭和五〇年二月二五日判決民集二九巻二号一四八頁が既に判示している。

2、ところで右安全配慮義務の具体的内容は、一般的に決められるものではなく、労務の内容等により異なる。そこで本件鉱山において被告が原告等に対し尽すべきであつた安全配慮義務の具体的内容を当時の状況に即して以下述べる。

(一)、原告等が罹患している慢性砒素中毒症及びじん肺等の肺機能障害は、亜砒酸の粉じん、亜砒酸ガス、亜砒酸を高濃度に含有する焼滓粉じん等の曝露により発生したものである。

亜砒酸が致死性の猛毒であり、亜硫酸ガスが人の健康を損うものであることは古くから知られており、金や銅などの重金属類の製錬や山元亜砒酸製造において大量の亜砒酸、亜硫酸ガスが排出され、そのため、これらの汚染により鉱山労働者や地域住民に、中毒による健康障害をもたらしたことは一八世紀、一九世紀から知られていた。わが国においても足尾銅山が亜砒酸と亜硫酸ガスにより甚大な健康障害と地域汚染をもたらしたことは有名な史実である。

また、鉱山労働者(特に坑内夫において顕著であるが)が作業中に難溶性の粉じんを多量に吸入し、じん肺等の肺機能障害に罹患していたことも周知の事実であつた。

原告等雇傭前である昭和の初期においても、亜砒酸、亜硫酸ガス、難溶性粉じんが有毒であることは、高度の教育を受けた管理職を有し、鉱業を主たる事業としていた被告にとつては、疑問の余地がなかつたはずである。

(二)、このように有毒であることの知られた物質にさらされるおそれのある職場で労働者を使用する場合、使用者がどの程度の安全配慮を尽すべきかについては、過去の公害の判例が参考になる。いわゆる四日市ぜんそく事件の判決で、津地裁は、

「少くとも人間の生命身体に危険のあることを知りうる汚染物質の排出については、企業は経済性を度外視して世界最高の技術、知識を動員して防止措置を講ずべきであり、そのような措置を怠れば過失を免れないと解すべきである」(津地裁四日市支部昭和四七年二五日判決判例時報六七二号)

と判示し、又新潟水俣病訴訟の判決で、新潟地裁は、

「最高技術の設備をもつてしてもなお人の生命身体に危害が及ぶおそれがあるような場合は、企業の操業短縮はもちろん操業停止までが要請される」(新潟地裁昭和四六年九月二九日判決判例時報六四二号)

と述べている。

右各裁判例は、不法行為責任に関する注意義務の程度について述べたものだが、雇傭契約にもとづく安全配慮義務の程度が右を下回るとは考えられない。なぜならそう理解しなければ、契約関係にない第三者と労働者と比較した場合、健康の面で保護される程度が互に異なる結果となり不合理だからである。

(三)、従つて被告は本件鉱山の操業に際し、そこで働く労働者が亜砒酸、亜硫酸ガス、難溶性粉じん等の鉱毒に曝露しないような措置を講ずる義務があつたと言わなければならない。特に亜砒酸が致死量0.1グラムという青酸カリに劣らぬ猛毒であることを考えれば、その曝露を完全に防止する義務があつた。

具体的には次のような措置を講ずべきであつた。

① 坑内作業に関して

採鉱夫が粉じんの立ちこめる坑内で作業することのないように、坑道に換気装置、散水装置等を設けて発じんを防止するとともに、防じんマスクを支給するなどして粉じんの吸入を防止すべきであつた。

② 製錬作業について

亜砒酸に汚染されないためには、これを直接取り扱わないようにすることが肝要であり、従つて焙焼炉からの亜砒酸のかき出し作業、亜砒酸の箱詰作業、及び運搬作業に際しては、亜砒酸が労働者の身体に付着したり、労働者がこれを吸入したりしないような措置を講ずべきであつた。

③ その他労働環境の安全確保について

(イ)、坑口から選鉱場を経て製錬場に至る経路、休憩所等の設置されている製錬場一帯、製錬場から製品を搬出する経路、焼滓の捨場、山石捨場など労働者が労務を提供すべき場所が亜砒酸、亜硫酸ガス等にさらされぬようにするために、焙焼炉の煙突に脱煙装置、脱硫装置を設けてこれらの毒物の排出を防止し、あるいは少くとも高々度の煙突を設置して地上に影響のない程度に毒物の大気への拡散・稀釈を図る必要があつた。

(ロ)、焼滓、山石の廃棄に当つては、粉じんの発生を防止するために散水して行うとか、風が強く拡散しやすい谷川には捨てないとかの措置を講ずべきであつた。

(ハ)、右すべての作業場において、亜砒酸、難溶性粉じんの浮遊粉じん量、亜硫酸ガスの濃度の測定を常時実施し、一定の基準量を越えた場合には作業を中止できるような体制を整えておくべきであつた。

④ 健康管理について

前記各措置が万全か否かを確認するために、各労働者に対し定期的な健康診断を実施し、もし右毒物の影響が疑われるようであれば、右各措置に改善を加えるとともに、当該労働者の治療、配置転換等を行うべきであつた。

⑤ 安全教育について

鉱山労働者に対して難溶性粉じん吸入の危険性、亜砒酸の毒性、その取扱上の注意について十分説明し、労働者らを曝露から身を守ることのできるよう安全教育を行うべきであつた。

三、安全配慮義務の不履行

1、結論を先に述べると、被告が前記安全配慮義務を履行するために講じた措置は皆無と言つてよい。

① 坑内作業について

前記発じん防止措置、粉じん吸入防止措置は全く取られず、亡武夫ら採鉱夫・運搬夫は粉じんの立ちこめる中を無防備のままで作業に従事した。

② 製錬作業について

焙焼炉からの粗製物・精製物(亜砒酸)のかき出し作業は製錬夫が集砒室内に入つて亜砒酸の粉末を全身に浴び、かつ高濃度の亜硫酸ガスにさらされながら行うもので、しかも防護措置といえば、顔面、首に白粉を塗り(これすら十分励行されなかつた)、タオルで顔面等をおおう程度で実効性は全くなかつた。

又、亜砒酸の箱詰作業・運搬作業に際しても、その吸入、身体への付着を防止することは配慮されず、労働者は亜砒酸の粉末の散乱する中で精製物をふるいかけ、スコップで木箱に詰め、又、表面に亜砒酸の粉末の付着したままの状態でこの木箱を運搬していた。

③ その他労働環境の安全確保について

(イ)、焙焼炉から排出される亜砒酸、亜硫酸ガスを減少させる措置は全く取られず、その結果焙焼により発生した亜砒酸のうち集砒室に沈積しなかつたものはすべて焙焼炉から大気中に排出され、じんあい(浮遊粉じん、フューム)として製錬場付近を中心に高濃度で汚染した。又、亜硫酸ガスは発生したものすべてが排出された。

(ロ)、焼滓、山石の廃棄場所は時期により若干異なるが、廃棄に際し粉じんが舞い上がるのを防止する前記措置は考慮すらされなかつた。

(ハ)、鉱山の各作業場において亜砒酸粉じん、その他の粉じんの浮遊粉じん量、あるいは亜硫酸ガスの濃度の測定は全く実施されなかつた。

④ 労働者の健康管理も一切行われなかつた。戦前の本件鉱山には医療施設は全くなく、原告金子夫婦の就業当時の急性、亜急性砒素中毒に対する治療の機会は全くなかつた。戦後塊所に診療所が設置され看護婦が常駐したが、医師は週末に出張してくるだけであり、じん肺早期発見のためのレントゲン間接撮影を年一回行つていたが、亜砒酸等の曝露による健康障害に対する配慮は全くなされていなかつた。このことは右看護婦が亜砒酸の毒性及び中毒症状に関する指導を全く受けなかつたこと、従つて砒素中毒の特殊性に留意した診察、手当を行つていないことなどから明らかである。その結果戦後の従業員は亜砒まけの際、オキシフルでふきリバノールや油性ペニシリンをぬるという程度の化膿防止の対策療法しか受けることができなかつた。もちろんこのような診察、診療が労働環境の改善の面で役立てられることはなかつた。

⑤ 本件鉱山の労働者は使用者たる被告から亜砒酸等の毒性、難溶性粉じん吸入の危険性について説明を受けたことはなく、これらに曝露することをできるだけ避けるよう指導されたこともなかつた。亜砒酸の猛毒性について知識をもたない労働者達は、亜砒まけができるようになれば一人前だといわれるような雰囲気の中で、健康が大きく蝕ばまれていくことも知らず、作業に従事したのである。

2、右に述べたとおり被告が労働者の安全を全く配慮しなかつたことは驚くべきことであるが、このような被告の企業の体質は、毒物に関する行政取締法規すら無視していたという事実が雄弁に物語つている。昭和二五年制定の毒物及び劇物取締法によると、同法上の毒物に該当する亜砒酸を販売又は授与の目的で製造するためには、厚生大臣の登録が必要とされ、登録を受けない者がかかる目的で亜砒酸を製造することは禁止されており、これに違反した者には刑事罰が課されることになつている(同法三条、四条、二四条)。ところが被告は同法施行後本件鉱山において亜砒酸製造を行うについて同法所定の登録を受けなかつた。

同法は「毒物及び劇物について保健衛生上の見地から」(第一条)、取締を行うことを目的とするものであるが、被告の右無登録製造は「保健衛生上」の取締すら無視していることを示すものである。

四、原告等の鉱毒曝露

右に述べた、被告の安全配慮義務不履行のため、原告等は次のとおり亜砒酸、亜硫酸ガス等に曝露した。

1、亡武夫は、被告が前記二、2、(三)、①の義務を怠り、三、1、①のとおり何の措置も講じなかつたため、砒素含有率16.1パーセントの硫砒鉄鉱を含む粉じんを大量に吸入した。

2、(一)、製錬夫の原告勝義、同平川は被告が右二、2、(三)、②の義務を怠り、右三、1、②のとおり何の措置も講じなかつたため、

1、集砒室から粗製物・精製物をかき出す作業や「煙道ほがし」「壁落し」の際、集砒室内で全身に亜砒酸粉末を浴び、亜硫酸ガスを吸入した。

2、粗製物・精製物の箱詰作業の際、地面、空中に散乱したり、木箱表面に付着した亜砒酸粉末が皮膚に付着し、あるいはこれを吸入した。

原告勝義は右箱詰作業の際亜砒酸粉末が飛び左眼に侵入してきたため、失明するに至つた。

(二)、原告シヅ子は、被告が右二、2、(三)、②の義務を怠り、右三、1、②のとおり何の措置も講じなかつたため、製品の運搬に際し、表面に亜砒酸粉末の付着した木箱をかかえることを余儀なくされ、そのため右毒物が皮膚に付着した。また製品を搬出するため箱詰作業中の場所へ行つた際空中に散乱する亜砒酸を吸入した。

3、前記のとおり被告が二、2、(三)、③、(イ)、(ロ)の義務を怠り、三、1、③、(イ)、(ロ)のとおり何の措置も講じなかつたため、右鉱山施設全体が亜砒酸、亜硫酸ガス、焼滓の粉じんに汚染され、その結果、製錬夫であつた原告勝義、同平川は、作業中、休憩時、及び製錬場から鉱山下までの通勤経路を往復する途中で、原告シヅ子は運搬作業中、亡武夫は坑内に行く途中及び坑内から戻る途中、坑外で休憩時に、いずれも右各有害物質の吸入を余儀なくされた。

4、被告は前記二、2、(三)、③、(ハ)、及び④の義務を怠り、右三、1、③、(ハ)及び④のとおり何の措置も講じなかつたため、原告等が有害物質に曝露することをくいとめることができず、原告等はこれらに汚染されるまま放置された。

右の結果原告等は右各有害物質に曝露し、慢性砒素中毒症、じん肺、その他の健康障害に罹患したものである。

第二節債務不履行責任(その二)

仮に、戦前の本件鉱山においては、訴外黒木浅吉(以下訴外(黒木」という。)が被告から亜砒酸製錬作業を請負つており、原告勝義、同シヅ子らは、同訴外人の従業員であつて、被告との間に直接の雇傭関係がなかつたとしても、次のとおり、被告は同原告らに対し契約上安全配慮義務を負担していたと解すべきである。

前掲最判昭和五〇年二月二五日は、「……安全配慮義務は、ある法律関係に基いて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間において当該法律関係の付随的義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきもの……」と判示しているのであつて、雇傭契約に限り安全配慮義務が存在すると述べてはいない。

ところで本件鉱山における製錬等の操業の実態を見ると、

① 製錬等の作業の場所、設備等はすべて被告が提供し、管理していたこと

② 被告従業員の訴外高橋某が、監督として、毎日製錬現場を見回り、製品の出来高、搬出量などを各人別に記載した帳簿を管理し、又製錬夫等の賃金も同人が計算し、その支払は被告鉱山事務所で行われていたこと

等の事実が指摘できる。このような事実からすれば、製錬、運搬等の各作業が被告の指揮監督下にあり、この結果、被告と原告勝義、同シヅ子との間には、雇傭契約が存在している場合と変らぬ、事実上の使用従属関係があつたと認められるのである。

このような場合、右事実上の使用従属関係に付随する義務として、注文者の、請負人の従業員に対する安全配慮義務が発生すると解すべきである。あるいは、右のように請負人の従業員が注文者の指揮監督下に入つて就労することを内容とする請負契約が締結されている場合には、請負人の従業員を受益者とする第三者のための契約又は請負人の雇傭契約上の安全配慮義務について重畳的債務引受契約が黙示的に締結され、注文者は請負人の従業員に対し、その提供する作業場所、設備等について安全を配慮すべき義務を負うと解すべきである。かかる解釈を示した裁判例としては福岡地裁小倉支部判決昭和四九年三月一四日判例時報七四九号がある。

第三節不法行為責任(その一)

債務不履行責任と不法行為責任は一般に競合するものとされている。従つて前二節で述べたことは、被告の各原告に対する不法行為責任を基礎づけるものでもある。すなわち、被告は亜砒酸、亜硫酸ガス、難溶性粉じん等が健康障害をもたらすことを知つていたのであるから、その操業する本件鉱山の各作業に従事する者がこれらの物質に曝露しないようにすべき注意義務、具体的には、第一節二、2記載の義務があつたのに、第一節、三記載のとおりこれを怠つたため、第一節四記載のとおり原告等を右各物質に曝露させ、その結果、慢性砒素中毒症、じん肺等の健康被害を負わせたのであり、かかる被害の発生について、被告に故意又は過失のあつたことは明白である。

第四節不法行為責任(その二)

一、鉱山設備の譲渡

第一、二章で述べたとおり、被告は、昭和二九年一二月訴外糸永に租鉱権を設定するとともに、それまで被告の使用していた本件鉱山の設備一切を譲り渡し、以後同三三年五月まで、同訴外人が、右設備を利用して被告が行つたのと同様の亜砒酸製造事業を営み、その間に、原告平川、同新名、同戸高及び亡武夫は、第一章第一記載の各期間、同訴外人に雇傭されて、本件鉱山に勤務し、製錬作業、採鉱作業に従事した。

二、坑道、焙焼炉の欠陥

ところで、被告が同訴外人に譲渡した本件鉱山の設備のうち、坑道及び焙焼炉には次のような構造上の欠陥があつた。

1、坑道

採鉱作業にはハッパを使用するため、坑内特に切羽付近では大量の粉じんが発生する。またもともと坑内は換気が悪いところであるからこの粉じんは長期間空中に滞留することになる。従つて自動機械を利用して無人で採掘作業を行わない限り、坑内で働く労働者の安全を確保するには、坑道内に粉じんの発生、滞留を防止する設備を備え付ける必要がある。具体的には、発じんを防止し、舞い上つた粉じんの落下を促進するための散水装置、坑内の空気を強制的に坑外へ排出する換気装置、あるいは集じん装置等である。ところが被告から同訴外人に右坑道が譲渡された当時(もちろんそれ以前も)、これらの装置は一つたりとも坑内には設置されていなかつた。かかる坑道を使用しての採鉱作業においては、坑内夫の粉じん曝露は必然的であつてその意味で本件鉱山の坑道は安全性の配慮に欠けた構造上の欠陥を有するものであつたといわなければならない。

2、焙焼炉

焙焼炉の設置されている付近一帯は、製錬夫、選鉱夫、運搬夫らの作業場であり、休憩する場所である。従つてこれらの者の安全を確保するためには、亜砒酸、亜硫酸ガスを大量に含む、焙焼炉から排出される鉱煙が、付近を汚染することのないようにしなければならない。そのためには、焙焼炉の煙突に脱煙、脱硫装置を設け、あるいは高々度の煙突を設置する必要があつた。

又、焙焼炉の集砒室の内部は、高濃度の亜硫酸ガスと亜砒酸が充満しており、どのような防護策を講じてもこれらの吸入及び身体への付着は完全に防止し得ないのであるから、集砒室からの製品のとり出し作業は中に人がはいらずに外部から行えるような構造にすべきであつた。

ところが被告から同訴外人に譲渡された当時(もちろんそれ以前も)、焙焼炉は右のような装置、構造を全く有していなかつた。このような焙焼炉の使用は、付近で働く労働者、集砒室内にはいつて製品のかき出し作業をする製錬夫等を、亜砒酸、亜硫酸ガスに必然的に曠露させるもので、右焙焼炉は安全性に欠けた構造上の欠陥を有するものであつた。

三、注意義務

右のように、人の生命、健康に害を及ぼすことの明らかな構造上の欠陥を有する設備を第三者に譲渡する場合、譲渡人としては、譲受人が引き続いて右設備を使用することが予測できる限り、それを改造し又は安全装置を備え付けて欠陥を除去したうえで引き渡すか、あるいは少くとも譲受人に右欠陥の是正を約束させたうえで引渡すべき義務を負うと考えなければならない。なぜならそう理解しない限り、譲渡人は他人の生命健康を犠牲にして、譲渡益を追求できるという条理に反した結果を招くからである。このような考え方は直接本件に適用されるものではないが、労働安全衛生法において具体的に明示されている。即ち同法四二条、四三条には次のような規定がある。

第四二条 特定機械以外の機械等で、危険若しくは有害な作業を必要とするもの……は、労働大臣が定める規格又は安全装置を具備しなければ譲渡し、貸与し、又は設置してはならない。

第四三条 動力により駆動される機械等で、作動部分上の突起物又は動力伝導部分若しくは調速部分に労働省令で定める防護のための措置が施されていないものは、譲渡し、貸与し、……てはならない。

右は条理上当然の義務を労働安全衛生法に明定して行政法上の義務に高めたものにすぎないのである。

四、注意義務の懈怠

ところが被告は、坑道・焙焼炉に存する前記構造上の欠陥を是正せずにこれら設備を同訴外人に譲渡した。その結果原告平川、同新名、同戸高、亡武夫は、同訴外人のもとで亜砒酸等の有毒物質に曝露して、慢性砒素中毒症、じん肺等の健康被害を受けたのである。

ところで、同訴外人が、譲り受けた設備を従前と同様の方法で利用して操業を続けるつもりであつたことについては、被告は右設備を譲渡する際十分承知していたはずである。それは、それまで被告の従業員であつた同鉱山の所長品川をはじめとして製錬夫、採鉱夫をまるごと同訴外人が引き受け、雇傭するという形態で設備の承継が行われたことからも明白である。従つて同訴外人が前記構造上の欠陥を有する坑道・焙焼炉を使用して操業を行う結果、そこで働く採鉱夫・製錬夫らが右有毒物質に曝露して、健康を損うであろうことを被告は認識していた、あるいは少くとも十分予期できたと言わなければならない。それゆえ、同訴外人に雇傭されて製錬作業・採鉱作業に従事した右原告等の健康障害について、被告に故意又は過失があつたことは明白である。

第五節鉱業法一〇九条一項及び四項の責任

一、鉱業権の帰属及び操業

被告は、昭和七年から昭和四六年六月九日放棄によりその鉱業権が消滅するまで、本件鉱山の鉱業権を有していた。

同鉱山における砒鉱の採掘、製錬、製品の出荷は、昭和九年から同一四年まで及び昭和二一年から同二九年までは被告が行い、昭和二九年一二月から同三三年までは、被告から租鉱権の設定を受けた訴外糸永が行つていた。

二、原告等の居住歴

原告勝義、同シヅ子は昭和九年から同一四年まで同鉱山直下の鉱山社宅及び板谷川対岸の塊所部落内の住宅に居住していた。原告平川は昭和二三年から同四五年まで、同新名は昭和二九年から同三三年まで、同戸高は昭和三〇年から同四四年まで、亡武夫は昭和二八年から同三八年まで、いずれも塊所部落所在の鉱山社宅に居住していた。

三、居住環境汚染と原因行為

前述のとおり、本件鉱山は操業の全過程を通じ、亜砒酸、亜硫酸ガス等の有毒物質を排出し、右原告等居住地を含む付近の地域一帯を汚染した。その操業による汚染の態様の主たるものを、鉱業法一〇九条一項に規定する原因行為ごとに要約、再述すると次のようになる。

1、坑水若しくは廃水の放流

原告勝義、同シヅ子が昭和一一年から同一四年まで居住していた鉱山直下の社宅では、朝日二坑から流れ出る坑水を竹を二つに割つた樋で引き、飲料水・風呂水等の生活用水として使つていた。右坑水は朝日二坑内に堆積した砒鉱石粉じんあるいは砒鉱脈を通過したもので、砒素化合物を含んでいたことは疑いない。

2、山石若しくは焼滓のたい積

山石や焼滓を捨てる際、粉じんを防止する措置が全くとられていなかつたため、これを廃棄する際、亜砒酸等を含む粉じんが舞い上り、鉱山に通勤途上の労働者を汚染し、あるいはこの粉じんが風によつて鉱山直下あるいは塊所の住民や土壌・大気を汚染し、導水途中の右生活用水に混入した。

又、焼滓等は、佐賀の関精錬所に輸送するため、ケーブルにより、塊所の堆積場へ運搬したことがあるが、その際ケーブルから堆積場へ落下する焼滓等が粉じんとなつて舞い上り、付近の住民や土壌・大気を汚染した。更に焼滓等は塊所の道路補修のため道路に敷かれたことがあり、これは鉱業法一〇九条一項の「鉱さいのたい積」に当ると考えられるが、かかる行為は土壌を汚染し、又、自動車の通行、風等により砒素を含む粉じんが舞い上つて付近の大気を汚染した。

3、鉱煙の排出

本件鉱山の焙焼炉から大量の亜砒酸、亜硫酸ガスが排出されたことは既に述べたとおりであるが、この鉱煙は大気を汚染し、塊所部落等鉱山周辺の地域一帯の土地家屋、動植物、住民を汚染した。又右1の生活用水も鉱煙により汚染された。

四、原告等の鉱毒曝露

右各原因行為により、原告等は、

1、砒素化合物を含む水を飲食用、風呂等に用いたこと

2、亜砒酸等の粉じんが皮膚に付着したこと、呼吸器管を通じて亜砒酸、亜硫酸ガスを吸入したこと

3、亜砒酸等に汚染され粉じんの付着する枯木を燃料に用いたため、昇華した亜砒酸を吸入したこと

4、亜砒酸等に汚染された農作物を摂取したこと

等の経路を通じて健康を侵されたのであり、この健康障害はいまなお継続中である。

五、結論

以上から被告が原告等に対し、鉱業法一〇九条一項及び四項にもとづきその損害を賠償する義務を負うことは明らかである。

六、鉱業法一〇九条の責任の主体

なお、仮に、戦前の本件鉱山においては、訴外黒木が請負によりその亜砒酸製錬作業を行つていたもので、被告が直接これを行つていたものではないとしても、鉱業法一〇九条の定める賠償責任は「当該鉱区の鉱業権者」が負うのであつて、その鉱業権者が操業を行つていることを責任発生の要件とはしていないものと解すべきであるから、鉱業権者たる被告はなお同条に基づく責任を免れ得ない。

このことは同法一〇九条一項の文理上明らかであるのみならず、同条各項の関係を検討すれば一層明らかとなる。すなわち、鉱業権者が操業を行わない場合の典型は租鉱権が設定されているときであるが、租鉱権が設定され租鉱権者の操業下に鉱害が発生した場合、同法一〇九条一項に基づく損害賠償義務を負うのは同条項のかつこ書きにより租鉱権者であつて鉱業権者ではない。しかしこの場合、鉱業権者は同条四項にもとづき租鉱権者と連帯して賠償すべき義務を負うのである。このように同法一〇九条各項は、重大な被害をもたらす鉱害の被害者を救済するために、操業を行わない鉱業権者にも賠償責任を負担させる構造になつているのである。

また、同法一一〇条二項によれば、鉱業権の譲受人が同法一〇九条三項にもとづく損害賠償義務を履行したときは、同条一項又は二項の規定により損害を賠償すべき者に対し、償還を請求することができる旨定められているが、これは鉱業権を実施していない鉱業権者が同条三項により、鉱業権の譲受を理由に賠償義務を負うことを予想した規定なのである。

被告の指摘する昭和二六年九月八日資源庁第五五〇号通達は鉱業法一〇九条一項、四項に関するものではなく、同法二項後段に関するものである。すなわち同項後段によれば、損害が二以上の鉱区又は租鉱区の鉱業権者(又は租鉱権者)の作業によつて生じたときは、いずれの作業によつて生じたか知ることができないときでも各鉱業権者(又は租鉱権者)が連帯して損害賠償の責を負うことになるが、この規定の解決として、鉱害の内容と作業内容との間に因果関係がないときには、その作業を行つた鉱業権者(又は租鉱権者)は賠償責任を負わないという、ある意味では当然のことを右通達は示しているのである。

第六節責任原因の競合について

以上述べたところから明らかなように、原告等に対する被告の責任原因は複数存在する。原告勝義を例にとると、同原告が亜砒酸等に汚染された形態は二つに大別することができる。一つは労働過程においてであり、一つは居住環境の汚染によるものである。前者に対応する責任原因は債務不履行(もしくは不法行為)であり、後者のそれは鉱業法である。従つて、同原告の健康被害は、両者があいまつて発生させたものであるから、いずれか一方の責任のみで、健康被害全部につき被告に責任を負わせることができるかという問題が生ずる。

この点については次のように解すべきである。

第一に、原告等の罹患する慢性砒素中毒症、じん肺の健康障害は不可分一体のものである。労働過程において吸入した亜砒酸等により発生した健康障害と居住環境の汚染によるそれを区分することはできないし、仮に区分し得たとしてこれらを単純に加算したものが原告勝義の健康障害というわけではない。右二つの過程により吸入された亜砒酸等は相乗して作用し、一個の健康障害を生み出しているのである。第二に民法七一九条を類推すべきである。同条は数人が共同の不法行為によつて他人に損害を加えたとき、いずれが損害を加えたかわからない場合でも、全損害について各自賠償の責を負うという規定である。そしてこの行為の共同は客観的関連共同で足りるものと一般に解されている。本件の場合、労働過程における有毒物質の吸入と環境汚染によるそれとが、客観的には共同して一個の被害をもたらしたものである。

従つて、一個の責任原因が認められる以上、他の責任原因を理由とする請求が消滅時効等により否定されても、被告は不可分な健康被害全体について損害賠償責任を負うと理解すべきである。

第六章  損害

第一節損害総論

一、被害実態

1、原告等の疾病の特質

第四章病像で詳述したとおり、原告等を含め、本件鉱山元従業員らの鉱毒曝露の結果発生した症状は、慢性砒素中毒性を中心とした全身性の疾病で、不可逆的であるばかりではなく、長期にわたり、しかもそれらは年々悪化し、悪化の究極として、長期の潜伏期間を経て癌・悪性腫瘍が発生する可能性を強く有している。それは、単なる後遺症ではなくて現在進行形の疾病であるのみならず、対症療法に頼るほかなく、結局治療によつては根本的に治し得ないもので、しかも慢性気管支炎にあつては、病状を進めないように適切な治療を継続する必要があるものなのである。

原告等の疾病は、徐々に、あるいは、ある時期に急激に進行し、増悪する疾病であり、常に死の可能性を内在させているいわば「死に至る病」なのである。

2、被害の進行性と長期性

(一)、被害の進行性

原告等が罹患した疾病は、右に述べたとおりの特質を有しており、原告等被害者は、死と背中合わせの状態で生き永らえ、肉体を着実に廃疾へ、死へと追いやられつつ、治療してもなお回復の見込のない失意と死の不安との中で過ごしてきた。そして亡武夫ら死亡被害者は、最大の苦痛である死を迎えたのであり、生きている者は、今後もまた、後述する生活苦の中で、増悪の度を強める健康被害の治療を継続しなければならず、症状の進行に伴つて増大する後述のような生活被害に堪えつつ、迫り来る死の不安と闘い続けねばならないのである。

(二)、被害の長期性

本件鉱山の操業により健康を害された被害者はいずれも、鉱山操業中から亜砒まけ等の皮膚症状、咳・痰等の呼吸器症状、下痢等の消化器症状など全身にわたる症状の発生をみており、鉱山の操業が停止されて以降も現在まで、更に変化し増悪する多様な症状に苦しんできた。健康被害の発生の早い者は戦前昭和九年ころには肉体的破壊が始まつており、遅い者でも昭和三三年の鉱山閉山時には発症している。現在まで少なくとも二四年余の歳月を被害者らは健康を害されてきたのである。その間、重症者は、鉱山操業中に喘息のような激しい咳をしながら死んで行つた。生存被害者らはむしろ砒素等の鉱毒に対する耐性が強かつたが故の「生き残り」であると言えよう。それも生き長らえたためにより長く、年々重くなる疾病に苦しむことを強いられている者達である。

3、被害の拡がり

(一)、日常生活の破壊

(1)、原告等に生じた健康被害のうち、亜砒まけは不眠の原因となり、その他健康障害もまた、日常生活において生活機能障害となつて出現する。朝起きて夜寝るまでの原告等の生活、就寝中の不眠の苦しみは、健康人が想像することのできないものである。原告等の一日二四時間の営みを順を追つて思い巡らし、個々の症状のみならず、全身の症状が常住坐臥の挙措動作に及ぼす影響の大きさを謙虚に推測することが必要である。しかも、それは、必ずしも目に見える障害となつて現われる訳ではなく、むしろ、目に見えず、従つて数量化できない障害と苦痛とが大部分を占めていることを忘れてはならないのである。

(2)、原告等の健康障害は当然に労働能力の低下、喪失をもたらした。

原告勝義は呼吸器障害により著しい労働能力低下を来し、戦後は妻に生計をほとんど頼つてきた。多発性神経炎による運動失調は、細かい手仕事を不可能にしている。昭和三六年脳卒中で倒れて以降は寝たきりで妻の介護を欠かせない。

原告シヅ子は著しい多発性神経炎のために、調理、裁縫等日常動作に障害があり、呼吸器障害による動作時の息切れがあつて肉体労働も細かい仕事もできない。

原告平川は、多発性神経炎があり、その他の全身症状と併わせて、労働といえるものはできない状況であつて、かなりの労働制限を受ける。

原告戸高は手足の知覚障害、中枢神経の機能低下により知的な仕事ができず、全身障害のため肉体労働、手先の仕事もできない。

原告新名は鼻閉、嗅覚低下の影響もある全身倦怠、物忘れ、集中力欠如等及び、運動失調、呼吸器障害により、細かい手仕事も、肉体的な労働に就くこともできない。

亡武夫は昭和四七年の専門委員会健診により、昭和四九年二月にじん肺管理四に認定されていたが、これは診断当時すでに終身労務に就くことができないほど呼吸器症状を中心とする全身障害が悪化していたことを示している。

(3)、日常生活の破壊は、このように労働能力の低下に限らず、日常動作の障害に及んでいる。原告等が本件鉱山に就労せず、周辺に居住していなければ享受できたであろう経済生活は、前記の疾病によつて破壊された。

原告等の多くは、鉱山退職後、すでに肉体的な重労働が困難な状態であつたが、家族の生計を維持するために無理をおして林業に、農業、日雇い仕事に出向いていた。それもやがて症状の悪化とともに、より楽な仕事を求めて、日向市に或いは、実家に転居し、その後原告新名を除くすべての者が職を失うに至つた。

家族の生活は本来一家の支柱であるべき原告等が支えるのではなく、妻が働くことによる収入に頼つたり、生活保護を受けたりして維持されてきたのである。かかる経済生活の破壊が原告等にもたらした精神的苦痛は計り知れない。

(二)、家庭生活の破壊

(1)、本件鉱山の操業は、原告等のみならず、家族の健康も蝕んだ。

鉱山操業中、鉱山周辺居住時には原告の子供らは亜砒まけ様の皮膚症状が出て、切り傷ができると、化膿して治りにくく、風邪をひくと回復に時間がかかつた。のみならず、鉱山に働いていないにもかかわらず、現在もなお鉱毒の被害に苦しんでいる者もいる。

原告戸高、同平川、同新名の妻らはいずれも呼吸器系、循環器系の障害が生じ、現在も治癒していない。原告ツナ子も健康被害が生じている。原告勝義、同シヅ子もまた夫婦ぐるみの被害者である。本件鉱山元従業員らは家族ぐるみで鉱山に雇傭されることが多く、それが鉱山周辺の住民の生活の貧しさに由来していただけに、家族ぐるみの健康破壊は、直ちに家族の経済生活総体の破壊につながつたのである。

(2)、原告等の子供は、原告等の発症により、経済的基盤を奪われた。

子供は義務教育のみで高等教育も受けられず、そのために原告自身が今も苦しい思いを強いられている。

(三)、地域ぐるみの生活破壊

本件鉱山の操業が周辺地域、特に鉱山社宅のあつた塊所の居住環境を鉱毒で汚染したことは前に述べた。原告とその家族に止まらず、被害を受けたのは地域住民全体であつた。汚染は一方では農業被害となつて顕在化したが、他方で住民の健康そのものを侵した。また塊所地区には、本件鉱山が地元で雇傭した従業員が多く居住していた。鉱山操業中には、亜砒まけ、咳、痰の症状のある者が随所に見られ、塊所地区は健康被害者の集団を抱えた村だつたと言つてよい。「村全体が咳をしていた」と言うべきであろう。これはまさに異常である。被告は、原告らの生活を最も遠くで取り囲む地域社会さえ破壊したのである。

4、加害企業の違法性

(一)、被告が主張するように、戦前の操業開始時には金銀鉱の採掘を目的としていたとしても、本件鉱山の操業の現実は戦前戦後を通じて砒鉱石の採掘と、採掘現場における亜砒酸製錬であつた。鉱山で取扱う物質の中心は砒素という猛毒であり、製錬の過程で生ずる鉱煙、焼滓中に人体に危害を及ぼす物質が高濃度に含まれていることは、日本有数の非鉄金属鉱業会社である被告は十分に知悉していた。

およそ、鉱山の操業は、そこで働く労働者にとつて、落盤等の事故や、粉じん吸入による健康障害など身体の危険を伴うものであると同時に鉱山周辺地区の住民にとつても、居住環境の汚染の危険が内在するものである。日本において、早くから鉱山保安法が制定され、鉱業法の成立をみたのも、これら鉱山操業の危険性が認識されていたためである。まして、本件鉱山が砒素を取扱うものである以上、被告は操業の際に、鉱山労働者の身体の安全に対する高度の保護義務と、周辺住民の健康被害を防止する高度の注意義務を負つていたと言うべきである。しかも、鉱業界の最大手として、時代の最新技術を導入駆使してきたと自認する被告が、労働者と住民の健康被害を防止することは極めて容易であつたと言わねばならない。被告が労働者の健康被害防止に無関心でなかつたことは、じん肺発生防止の策を他の企業に先駆けてとつていたことからも窮い知れるところである。それだけに一層被告としては、本件鉱山の労働者、周辺住民の健康被害を容易に予見し、防止し得る立場にあつた。

(二)、被告にとつて、本件鉱山は、奥地山村に存在する小規模鉱山であり、生産性の低い事業所であつて、被告資本に利潤をもたらす限りにおいて稼働させ、鉱区状況や、製品価格が悪化すればいつでも切り捨てるべき存在であつた。戦前被告が本件鉱山を買収し、操業した期間の亜砒酸の価格の推移、戦後の亜砒酸需要の状況と照らし合わせると、被告の本件鉱山に対するこのような姿勢は明らかである。

戦前、戦後を通じて、被告の本件鉱山経営の形態は、労働力の現地調達と徹底した労働集約化である。鉱山の採鉱夫、製錬夫の殆んどは鉱山周辺の住民の安価な労働力を用い、臨時雇にしたうえ出来高制の賃金によつてコストの切り下げ、生産性の最大限の確保を図つている。そして、従業員らの健康保持のための防護具は戦前戦後を通じて、全くと言つてよいほど支給されておらず、鉱煙は排出するに任せ、焼滓は野天に投棄されている。周辺住民に対してはもちろん、鉱山労働者に対しても安全配慮措置の一片だに見出せないのである。

昭和二九年の鉱山撤退に際しても、従業員の殆んどを所長の品川眞止と共にそつくり訴外糸永に引き継ぎ、坑内設備、製錬設備一切を何ら手を加えないまま譲渡するという最も安易な方法によつている。

被告は昭和四六年六月、本件鉱山の鉱業権を放棄したが、実質は昭和三三年五月訴外糸永の租鉱権放棄により本件鉱山の操業が中止されており、その後の鉱山の管理は被告が行つてきている。ところが被告が鉱山跡の改善、改修措置をとつたのは、昭和四六年一一月西臼杵郡高千穂町の旧土呂久鉱山の亜砒酸製錬による被害が告発され、社会問題化された後宮崎県が急拠出した改善指示(昭和四六年一二月二〇日付)に応じたものが事実上最初である。それまでは、被告は、焙焼炉の集砒室内に残留した亜砒酸さえ放置していたのであつて、このこと一つとつてみても、如何に被告が本件鉱山周辺地区の汚染防止に意を用いていなかつたかが明瞭である。

(三)、原告等をはじめとする本件鉱山元従業員、周辺地区居住者の被害はかかる被告の企業利潤最優先の姿勢によつて、起こるべくして起こつたものである。被告は被害を最も容易に予見し最も容易に防止し得る地位にあつたにもかかわらず、企業利潤のために敢えて労働者と周辺地区住民を犠牲にした。労働者も住民も、科学的専門知識を持たないばかりか、貧しい山村の収入としては高い鉱山の賃金に誘われて、毒物の中に身を置いたのである。

被告は、従業員採用にあたつても、何ら砒素の危険性を説明せず、就労する労働者に砒素等の鉱毒曝露防止上の注意をもしなかつた。かえつて、被告が安価な労働力を確保するために砒毒の有害性を陰蔽しようとしたとの疑いすらある。

(四)、被告は昭和四八年三月の原告平川らの慢性砒素中毒症認定後も、低額の見舞金を支払つただけで原告らの損害賠償請求を拒否し続け、現在もなお病像そのものから争つている。この被告の態度が原告らの精神的苦痛を増大させたことは言うまでもない。

原告らは、かかる被告の態度に照らして、損害賠償を請求し、権利を実現することが直接の交渉によつては不可能であるため、医師ら専門家の診断を受け、弁護士に依頼し、本訴を提起せざるを得なかつた。

5、被害発生の構造

(一)、本件被害発生の構造を検討してゆくと、本件が交通事故等の一般の人身損害と異なり、公害訴訟でつとに指摘されてきた公害事件の発生構造と共通するものを内在させているのに思い至る。

新潟水俣病判決は、公害事件の特質について、①加害者と被害者の非交替性、②住民の被害の非回避性、③被害が広範囲で、不特定多数の住民に被害を及ぼすこと、④環境汚染の特色として家族の全員または大半が被害を受け、一家の破壊をもたらすこと、⑤加害行為によつて企業は利益を受けるが被害者は何ら直接の利益がないこと、の五点を挙げて損害額算定の根拠とした(新潟地裁昭和四六年九月二六日判決判例時報六四二号)。

(二)、本件はいわゆる純然たる公害事件ではない。被害者はその大半が本件鉱山の元従業員であり、その意味では労災事件の側面もある。しかし、原告等を含め被害者は同時に鉱山に近接する部落あるいはその中の鉱山社宅に居住していた住民でもあり、他方で、地元にいたが故に加害企業たる被告に雇傭されあるいは、被告から操業を引き継いだ訴外糸永に雇傭されて鉱山労働者となり、もしくは、被告・訴外糸永に雇傭されたために鉱山周辺地区住民になつたものであつて、労働者としての被害と住民としての被害とは別個に切り離せないものがある。その意味で本件は公害事件としての側面を有している。このような本件に即して被害発生構造を整理すると次のようにいえる。

第一に、加害者と被害者の非交替性である。交通事故等の他の通常の生命・身体の被害と異なつて、加害企業の被告が企業利潤をあげるための人的・物的設備を有し、これを稼働せしめた故に初めて本件被害は発生した。従つて被害発生は被告企業の人的・物的構造に由来するもので、被害者が、加害者にとつて替る可能性は全くない。

第二に、被害の無差別性非回避性である。本件鉱山操業による汚染は居住環境ぐるみのものであつて、被害者は住民である限り、被害を回避できなかつた。住民としての被害者は、何ら被害発生について過失はない。

第三に、被害が家族ぐるみで生じていることである。原告らの家族もまた、居住環境汚染の犠牲者であり、原告らの家族の健康は総体として破壊された。

第四に、被害の一方的偏在、利益の一方的偏在である。被告は本件鉱山の操業によつて企業利潤を追及し、その過程で労働者、付近住民のみが被害を受けた。被告が被害を受けた事実は全くない。

第五に、責任の一方的偏在である。被害の発生について、これを防止し得る立場にあつたのは被告企業のみである。被害者は労働者としてであると住民としてであるとを問わず、科学的知識に乏しく、鉱毒曝露の危険性を知り得なかつたのに反し、被告は鉱業界の最先端を行く技術水準を有し、採鉱、製錬の設備面でも、労働者の身体防護措置の面でも、汚染を最少限に抑えられる知識に欠けるところはなかつた。しかも、鉱山で主に取扱う砒素の毒性についても十分に認識していた。にもかかわらず、被告は利潤追求の故に汚染・鉱毒曝露の防止措置を殆んどとらなかつたばかりか、曝露の危険性を労働者・住民に知らしめることすらしなかつた。被害は被告ひとりが創り出したと言つてよい。

(三)、これらの本件の特質は損害の評価、損害額の算出の際に当然に考慮されるべきものである。交通事故の民事賠償は被害発生が偶然的で、加害者・被害者の立場の互換性もあり、自動車交通の発達による利益は加害者・被害者が等しく享受している半面として、これに伴う損害も公平に負担すべきであるとする公平負担の原則が働くのに対し、本件のような労災ないし公害事件の損害賠償は、被害発生の構造が全く異なるのであるから、必然的に加害者の非難可能性を増大させると共に被害感情はより深刻となり、損害自体としても高額の評価をすべきものなのである。

二、損害評価論

1、包括的損害

(一)、本訴において原告等が被告に対して求めているのは、原告等が鉱毒に曝露したために受けた健康被害に対する金銭賠償である。原告等の罹患した疾病は多岐にわたる重篤な疾病であり、そのために被つた被害は家族生活を含む全生活に及んでいる。それらの被害は、健康障害に伴う労働能力の喪失、医療費、肉体的苦痛、或いは日常生活に生じる支障、など、「例えば」という前提を付して個々の項目を挙げることはできても、そのそれぞれを個別に分けて評価し得ないものである。被害の各項目は相互に関連し合い相乗的に作用して更に被害を拡大していくものである。それ故に、原告等の被つた損害は健康被害に端を発してはいるが、有機的に関連し合う全体として一個の損害であつて、個々の項目毎に損害を評価し、これらを合算して損害額を決定することは許されず、包括して一体的に評価しなければならないものなのである。

(二)、原告等の健康被害は究極において死という結果を包含する。原告等の本訴請求の動機は失われた生命を返せ、鉱毒に侵され、かつ、侵されつつある身体を元に戻せ、という原状回復を基本とする。然るに、原告等の健康被害は、原状に復することが不可能であるが故に、本訴請求もまた、原状回復に代わる金銭賠償の形式をとらねばならなかつた。これは、請求の原因たる法律構成が雇傭契約上の安全配慮義務違反であるか、不法行為であるか、或いは鉱業法に基づく賠償請求であるかを問わず、人身損害の賠償請求訴訟の宿命である。

身体被害を金銭で賠償することは、あくまで一つの擬制でしかない。現行損害賠償法が、金銭賠償の原則(民法四一七条)をとつているとしても、それは、人身損害の場合、原状回復が不可能なために、二次的に金銭賠償を通じて、過去の被害を償うとともに、将来も身体被害による生活総体の破壊を最少限にくい止めて被害がなかつた状態、円満な社会生活に近い状態を保障しようとしたものに他ならない。金銭賠償によつて被害そのものを消滅させること、すなわち、完全賠償はあり得ないのである。

従つて、原告等の被害を金銭に評価する際、身体被害がなかつた状態に如何にして近づけるかという視点を忘れてはならないのである。

(三)、本訴において原告らが請求しているのは、本件鉱山操業により健康を蝕まれた者の被つた右のような生活総体の包括的な損害の賠償である。

2、包括一律請求について

(一)、本訴請求は包括一律請求である。

(1)、右に述べたような特質を有する原告等の損害賠償の方法として、伝統的な人身損害の賠償請求訴訟のような、逸失利益・治療費・休業損害・慰謝料その他を各人毎、個別項目毎に算定して積算する個別損害積上げ方式を採るのは相当でなく、原告等の損害がいずれも身体の損害に止まらず生活総体の包括的な損害であることに鑑みれば、その一部を慰謝料という形で原告ら六名一律に定めるべきものである。

このような請求方式をとつたのは、本件のような大量かつ重大な健康被害に基づく損害の評価方法として、これが唯一正しい方法であるからに他ならない。その理由は次のとおりである。

(2)、まず包括的損害の一部請求である点については、

第一に、原告らの本来の要求は生命・身体・あるべき幸福な生活を返せという原状回復であるが、現実にはそれが不可能であるために、やむを得ず、「人命・人身の対価」を金銭で請求するものである。人命・人身は本来価値を金銭に見積もることのできないものであり、まして、その侵害を個別損害の費目に換算できないものであるが、具体的に被害実態をみても、被害は肉体的・精神的・社会的・家庭的被害のすべてに及び、かつ相互に関連し合つて無限に拡がるのが通常である。従つて損害は包括的に生活総体の破壊として評価する以外にはなく、金銭に評価すれば包括的損害の一部の評価としかなり得ない。

第二に、本件被害は、健康被害のみをとつてみても、症状が進行し、かつ長期にわたるもので、これに伴う精神的苦痛をはじめとする生活破壊もまた、一回的傷害で治癒もしくは症状の固定に至つて進行を止める交通事故等の他の人身損害とは異なるために、個別の損害を過去から将来にわたつて主張し、立証することは不可能に近い。この点からも、請求は控え目でかつ損害の一部に限定しての請求とならざるを得ない。

(3)、次に、一律請求である点については、

第一に、被害が進行し、長期にわたり、かつ包括的であることは、本件被害者すべてに共通であり、被害の実体は等質である。人命・人身の価値は本来平等であるとの言をまつまでもなく、被害者たる原告相互間に差を設けることはできない。このことは、生存被害者と死亡被害者との間でも同様である。死亡被害者は長期にわたつて苦しみ抜いた結果健康被害の究極である死をもつて損害の拡大を終了させた。生存被害者は、いずれ、死に至る全身的重篤な被害に現在も苦しんでいるもので最終的に将来死亡して損害の拡大を終了させるのであつて、その終了期が到来していないというにすぎない。本件では、被害発生から現在、そして将来の損害を併せ請求したのであるから損害の評価方法に差を設ける理由はない。ただ後述の諸事情を考慮して著しい差があるときにランクを設けることがあり得るだけである。

第二に、被害発生の構造が、本件原告等に共通である。その前提たる健康被害の原因、侵害態様も本質的には差異がない。

第三に、本件は、交通事故のような個人間の紛争処理と異なり、等質の被害を被つた者が同一加害者に対してなす集団訴訟であるから、個別的不法行為訴訟と異なり、損害の個別項目毎の評価をして差を設けるべきではない。このことは一括一律請求ないし包括一律請求がいわゆる四大公害訴訟(新潟水俣病、イタイイタイ病、熊本水俣病、但し四日市ぜんそく事件は除く)、大阪空港公害訴訟、熊本水俣病第二次訴訟、クロム訴訟、クロロキン薬害訴訟の各判決、一連のスモン訴訟(北陸、東京、福岡、広島、札幌、京都、静岡、大阪、群馬)判決で明示的もしくは実質的に認められたことにより集団的人身損害賠償訴訟の実務に定着したといつてよい。

(二)、本件請求は慰謝料としての請求である。

原告らは、前述のような生活総体の包括的な損害につき、その財産的と非財産的とを問わず、以下のような事情を斟酌して、包括的に賠償額を算定し、これを、その補完的機能を拡大した意味での慰謝料として請求するものである。

そして右慰謝料算定の際の斟酌すべき事情とは、

① 被害の程度・態様・人身障害の部位(全身性)

② 被害の継続期間、進行性・治癒の見込、将来への不安

③ 被害により生じた生活障害、失つた職業等

④ 原告等が家族の中に占める地位・家族の健康被害

⑤ 侵害行為の態様、加害行為の動機、過失の程度

⑥ 加害者の資産状態が高額の賠償に耐えられること

等であり、これらの点で原告等にはいずれも斟酌する事情に差異を設ける理由がない。

なお、後記の算定額は、本訴において現われた限りの主張及び立証の限度で算定したもので、これで、前記包括的損害すべてを慰謝料に算定したのではないから、あくまで原告等の損害の一部を控え目に算定したものである。

第二節損害各論

一、原告勝義

1、従業、居住歴

(一)、従業歴

原告勝義(以下本項では単に「原告」という。)は、明治三七年八月二六日生であるが、昭和九年春から同一四年鉱山休鉱まで本件鉱山において、採掘された鉱石を坑口付近の選鉱場から製錬場へ運搬する作業、製錬作業、焼滓を製錬場から「やえん場」まで運搬し投棄する作業に従事した。

(二)、居住歴

原告は昭和九年から同一一年までは塊所部落に居住し、以後昭和一四年鉱山休鉱までは、鉱山真下の鉱山社宅に居住した。

2、健康被害

(一)、鉱山就労時の健康障害

原告は本件鉱山に就職する以前は山仕事、馬車引などの重労働に従事しており、頑健な身体を有していた。ところが鉱山に勤務してからは、次のような症状を呈するようになつた。

嗄声、咳、痰、喉の痛み、鼻汁、鼻血、嗅覚低下、眼脂、亜砒まけ、吐血、下痢、腹痛、脱毛、頭痛、左眼視力低下。

(二)、鉱山退職後の健康障害

同鉱山退職後、原告の前記各症状のうち、腹痛と亜砒まけは次第におさまつたが、他の症状は改善しなかつた。退職後顕著になつたのは手足のしびれである。足の指先からはじまり大腿部、両手、両腕がしびれて感覚を失うようになり、手足に寒さを覚えるようになつた。そして食欲不振、疲労感、全身倦怠感、めまい等が次第に増悪し、又左眼視力低下が進行して失明にまで至つたため、鉱山退職後勤めていた吉本鉱山での労働(採鉱作業)に耐え得なくなり、昭和一六年には退職せざるを得なかつた。その後農作業、林業に従事していたが、前記症状は悪化の一途をたどり、かかる労働も難しくなつたため、昭和一八年からは、軽易な日雇労働につくことになつた。このころから、原告の腹部は異常に腫れ、食事もすすまず、食後は息苦しくて体を横たえなければ我慢ができなくなつた。また歯が途中から欠けはじめ、やがて歯根がゆるんで抜けるようになつた。現在残つている歯は四本だけである。

昭和一九年ころ原告は日向市の岡村医院で診察を受けたことがあるが、医者に、肝臓が悪く、腹膜が腫れ、気管支炎、胃腸障害、神経炎等多彩な症状が見られると指摘され、入院を勧められた。しかし経済的理由から入院はできなかつた。

昭和三一年ころには原告は、右各症状が重くなつたため働くことができないようになり、生活保護を受けるようになつた。昭和三六年原告は脳卒中の発作が起きて、左片麻痺の後遺症を被り、以後今日まで寝たきりの生活を送つている。右脳卒中は、慢性砒素中毒の結果生じた脳の中小動脈の内膜の肥厚化に起因するものである。

なお、原告は、昭和四八年三月八日宮崎労働基準局から慢性砒素中毒症の労災認定を受けている。

(三)、原告の現症(診断所見)

(1)、自主検診医師団の診断所見

昭和五一年三月に実施された自主検診医師団の検診によれば、原告には次のとおりの症状が認められる。

鼻中隔の局所的稀薄化、わん曲、皮膚障害(色素沈着、白斑、角化、たいこばち状の爪、腋毛の脱落、頭髪の稀薄化)、多発性神経炎(四肢の末梢に両側性の知覚鈍麻、しびれ感、運動失調)、呼吸器系症状(慢性気管支炎、肺性心、じん肺所見(線網粒状影)、視力障害(左眼は失明)、嗅覚鈍麻、歯牙の崩壊、歯ぎん炎、左片麻痺(脳卒中後遺症)、難聴、耳鳴、嗄声、その他るいそう、衰弱、食欲不振、頭痛、めまい、痰などの自覚症状、

右のうち、左片麻痺については鉱毒の影響は不明とされているが、後記堀田医師によれば、脳卒中は砒素によるものである。

(2)、堀田医師の診断所見

昭和五〇年原告を診察した堀田医師の診断所見によれが、原告の症状は次のとおりである。

慢性気管支炎、慢性胃腸炎(下痢、腹痛等)、慢性鼻炎、多発性神経炎、求心性視野狭窄、視力障害(左眼失明)、脳循環障害(左片麻痺)、両側性難聴、嗅覚脱失、味覚障害、貧血、皮膚症状(散在性色素沈着、白斑)、歯の障害、鼻中隔瘢痕、わん曲。

(3)、じん肺健康診断所見

原告は昭和五五年九月二九日長門医師に、じん肺健康診断を受けたが、その結果、エックス線所見において、PR1/0、F+の不整形陰影が見られ、管理区分の二のじん肺に罹患し、あわせて、気管支炎も伴つていると診断された。

右長門医師作成の診断書及びエックス線フィルムを鑑定した医師佐野辰夫(以下「佐野医師」という。)によれば、原告には、慢性気管支炎の継続により生ずる肺気腫の全般的な発生によつて、肺機能の強い低下が存在すること、この肺気腫を主体としたエックス線像が、粒状影ではないことから、肺気腫、じん肺の原因が吉本鉱山ではなく本件鉱山での労働(亜砒酸曝露)により生じたものであることが明らかになつた。

(四)、原告の健康被害の特徴

本件鉱山の鉱毒に起因する慢性砒素中毒、じん肺等の健康障害は、多彩な全身症状を呈し、不可逆的に進行していくものであるが、この事実が右に述べた症状の経緯によく現われている。ことに原告は脳卒中による左片麻痺のため終始寝たきりの状態にあるものであつて、原告らの中ではその症状の程度は重篤だとは言わねばならない。又、原告の健康障害は右に述べた既存の症状にとどまるものではなく、今後増悪することが予測されること、更には癌その他の新たな症状の発生する危険性にさらされていることを考えれば、原告の被つている健康障害は、現症として現われているものにとどまるものではないのである。

3、原告の被害実態

原告の健康障害によりもたらされた家庭生活、経済生活の破壊の状況については、原告の妻である原告シヅ子の項で述べるのでここでは省略する。

二、原告シヅ子

1、従業、居住歴

(一)、従業歴

原告シヅ子(以下本項では単に「原告」という。)は、原告勝義の妻で、明治四五年三月一日生であるが、昭和九年春ころから同一四年鉱山の休鉱まで本件鉱山において、塊所部落の倉庫から対岸の鉱山製錬場まで精製炉焙焼用燃料の木炭及び空箱を運搬する作業、製品(亜砒酸)を詰めて梱包した木箱を製錬場から対岸の塊所部落にある製品倉庫まで運搬する作業に従事していた。

(二)、居住歴

原告勝義の居住歴と完全に一致するので省略する。

2、健康被害

(一)、鉱山就労時の健康障害

原告は本件鉱山に就職する以前は体が丈夫で医者にかかつたりすることはほとんどなかつた。ところが同鉱山に勤務するようになつてからは、目に見えて体の具合が悪くなり、種々の症状を呈するようになつた。その症状の内容は夫原告勝義と一部を除けばほぼ共通しており、程度は若干夫より軽かつた。具体的な症状は次のとおりである。

嗄声、咳、痰、喉の痛み、鼻汁、鼻血、嗅覚低下、眼脂、亜砒まけ、下痢、腹痛、脱毛、頭痛、手の爪の生え際の逆むけと化膿。

(二)、鉱山退職後の健康障害

同鉱山退職後原告の前記症状はほとんど軽快しなかつた。退職後発生したのは手先足先のしびれで、それは次第に腕、大腿部、腰部にまで及んできた。そして食欲不振、疲労感、全身倦怠感が次第に増悪するようになつた。昭和一八年ころからは原告は夫と同様、歯が途中から折れて欠け始め、やがて歯根がゆるんで抜けるようになつた。原告はこのころ日雇で農作業の手伝いに従事していたが、草取りの仕事をするにも立つとめまいや立ちくらみが頻繁に起こり、そのため坐つた姿勢で作業を続けなければならなかつた。そして軽易な労働に服することすら難しくなるほど前記症状は次第に悪化した。腋毛も四〇歳ころには全部脱落した。

原告は昭和三一年から同三六年まで肺結核で入院していたが、退院後腹痛がひどく、富島診療所を訪れたところ、山中医師に肝臓が腫れており、胆のうも悪いと指摘され、一週間に一度位の割合で通院加療を受けた。そして次第に嗅覚が低下した。

なお、原告は、昭和四八年三月八日宮崎労働基準局から慢性砒素中毒症の認定を受け、更に同五三年五月には、慢性砒素中毒による続発性気管支炎の認定を受けている。

(三)、原告の現症(診断所見)

(1)、自主検診医師団の診断所見

昭和五一年三月に実施された自主検診医師団の検診によれば、原告には次のとおりの症状が認められる。

鼻粘膜萎縮、皮膚障害(色素沈着、白斑、角化が著しく、腋毛は全部脱落)、多発性神経炎(四肢の末梢に両側性の知覚鈍麻、しびれ感、運動失調)、呼吸器系症状(慢性的な咳、痰、息ぎれ、線網粒状影を疑うエックス線所見、慢性気管支炎)、視力障害、眼脂過多、嗅覚麻痺、歯牙の崩壊、その他吐気、咳、痰、腹痛、頭痛、易疲労感などの自覚症状。

(2)、堀田医師の診断所見

昭和五〇年原告を診断した堀田医師の診断所見によれば、原告の症状は次のとおりである。

慢性気管支炎、慢性胃腸炎、慢性鼻炎、多発性神経炎、求心性視野狭窄、難聴、嗅覚障害、皮膚症状、右の外自覚症状として、頭重、全身倦怠感、耳鳴、四肢脱力、易疲労、物わすれ、めまい、腹痛、下痢、咳、痰、喉の痛み、眼脂過多、鼻水、鼻閉、鼻出血、動悸等。

(3)、じん肺健康診断所見

原告は昭和五五年九月二九日長門医師にじん肺健康診断を受けたが、その結果エックス線所見においてPR0/1、F+の不整形陰影が見られ、管理区分一のじん肺に罹患している旨診断された。右の診断書及びエックス線フィルムを鑑定した佐野医師によれが、原告のじん肺はPR0/1ないし1/0に該当し、フローボリュームカーブと右肺下部の呼吸音があらいことから、慢性気管支炎の存在も争えない。

3、原告の被害実態

原告と原告勝義は夫婦であり、生活における被害を共通にしているので、両名をまとめて述べることにする。

(一)、原告両名は本件鉱山勤務中に前記のような健康障害を被り、それが次第に進行、増悪したため、次第に労働能力を失いついには軽易な労働に服することも難しくなつた。原告両名は、昭和一四年本件鉱山退職後、吉本鉱山に勤務し、原告勝義は採鉱、同シヅ子は選鉱の作業に各従事したが、前記のとおり、症状はほとんど改善されずかえつて、食欲不振、疲労感、全身倦怠感、手足のしびれの増悪等のため、昭和一六年同鉱山を退職し、以後農作業、林業に従事した。しかし症状の進行によりかかる仕事もできなくなり、昭和一八年から原告両名は日雇いで土方仕事、農家の手伝などをして暮しを立てた。右転職により原告両名の収入が次第に減少してきたことは言うまでもない。

(二)、そして原告勝義の症状は日を追つて重くなり、日雇仕事に出る日数も次第に減少し、昭和二〇年ころからは、就労不能となつたため、原告シヅ子が前記各症状を有する体にむち打つて日雇労働を続けた。原告両名と子供五人の生活は原告シヅ子のわずかな収入で支えられていたが、その収入は不安定で、その日暮しの貧しい生活を送らざるを得なかつた。医者にかかる費用すら捻出できず、昭和一九年ころ原告勝義が、医師から入院を勤められたときも、入院を断念し、薬草のみで治療するしかなかつた。

(三)、子供の学資の工面などは不可能であつた。三男和幸は昭和三〇年三月中学校卒業と同時に高校入試に合格していたが、学資がないため、進学を断念して就職しなければならなかつた。長女、次女は経済的に無理なことを知つて初めから高校を受験しなかつた。

(四)、やがて原告シヅ子の健康障害が重くなり、就労が困難になつたため、原告両名は昭和三一年三月から生活保護を受給し、既に就職していた長男、三男の援助を加えてようやく生計を維持した。

(五)、その後昭和三一年七月、原告シズ子は肺結核に罹患し、昭和三六年九月まで国立赤江療養所で入院治療を受けたが、退院間もない同年一二月、今度は原告勝義が脳卒中で倒れ、左片麻痺の後遺症を残すことになつた。

(六)、以後今日まで、原告両名は生活保護を受給し、原告シズ子が寝たきりの原告勝義の身の回りの世話をするという生活を続けている。しかし、原告シヅ子も多彩な健康障害を有しており、知覚障害のため風呂の湯かげんがわからないとか、嗅覚脱失のため煮物が焦げても煙が出て初めて気付くとか、多発性神経炎のため料理の際庖丁を上手に扱えず誤つて指を切るとか、スリッパがはけないとか、ささいなものにつまずいてすぐ転倒するとか、日常生活上における苦労が少なくない。右以外に、原告両名とも多彩な全身症状を有していることは既述のとおりである。

(七)、以上述べたとおり、本件鉱山が原告両名にもたらしたものは、全身にわたる進行性の重篤な健康障害であつたが、これは原告両名の労働能力を失わせて、生活の経済的基盤を崩壊して貧困を招き、健康障害と貧困とがあいまつて、鉱毒には汚染されていなかつた子供達も含め家庭そのものを破壊したのである。

三、原告平川

1、従業、居住歴

原告平川(以下本項では単に「原告」という。)は大正五年一二月二〇日生であるが、昭和二三年四月から昭和三三年の閉山に至るまで本件鉱山において製錬夫として亜砒酸製錬作業に従事した。そして、昭和二七、八年頃に鉱山の製錬夫が粗製班と精製班に分けられて以降閉山に至るまで原告の従事した製錬作業は、精製班としてのそれであつた。

また、原告は昭和二三年四月に被告に雇用されて以降昭和三三年の鉱山閉山に至るまで、板谷川をはさんだ本件鉱山の対岸の鉱山社宅に家族と共に居住した。

2、健康障害

(一)、鉱山就労時の健康障害

原告は本件鉱山に勤務する前は力が強く身体も頑健であつた。ところが鉱山において、製錬作業に従事し始めてからは以下のような症状が現われた。

咳、痰、喉の痛み、鼻汁、鼻づまり、鼻出血、眼脂、亜砒まけ、胸やけ、便秘、下痢、食欲不振、眉毛脱毛、歯牙脱落、嗅覚低下、息切れ、動悸、その他体力が弱つて風邪をひきやすくなり、一度風邪をひくとなかなか治らなかつた。

(二)、鉱山退職後の健康障害

鉱山退職後には、鉱山就労中に原告に発症した前記のような症状のうち、亜砒まけはなくなつたものの、咳、痰は治らず、他の症状も治癒しなかった。

鉱山退職後昭和三八年までは地元塊所で植林作業に従事し、昭和三八年から同四〇年までは男鈴鉱山で錫鉱石の運搬を行つた。いずれも軽い作業であつたが、昭和四〇年に同鉱山をやめたのは、鉱山での軽作業(トロッコ押し)と、自転車通勤に耐えられなかつたためである。昭和四〇年から同四四年まで再び植林作業に従事し、昭和四五年、日向市に転居してから同五〇年まで同市内のオガライト工場でボイラーのスイッチを押すだけの乾燥係として働き、以後は無職である。この転職の経過をみると、原告の身体が次第に弱くなり、労働に耐えられなくなつていつたことがわかる。

原告は昭和三七年全身に吹出物が生じ、塊所の中之又診療所に六か月間、日向市の病院に一か月間通院、昭和四五年肋間神経痛の電気鍼治療を日向市の病院で受け、昭和四六年には胃潰瘍、肋間神経痛、貧血のため六か月間入院治療、昭和四七年から同四九年まで同じく胃潰瘍、肋間神経痛、貧血の治療のため通院している。更に、昭和四八年から現在まで日向市の二木病院に右症状と気管支炎の治療のため通院し投薬治療を受けている。

なお、原告は、昭和四八年三月八日宮崎労働基準局から慢性砒素中毒症の労災認定を受け、更に同五二年三月には、慢性砒素中毒による続発性気管支炎の認定を受けている。

(三)、原告の現症(診断所見)

(1)、自主検診医師団の診断所見

昭和五一年三月に行われた自主検診医師団の検診によれば、原告には次のとおりの症状が認められる。

鼻中隔穿孔(直径1.5センチメートル)、皮膚障害(全身に色素沈着、白斑、耳介の色素沈着、爪の色素沈着・変形)、多発性神経炎(四肢末端の知覚障害が高度で左右対称性)、肝障害の疑(肝腫大(一横指))、末梢循環障害(手足のしびれ感があり、爪圧迫試験は3.0秒)、高色素性貧血、心肥大(左室肥大)、左難聴、慢性気管支炎(咳、痰、息切れの自覚症状を伴う。)、

(2)、堀田医師の診断所見

昭和五四年八月二二日原告を診察した堀田医師の診断所見によれば、原告の症状は次のとおりである。

鼻中隔穿孔(直径一センチメートル)、皮膚症状(胸、腹、背部、大腿部などに色素沈着、躯幹、下肢に白斑、手掌、足蹠に異常角化症、両眉毛脱落)、多発性神経炎(両上肢および両下肢に対称性に触・痛覚鈍麻(グローブ・ストッキングタイプ))、嗅覚低下、両側難聴、自律神経症状、慢性気管支炎、レイノー症状、慢性胃炎、歯の障害(歯牙脱落による総義歯)、軽度知的機能障害(記銘力低下、思考緩慢、集中力低下)、

(3)、じん肺健康診断所見

原告は昭和五五年九月二九日長門医師によるじん肺健康診断を受けたが、その結果、エックス線所見においてPR1/2の粒状影が見られ、じん肺管理区分二に相当するじん肺に罹患しており、気管支炎が存在すると認められた。

右の診断書及びエックス線フィルムを鑑定した佐野医師によれば、原告エックス線フィルムの陰影は不整形陰影であり、陰影としては軽い方であるが、肺に雑音を伴い、フローボリューム検査と併わせて、慢性気管支炎と診断され、肺機能の低下はかなり重いとされている。そしてこのじん肺の症状は、細気管支に機能低下の見られる慢性気管支炎型のじん肺で、原告の職歴から考えても亜砒酸を含む粉じんと製錬時に発生するガス等の刺激性物質によつて気管支の組織に変化を来した結果生ずるとされるのである。

このじん肺健康診断の結果は、原告の肺機能障害が本件鉱山における就労と鉱山付近に居住していた間に吸引した鉱煙、粉じんに起因することを示すとともに、この障害が砒素等の有害物質を含む粉じん、ガスの吸入により一方で慢性気管支炎型のじん肺の症状を呈し、他方、肺胞内に吸引され残留した粉じん中の砒素・重金属が長期間全身に原形質毒(細胞毒)として作用し、慢性砒素中毒症を中心とする鉱毒病の経気道汚染の経路となつたことを示している。

(四)、原告の健康被害の特徴

(1)、全身症状であること

以上に述べたような原告の健康被害は、現症をとつてみても、呼吸器系障害、循環障害、消化器系障害、神経系障害と極めて多岐にわたり全身にほぼくまなく生じている。この症状は、本件鉱山の元従業員と塊所地区居住者に見られる砒素を中心とした鉱毒に曝露された者の病像の典型である。同時に原告のこの症状は全身障害を一体として捉えて初めて正確に把握できるものである。自主検診医師団の河野弘道医師によれば、原告は、診断当時五九歳であつたにもかかわらず、全身的な老化現象のため七〇歳過ぎに見え、一般の六〇歳前後の人に比べて考えられないような健康障害を持つていたとされている。そして、日常生活でも、これらの症状を具有する原告の場合、軽作業以外の労働には従事できない状況であるとの判断が示されている。

原告の自覚症状をみても、個々の障害として手足のしびれ感、動悸、めまい、息切れ、不眠、全身倦怠感、易疲労感を訴えており、これが他覚的に一つ一つ切り離しては捉えにくい症状であることは明らかで、全身障害を一体として考えなければ合理性を欠くことは明白である。また、不眼、全身倦怠感、易疲労感、知的機能低下などは、その原因が神経症状や、咳、痰などの呼吸器系障害が複合して生じているばかりでなく、労働能力低下に基づく精神的苦痛にも起因していることは容易に推測できるのである。

(2)、症状の進行

原告の全身症状は、全体として着実に進行している。

慢性砒素中毒症が進行性のものであることと、じん肺が不可逆性、進行性のものであることとは、別々に切り離して考えるべきではない。それは、じん肺を引き起こした有毒粉じんが慢性砒素中毒症の進行性の要因ともなつているからである。原告の個々の症状の発症経過をとつてみると、その発症時期は区々であり、鉱山退職後も長期にわたつて徐々に発症して変化している。即ち、原告の自覚症状の発症は、鉱山就労中のものとしては亜砒まけ(鉱山就労開始時)、眉毛脱落(鉱山退職まで)、歯牙脱落(昭和三二、三年)、咳、痰の呼吸器障害(鉱山就労開始時)、全身のだるさ・動悸(昭和二七・八年)、胸やけ、下痢・食欲不振(鉱山就労後間もなく)、嗅覚低下(鉱山退職までの間)、鼻汁・鼻づまり・鼻出血・眼脂(鉱山就労後間もなく)があり、鉱山退職後のものとしては、手足のしびれ感(昭和四五、六年頃)、茶わんを落とすなどの触覚の障害(昭和五〇年頃)、難聴(昭和四五年頃)、などがあり、鉱山就労中に発症したものでも、亜砒まけは退職後発症せず、咳、痰などは鉱山就労中は三、四日休むと軽くなつていたが、退職後次第に慢性化し昭和五一年三月の自主検診時には慢性気管支炎の症状を呈するに至つている。また、現症にあるものでも、発症時期が不明なもの、例えば慢性胃炎、爪の変形、立ちくらみ、めまいなどがある。更に見落してはならないのは、全身倦怠感や易疲労感、不眠などは、これらの個々の症状が発症するに従つて増悪していることであり、それに応じて体力も低下していることである。原告は、鉱山就労開始時、社宅から製錬場まで一気に登ることができたが、昭和二七、八年頃には全身のだるさと動悸のため、通勤途中の山神社で休憩をとるようになり、鉱山退職後、一時軽快したものの、昭和五五年二月当時は歩いて山に登るのが困難なほどになつている。この全身にわたる体力低下、運動能力低下は昭和四八年の見舞金契約締結時と比べても、現在は更に増悪している。

以上のように、原告の健康被害は鉱山退職時に比べて悪化の一途をたどつており、それは、鉱山就労中の健康被害の後遺症として固定したものではなく、現在に至るもなお現在進行形で増悪する慢性砒素中毒症であり、じん肺を含む全身症状なのである。

3、原告の被害実態

(一)、原告はかかる健康被害によつて日常生活を健康な者と同様に過ごすことができなかつた。

昭和二七、八年頃から全身倦怠感と動悸のために鉱山への通勤に支障を感じるようになり現在では山に登ることすらできなくなつている。もちろん、全身倦怠感、疲労感、不眠のために現在では仕事に就くこともできず、通院を欠かすことはできない。夜中に呼吸困難となることもしばしばあり、妻が差し出す水を飲んでようやく息ができる程である。

昭和三〇年頃から食欲が衰え、現在朝食が食べられず、食事は一日二回に限られている。

現在では、立ちくらみがあり、昭和四五、六年頃からは寒いときに手足のしびれ感があつて、手足の先を揉みほぐさなければ感覚が戻らない。食事中も知覚異常のために茶碗や箸を取り落とし、妻に注意されることがしばしばであり、嗅覚もない。

(二)、原告は、前述のような健康障害のため、鉱山就労中から重労働に苦痛を感じるようになり、鉱山閉山に伴う退職後、婦人にもできるような軽い労働に従事せざるを得なかつた。すなわち、昭和三三年から三八年までは植林作業に、同三八年から四〇年までは男鈴鉱山でのトロッコ押し作業に、同四〇年から四四年までは再び植林作業の日役仕事に従事していたが、仕事が軽易であることは必然的に原告の収入の低下を生み、昭和三七年頃には東米良村からの生活補助を受け、原告の実兄から借金したこともあつた。

昭和四五年、原告は日向市に転居したが、原告にもできる楽な仕事としてオガライト工場のボイラー係をしており収入は当然に低く、昭和五〇年以降は労働に従事できなくなつている。

(三)、原告は昭和二二年五月二二日妻トシエと婚姻し、その後長男今朝光(昭和二四年八月二日生)、長女文子(昭和二七年一月八日生)が出生した。

原告は家族とともに昭和二三年から同四五年まで塊所に居住していたが、妻トシエも鉱山の排出する鉱煙と、粉じんにより咳・痰に悩まされた。しかも妻トシエは、労働能力の低下した原告を補つて働き、生計を維持することを強いられている。また、原告の二人の子供は、原告が十分に収入を得られないために高校進学を断念している。

働き盛りの身体を鉱山の就労と塊所居住による鉱毒汚染で蝕まれ、労働能力を奪われた原告は、一家の支柱としての役割を果たすことができなかつた。

四、原告戸高

1、従業、居住歴

原告戸高(以下本項では単に「原告」という。)は大正五年九月一五日生であるが、昭和三〇年二月から昭和三三年まで本件鉱山において製錬夫として亜砒酸製錬作業に従事した。原告が本件鉱山周辺(塊所)に居住したのは、原告が鉱山に勤務を始めた昭和三〇年二月から鉱山閉山後の昭和四五年八月までである。

2、健康被害

(一)、鉱山就労時の健康障害

原告は、本件鉱山に勤務する以前の健康状態は良好であり、昭和一七年に戦傷による受傷を除けば、特別重篤な傷病に罹患したことはなかつた。ところが昭和三〇年に本件鉱山に勤務してから後は、勤務開始後半年を経過後咳や痰が出はじめ、ついで勤務開始後七、八か月後からは下痢、胃痛等の胃腸障害が発症した。原告が鉱山に勤務していた期間(約三年間)には右健康障害のため、二か月半ないし三か月毎に一回の割合で通院治療を受ける状態であつた。

また、このころ頭髪の脱毛が生じはじめた。

(二)、鉱山退職後の健康障害

原告は、鉱山閉山に伴う退職後は造林業の作業員として生計をたて、昭和四〇年から同四二年までの期間は東谷建設(同建設は、本件鉱山の鉱滓からベニガラ等を採取するために進出してきたもの)に作業員として雇傭され、その後は昭和五〇年三月ごろまでの間、関西方面で出稼労働者として建築工事等に従事した。しかし慢性砒素中毒の症状悪化のため、肉体労働の従事は困難となり、昭和五〇年七月より一年間生活保護をうけることとなつた(なお右時期前後ころ、約一年間出稼労働者を作業現場にあつせんする仕事をしている)。その後は、慢性砒素中毒の進行のため労働に従事することができず、現在は無職である。

この間の原告の前記各症状の経過は次のとおりである。即ち、咳等の呼吸器の障害は、退職後は一旦は軽快したが、昭和四二年以降出稼で建築工事に従事するようになつてから後は再び悪化し、今日に至つている。下痢等の胃腸障害についてみると昭和四五、六年ころより空腹感が欠如し、食事量は一日に1.2回程度に減少、昭和四八年ころ以降はアルコール類の摂取ができなくなつている。頭髪については昭和三八年ごろ全て脱毛した。なお鉱山勤務時には頸部等に亜砒まけを生じていたが、右については退職後はかかる炎症は治癒し、現在その跡をのこすだけである。

なお、原告は、昭和四八年三月八日宮崎労働基準局から慢性砒素中毒症の労災認定を受け、更に、同五二年には、慢性砒素中毒による続発性気管支炎の認定を受けている。

(三)、原告の現症(診断所見)

昭和五一年の自主検診医師団による検診の結果、原告には次のとおりの症状が認められる。

皮膚障害(下腿部の色素沈着、白斑、角化症、後頭部の色素沈着、耳介部の色素沈着、爪の変形、色素沈着、頭部の著明な脱毛症)、眼脂、鼻粘膜潰瘍形成、嗅覚低下、咽頭部の暗赤色発赤・びらん形成、口内炎、嗄声、多発性神経炎(痛感過敏並びに低下、振動覚低下、触覚低下)、下肢末端の冷感、軽度チアノーゼ、レイノー症状、慢性気管支炎(呼吸器音減弱、肺気腫様胸写、線網状影増加)、

堀田医師もほぼ同様に診断している。

また、昭和五五年九月の長門医師によるじん肺健康診断では、管理区分二のじん肺に罹患しているとの診断がなされている。

(四)、原告の健康被害の特徴

原告の症状が全身に及ぶものであることは以上により明らかであるが、更に右症状が進行的であることは次の諸点において明らかである。すなわち、

(1)、原告は、昭和四二年に関西方面で出稼労働に従事するようになつたが、そのころすでに、体のきつさのため継続的には右労働に従事することができない状態となつていたが、それでも昭和四七年における専門委員会健診の際には、肺機能障害の指標である一秒率は七二%にとどまり肺機能障害が特に認められてはいなかつた。ところが、同五一年の自主検診医師団による診断時には呼吸器音減弱、肺気腫様胸与、線網状影増加の症状から肺機能に障害があることが認められ、次いで昭和五二年には宮崎労働基準局より、肺機能閉塞性障害の認定をうけるに至り、いわゆる続発性気管支炎が発症し、次いで昭和五五年九月の長門医師によるじん肺健康診断では、肺機能の障害の昂進の結果管理区分二のじん肺が発症していると診断されているのである。以上のとおり肺機能障害は時間の経過とともに進行しており、昭和四八年三月八日慢性砒素中毒としての労災認定を受けた後においても、右時期に存在したのとは別個の進行的症状を発症しているものである。而して原告に生じた肺機能障害は、砒素等の有毒物質の吸入による肺細胞の破壊的な変化(従つて治癒の見込はない)によるもので、専門委員会健診時に診断された副鼻腔炎に起因するばい菌の肺への進入に伴う肺細胞の更なる破壊的変化を進行せしめ、心臓機能の障害、ひいては肺性心を招来する重篤な結果をもたらす可能性を十分にもつものである。

(2)、昭和五四年八月、自主検診医師団の一員である佐藤誠医師により原告につき昭和五一年に続いて二度目の検診がなされたところ、五一年の自主検診時に原告に認められた症状の外に、更に陰茎の亀頭部における浅いびらん、並びに原告の右頸部に拇指大の腫瘤の形成が認められている。前者についてみると、昭和五一年ころ針先程度の穴が形成されているのに気づいたものであるところ、昭和五四年には箸先の大きさに拡大しており痛感を感じるようになつた。陰茎部の右びらんは、原告が本件鉱山勤務時において排尿の際に亜砒酸等が附着したことに起因するもので、鉱山勤務時には性欲の減退にとどまつていたものが、時間の経過とともに順次性生活に支障をもたらし、とりわけびらんの形成並びにその拡大に伴い苦痛をもたらしているものである。

又後者についてみると、右頸部の淋巴線に腫瘍が形成されているもので、昭和四九年ごろは手で押えてはじめて判明する程度であつたが、これも時間の経過とともに拡大し、痛みを伴い、癌の疑いをもたれているものである。

以上のとおり原告は時間の経過とともに順次別個の、重篤な症状が発症しているものであり、いわゆる慢性砒素中毒に起因する全症状は順次進行中であり、又予想しうる全症状は発症しきつていないものである。

3、原告の被害実態

前述のとおり原告は、昭和四二年ごろから出稼労働に従事していたものであるが、これは、原告の健康が回復した結果ではなく、肉体労働は困難であるが、当時原告が居住していた木城町周辺に生計を維持するに足る職業がなかつたためであり、右出稼労働期間中は疲労感倦怠感等のため、継続して労働をすることができず、長くとも四か月労働しては中断するという状態であつた。ところで慢性砒素中毒は、体内に侵入した砒素が全身の細胞内のSH基酵素と結合して、その酵素の酸化還元反応、新陳代謝等の機能を阻害し、従つて身体全体の機能低下がもたらされるものである。前記疲労感、倦怠感による労働能力の低下は右に原因するものといい得る。原告の場合、かかる身体全体の機能低下(代謝機能の低下)をバックグランドとして、続発性気管支炎の発症により肺機能の低下が順次進行し、そのため順次肉体労働に従事することが困難となつてきている。

他方、多発性神経炎の発症により痛覚・振動覚等が低下し、手指等の微細な機能の低下により、日常生活においては茶わんを落下させる等の支障をもたらしている。

のみならず、砒素の障害は、末梢神経にとどまらず、背髄や脳等の中枢神経にも及ぶものであり、このため脳全体の機能低下の発現として記憶力の低下がもたらされ、その結果日常生活において、水道やガスの切り忘れ等が生じている。

このように、本件慢性砒素中毒により原告は知的、肉体的活動の大部分の能力を破壊されているものであるが、それに加えて、慢性砒素中毒による身体各部位の苦痛、症状の将来に対する不安等、その精神的苦痛は、はかりがたいものがある。

ちなみに、原告の妻、照子についても軽症の慢性気管支炎の発症が認められ、砒素等による健康被害を被つているものである。

五、原告新名

1、従業、居住歴

原告新名(以下本項では単に「原告」という。)は昭和二年一月一一日生であるが、昭和二九年一二月から同三三年まで本件鉱山において製錬夫として亜砒酸製錬作業に従事した。

原告が、本件鉱山周辺(塊所)に勤務していたのと同一期間である。

2、健康被害

(一)、鉱山就労時及び退職後の健康障害

本件鉱山に勤務する以前の原告の健康状態は、良好であつた。ところが、勤務開始後旬日を経ないうちに鼻腔内にできものが形成され、昭和三四年ごろ、鼻腔内の腫れあがつた肉の切除手術をうけたが、再び肉が盛りあがり通気状態が悪くなり、そのまま今日に至つている。また、本件鉱山に勤務するようになつて以降、風邪をひきやすくなり、頭痛、膝の関節の痛み等を訴えるようになり、昭和三四年ごろからは、一か月に一〇日の割合で通院加療をうけるようになつて今日に至つている。下痢等の消化器官の異常も勤務開始後約半年後に発生している。

なお、原告は、昭和四八年三月八日宮崎労働基準局から慢性砒素中毒症の労災認定を受けている。

(二)、原告の現症(診断所見)

原告は、昭和四七年に行なわれた専門委員会健診を受診しているが、原告に対応すると思料される者(受診番号五九番)の健診結果は、次のとおりである。

内科所見 腹部(触診)

皮膚所見 両手掌、指腹に角化及び肥厚をみる。足底はほぼ正常である(手掌・足底)。

鼻腔所見 鼻中隔前部に直径五×四ミリメートルの穿孔あり、軽度肥厚性鼻炎、鼻中隔弯曲症を認めるがSauberである。

他方、前記検診後四年を経て行なわれた自主検診医師団による検診(昭和五一年)では前記健診結果の外に更に著明な嗅覚異常、耳鳴・聴力障害、口腔舌苔、咽頭発赤、関節痛、胸部の線網粒状影等が認められている。

(三)、原告の健康被害の特徴

原告の症状が全身に及ぶものであることは以上により明らかであるが、更に右症状が進行性のものであることは、次の諸点において明らかである。

一般に、肺細胞等が砒素等の有毒物質で破壊的な障害をうけそれにより肺機能が低下すると、一方において酸素を多量に必要とする労働を困難ならしめるものであるとともに、他方において、砒素の体内残留による代謝機能の低下をバックグランドとして、機能低下した肺部分にばい菌が進入することにより更に破壊的な進行が生じ、その結果は心臓部分の異常をもたらすものであるが、原告については、右メカニズムによる症状が端的に生じている。すなわち昭和五二年一二月から同五四年五月までの間、原告は風邪の症状悪化、関節痛、心臓の動悸等のため通院治療をうけたが、容易に治癒せず、かえつて悪化し昭和五三年六月には一五日間県立病院に通院する状態であり、この期間大量の痰・咳を発した。

右期間に生じた原告の症状については、砒素等による肺細胞の破壊的機能障害によるメカニズムによつてでしか合理的に説明しえないものである。

事実、かかる肺機能の破壊的機能障害に起因する胸部の線網粒状影(検診医師団による検診時の胸写で認められた。)については、他の原告と同様、昭和五五年九月の長門医師によるじん肺健康診断で、肺機能障害の昂進の結果、管理区分二のじん肺並びに合併症として気管支炎の診断がなされている。

以上のとおり原告については、すでに続発性気管支炎の認定をうけている原告戸高、同平川と同様に砒素等による肺機能の障害による症状が時間の経過とともに順次かつ重篤に進行しているものである。

更に、右のような症状の進行性は、他の部分にも認められる。すなわち、慢性砒素中毒には、多発性神経炎が発症するものであるところ、原告には、昭和三四年ごろから、足の指関節にその症状があらわれ、時間の経過とともに、かかとの関節部(前記発症より約半年後)、次いで膝関節部にそれぞれ発症、また昭和五四年一二月ごろには左手指に、翌五五年二月ごろには右指部分にそれぞれ発症している。

右多発性神経炎の発症とともに、原告戸高にみられる血行障害も右多発性神経炎の発症部位に生じている(手足の冷感)。

以上のとおり、原告は慢性砒素中毒特有の進行性の症状を呈しているのであり、他の原告にすでに発症している症状については時間の経過とともに原告に発症しうるであろうことは十分に予想しうるところである。

3、原告の被害実態

原告は、本件鉱山の閉山後、延岡市の実家に戻つて農業及び漁業に従事し、経済的に苦しかつたことからその間延岡市内で日稼労働にも従事した後、昭和四〇年八月からは宮崎県公衆衛生センターに野犬の捕獲作業員として勤務し今日に至つているが、前述の代謝機能障害、肺機能障害の進行により肉体労働が困難となつてきており、また、多発性神経炎の発症により手指等の微細な動きも損なわれ、右野犬捕獲作業に従事することも著しく困難になつている。このような労働能力の低下のほか、身体各部位の苦痛、知的活動の低下、日常生活において突発的に発症する発作、将来に対する不安等において、原告新名も、他の原告等と何ら異なるところはないのである。

六 原告ツナ子

(一)、従業、居住歴

1、亡武夫の損害

亡武夫は、大正三年四月二八日生であるが、昭和二八年一一月から同三三年五月の鉱山閉山までの四年間余、本件鉱山において砒素鉱石の採掘作業に従事し、また、同鉱山における就労開始時から昭和三八年までの約一一年間板谷川対岸の鉱山社宅に居住した。

(二)、健康被害

(1)、鉱山就労前の健康状態

亡武夫は昭和一二年に原告ツナ子と結婚したころは人並み以上の健康体であり、炭鉱夫としての激しい労働に従事していたが、健康上の異常は全くみられず、本件鉱山に就労する前一三年余りの間も、農業のかたわら炭焼き業を行うなど重労働をたやすく行うことができる状態であつた。

鉱山就労後約一年後に同鉱山において行なわれた鉱山労働者を対象とする定期健康診断におけるレントゲン検査においても何の異常も認められなかつたことからも、亡武夫が鉱山就労以前は健康上全く異常のみられない頑健な体であつたことは明らかである。

(2)、鉱山就労後の健康状態

ところが、亡武夫が本件鉱山で働くようになつて二、三年位後には次第に亜砒まけ、吹き出物等の皮膚疾患、咳、痰、咽頭痛、喘鳴等の呼吸器疾患、さらに頭痛、聴力低下、眼脂、下痢、関節痛など全身に異常がでるようになり、あれほど頑健で病気を知らなかつた体が、日常的にこれらの諸症状に悩まされ、体力も漸次低下し、感冒にもかかりやすくなつた。

昭和三八年に亡武夫及びその家族は鉱山住宅を出て東臼杵郡南郷村神門へ移つたが、このころになると亡武夫の症状は目に見えて進行し、昭和四一、二年ころには保健所の検診で胸部陰影を指摘され、やがて血痰も見られるようになつた。

亡武夫は、神門へ来てからは、農業の手伝い、土木業の補助作業等の軽労働に従事していたが、昭和四九年にじん肺管理四の認定を受けたころの健康状態は、これらの軽労働にも十分耐えきれず仕事も休みがちであつた。このころは咳も激しく夜家族が同室に寝ることもできない程であり、原告ツナ子はこの頃から病身の夫と離れて別室に寝ざるを得なくなつた。それから一年余り後の昭和五〇年には亡武夫の健康は全く就労不能の状態にまで悪化していた。

(3)、診断所見

昭和五〇年二月一五日岡山大学の検診によれば次のような症状がみられる。

高度の鉱毒曝露によるじん肺(管理四)、慢性気管支炎、右鼻腔粘膜瘢痕様、色素沈着、その他慢性咽頭炎の疑い及び白斑等皮膚症状、

又同年六月一六日国立療養所宮崎病院における堀田医師の診察所見によれば次のような症状がみられる。

本件鉱山における砒素曝露により生じた中毒症状と考えられる難聴、鼻中隔瘢痕、求心性視野狭窄、肺癌および色素沈着、異常角化症等の皮膚症状、ならびに触痛覚鈍麻、四肢振動覚低下、その他の全身症状。

(4)、死亡

昭和五〇年五月日向病院において、亡武夫は肺癌と診断され、さらに国立療養所宮崎病院において五ケ月余りの入院闘病生活の後、同年一一月四日死亡するに至つた。

同人の直接の死因は、宮崎医科大学の解剖結果によれば右肺中葉に原発した扁平上皮癌(肺癌)と認められ、これは本件鉱山および鉱山社宅における砒素等の鉱毒の曝露ならびに粉じん、有毒ガスの吸入に起因するものである。

(三)、家庭生活上の被害

亡武夫を死に至らしめた本件鉱山の鉱毒は、言うまでもなくその家族の健康をもむしばみ、その家庭生活にも深刻な被害をもたらした。鉱山社宅に居住するようになつてから妻ツナ子は涙が出やすい、皮膚がかぶれる(亜砒まけ)等の症状に悩まされ、幼い次男信博も吹き出物など、悪性の亜砒まけに苦しめられた。長女初枝、三男健二はいずれも幼少の頃、病気がちであり、初枝は幼逝し、健二は六才の頃肋膜炎を患つている。これらの事実は鉱山周辺の居住環境の劣悪さを示すものである。その後神門に移つてからツナ子は心臓、肝臓にも障害が発見されている。

このような深刻な健康被害の結果武夫とその家族は経済的にも破壊的な影響を被つた。

亡武夫が病気がちで十分な収入が得られなくなつてからは、ツナ子が農業手伝い、子守り等をして一家の生活を支えていたが、生活は苦しく子供たちも上級学校へ進学することはできず、全員義務教育終了後、就職して家計を支えたのである。

2、原告ツナ子の本件損害賠償請求権

原告ツナ子と亡武夫との間には武夫死亡当時三人の子がいたが、遺産分割協議により原告ツナ子が亡武夫の本件損害賠償請求権を全て取得したものである。

第三節損害額の算定

以上に述べたような原告等の被害状態につき、第一節二、2、(二)、で述べた諸事情を総合的に勘案しても、原告等(原告ツナ子を除くその余の原告ら及び亡武夫)の間に本訴で主張立証した包括的損害の一部としての慰謝料額に差異を設けるべき理由はない。

更に、原告らの損害賠償請求に対し、被告が一切これを拒否する態度をとつたために、原告らが本訴提起に及び、長期間の訴訟活動を強いられたこともまた原告らが一様に被つた損害であるから、弁護士費用を包括的損害の一部として前記慰謝料に加算することを要する。弁護士費用としては、本訴請求の主張、立証活動が多岐にわたることを考慮して、原告らの請求額の一割を占めるものとして慰謝料総額を定めることとする。

そうすると、原告らの本訴請求にかかる慰謝料額を弁護士費用を含め本訴口頭弁論終結時である昭和五七年六月二八日現在において一律に評価算定し、その金額を一人当り金五〇〇〇万円と定めるのが相当である。

第七章  結語

よつて、原告らは被告に対し、それぞれ右慰謝料金五〇〇〇万円と、これに対する本件加害行為の後で本訴状被告送達の日の翌日である昭和五一年九月一〇日から支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求するものである。

〈以下、省略〉

理由

第一章  当事者

第一節  原告ら

一、原告勝義は、少くとも昭和一二年六月七日から同一三年二月一三日まで被告に雇傭されて、宮崎県児湯郡木城村(現木城町)大字中之又字塊所所在の本件鉱山に勤務したこと、原告シヅ子は、同勝義の妻で、昭和九年から同一四年ころまで本件鉱山に勤務し、燃料、製品箱、製品(亜砒酸・AS2O3)の運搬作業に従事したこと、同平川は同二三年四月から同二九年一二月まで、亡武夫は、同二八年一一月から同二九年一二月まで、それぞれ被告に雇傭されて本件鉱山に勤務し、同平川は亜砒酸の製錬作業に、亡武夫は硫砒鉄鉱等の砒素鉱石(砒鉱)の採掘作業にそれぞれ従事したこと、亡武夫は同五〇年一一月四日肺癌で死亡したこと及び原告ツナ子は同人の妻であることは、当事者間に争いがない。

二、〈証拠〉によれば、原告勝義は昭和九年から同一四年まで本件鉱山において亜砒酸の製錬作業に従事したことが認められ、次に掲げる乙第一、二号証も何らこれに抵触するものではなく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

後記(第二節)認定のとおり戦前の本件鉱山における亜砒酸製錬作業は訴外黒木浅吉がこれを行つていた事実に、〈証拠〉を総合すれば、原告勝義が右製錬作業に従事したのも、原告シヅ子が運搬夫として前記運搬作業に従事したのも、いずれも訴外黒木に雇傭されてのものであり、原告勝義の従事した製錬作業やその補助作業自体については被告との直接の雇傭関係は存在しなかつたこと、ただ、原告勝義は、右のうちの一時期(昭和一二年六月から一三年二月まで)採鉱の補助作業にも携わつた関係で併せて被告とも雇傭関係があつたにすぎないこと、以上のとおり認められ、右原告両名本人尋問の結果中右認定に抵触するかの部分は採用しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、被告は、一旦、昭和九年から同一四年ころまで原告勝義を雇傭していたことを自白しながら、後にその一部を撤回したものであるが、右認定のところからすれば、右自白は真実に反することが明らかであり、従つてそれは錯誤に出たものと推認されるから、これを撤回することは許容されるものというべきである。

三、〈証拠〉によれば、原告平川は、昭和二九年一二月に被告会社を退職した後、引続き同三三年まで訴外糸永に雇傭され、本件鉱山において亜砒酸の製錬作業に従事したこと、原告新名は、同二九年一二月から同三三年まで同訴外人に雇傭され、本件鉱山において亜砒酸の製錬作業に従事したこと、原告戸高は、同三〇年二月から同三三年まで同訴外人に雇傭され、本件鉱山において亜砒酸の製錬作業に従事したこと、亡武夫は、同二九年一二月に被告会社を退職した後、引続き同三三年まで同訴外人に雇傭され、本件鉱山において砒鉱の採掘作業に従事したことがそれぞれ認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

第二節  被告

一、請求の原因第一章第二節(被告)の事実は、戦前に被告が亜砒酸製錬作業を行つたか否か及び戦後の操業開始が昭和二一年であるか二二年であるかの点を除き当事者間に争いがない。

二、本件全証拠によつても、戦前本件鉱山において被告が自ら亜砒酸の製錬作業を行つていたとは認められず、かえつて、〈証拠〉によれば、戦前被告は、右作業をすべて訴外黒木(同訴外人は昭和七年に被告が本件鉱山の鉱業権を取得する以前から右作業を請負、施行していた。)に請負わせ、同訴外人が自らの従業員を使つて右製錬作業を行つていたことが認められる。

第二章  加害行為

第一節  はじめに

本件鉱山は前記塊所所在の杖木山の中腹にあり、二条の鉱脈に沿つて数個の坑口とこれに連なる坑道が設けられていたこと、鉱山では砒鉱を産出し、鉱石中には砒素のほか金、銀、銅、硫黄等が含有されていたこと、被告の戦前の操業は右のうち金、銀の採取を主目的とし、付随的に亜砒酸の製造が行われたこと、これに対し戦後の操業(訴外糸永による操業も含む。特にことわらない限り以下同じ。)は、亜砒酸の製造を目的として行われたこと、亜砒酸製造作業の工程は、砒鉱の採掘、選鉱、製錬(焙焼)、製品の箱詰、運搬、出荷に分けられ、この順序で行われたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

第二節  戦前戦後の亜砒酸製錬作業

一、はじめに

本件鉱山において行われた亜砒酸製錬の方式がおおむね次のとおりであつたことは、当事者間に争いがない。

採掘、選鉱された砒鉱中には砒素のほか前記のような金属等が含まれているので、鉱石をまず焙焼炉(粗製炉)で燃料とともに焙焼し、砒素を酸化、昇華させたうえ、炉に連続して設けられている集砒室(チャンバー)内に導き、自然の温度低下により粉末状に凝固、沈積させ、回収するが、こうしてできた純度約97.3パーセントの亜砒酸(粗砒)の純度を更に高めるべく、精製炉を用いて右作業を繰返し、純度が約99.5パーセントにまで至つた亜砒酸(精砒)を生産し、これを製品として出荷する、以上のとおりである。

二、焙焼炉

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1、戦前及び戦後の初期に本件鉱山において亜砒酸の焙焼に使用された粗製炉は、高さ約2.5メートル、幅約四メートル、奥行約一三メートルの大きさの、石積みで隙間を粘土で固めた極めて簡単な造りのものであつて、炉部分と亜砒酸を凝固、沈積させる四個の集砒室部分から成り、それらの間は煙道が通じ、炉から最も遠い四号室集砒室の天井には煙突が、また各集砒室の側面下部には縦約八〇センチ、横約五〇センチ大の粗砒のかき出し口がそれぞれ設けられていた。

同時期に使用された精製炉もおおむね右と同じ造りであつた(以下これらを「旧炉」という。)。

2、戦後品川式と呼ばれる新式の炉(以下「新炉」という。)が開発され、昭和二三年四月に粗製炉一基が、同二四年九月に精製炉一基がそれぞれ設置され、稼動を開始した(以上の各時期に新炉が設置されたことは当事者間に争いがない。)が、右新炉は、炉の部分が耐火れんが造りで外側に鉄板の覆いがあり、燃料と鉱石、粗砒を随時補いながら昼夜連続の焙焼を行える構造になつていた。精製炉の集砒室はおおむね旧炉と同じ構造であつたが、粗製炉のそれは集砒室が三個で、三号集砒室は幅が約一〇メートルあり、その先端に煙突があつた。右のほかはおおむね旧炉と同じ造りであつた。

3、新炉、旧炉を問わず、焙焼炉には脱煙、脱硫、集じん等の装置は一切設けられていなかつた(これは当事者間に争いがない。)。

4、各焙焼炉は、前記杖木山中腹の、標高約四〇〇メートル(麓から約二〇〇メートル)の位置に、一団となつて設けられており(製錬場)、鉱山従業員の通う山道が、塊所部落や鉱山社宅のある北側の麓から、右製錬場を経て、南方約二〇〇メートル前後の位置にある各坑口に通じていた。

三、製錬作業の実態

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1、焙焼作業

戦前亜砒酸の焙焼作業は約一七、八名で粗製炉九基、精製炉三基を使用して行なわれ、戦後は昭和二四年九月までは旧炉三基、新炉一基を使用して粗砒のみが製造され、その後約一五名で三交替制により、新炉二基を使用して精砒が製造された(右のうち戦後部分については当事者間に争いがない。)。

旧粗製炉は燃料と鉱石を入れてそのまま七日ないし一〇日焙焼するが、これにより亜砒酸は比重が重く純度の高いものから順に各集砒室に沈積した。

焙焼が終わると、製錬夫が、炉から鉱石の焼滓を取出すとともに、集砒室のかき出し口を開き、棒で粗砒をかき出し、次いで、粗砒の粉末、粉じんの充満した集砒室に入り、スコップで室内の隅や壁に沈積した粗砒を集め、回収した。

このようにして回収された粗砒は、スコップで箱に詰められあるいは一輪車に積んで、精製炉に運び、次の精製に供されるが、精製は一昼夜かけて行われ、翌朝、粗製炉の場合と同じ要領で亜砒酸のかき出し作業が行われた。

新炉が設置されてからは、昼夜連続して焙焼が行われたが、粗砒のかき出しは月に二、三回行い、精砒のそれは毎朝、一号集砒室について行い、二ないし四号集砒室から月に一、二度かき出した亜砒酸はあらためて精製に付した。これらのかき出し作業も旧炉の場合と同じ要領で行われた。

焙焼中は、旧炉、新炉を問わず、常時焙焼炉の煙突から煙が排出され、製錬場一帯に流れ、滞留した。また、かき出し作業中は集砒室の天井を一部開けていたので、そこからも煙が排出されていた。

2、製品の箱詰作業

製品となるべき精砒は、製錬夫が、精製炉横で、ふるいにかけて粒をそろえたうえ、スコップで製品箱に詰めたが、その作業により、付近に精砒の粉末が散舞した。また、右製品箱には、右作業の際溢れた亜砒酸の粉末が付着していた。

このようにして製造された亜砒酸の量は多い年で388.1トン(昭和三〇年)、少ない年で169.7トン(同二三年)にも及んだ(ただし判明している年度分に限り、また昭和九、一四、三三年は考慮外におく。)。

3、戦前の製品等運搬作業

戦前においては、精製用燃料の木炭及び製品を詰める木箱は、塊所部落から、前記山道を通つて人力により運搬していたし、箱に詰めた製品(精砒)も、木馬に乗せたり手で抱えたりあるいは背負つたりして、製錬場から塊所部落まで運搬していた。右運搬作業は製錬夫が勤務開始時、終了時にも行つたが、他は原告シヅ子等の運搬夫が専業として従事していた。原告シヅ子は右運搬作業のため、毎日平均して八回程度製錬場と塊所とを往復していた。

4、焼滓の投棄作業

粗製炉から取出された鉱石の焼滓は、近くの山の斜面(堆積場)に投棄され、野積みされたが、戦前は更にケーブルで対岸の塊所部落に搬送されたうえ、金銀を採取するため、同所から他地へ向け搬出された。野積みされている状態の焼滓に対して散水等の装置は一切なかつた(以上の事実は当事者間に争いがない。)。そのため、焼滓を投棄するたびに粉じんが舞い上つていた。

5、壁落し、煙道ほがし

製錬夫には以上のほか、「壁落し」、「煙道ほがし」と呼ばれる作業もあつたが、これは必要に応じ、一ないし三か月に一回位の割合で行うもので、いずれも粗砒、精砒の粉末、粉じんの充満した集砒室内に入つて、壁や煙道に固着した粗砒や精砒を、のみ、ハンマー、バール等を用いて落す作業であつた。

6、防護措置

製錬夫に対しては、塗布剤の支給があつたほかは、防毒マスクを含めて防護具の支給も備え付けもなく、製錬夫は顔に塗布剤を塗り、そのうえにタオルを巻きつけた程度で粗砒、精砒のかき出し等前述の各作業に従事した。

製錬夫においてさえ右の程度であつたから、ましてそれ以外の職種の従業員は亜砒酸に対して全く無防備であつた。

以上の事実が認められる。

四、従業員の砒素曝露

1、右認定の事実によれば、製錬夫の行う作業のうち、粗砒、精砒のかき出し、製品の箱詰、壁落し、煙道ほがしは、いずれもその作業内容自体からして、粗砒、精砒の粉末、粉じんを多量に浴びることを余儀なくされる作業というべきである。

2、また、焙焼によつて生成された亜砒酸がすべて沈積、回収されたものと認むべき証拠は何もなく、むしろ、経験則上、証人柳楽翼の証言にあるとおり、一部分は沈積、回収されることなく、微細な粒子―粉じん、フュームーの形態で(成立に争いのない甲第五七、五九号証参照)、煙とともに煙突等から外部へ排出されたものと認められる。

なお、焙焼炉からの煙の中には、砒鉱石の焙焼によつて生成された硫黄酸化物(亜硫酸ガス)が相当含まれていたことは当事者間に争いがない。

更に、前掲甲第六四号証、証人柳楽翼の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる同第六三号証によれば、堆積場に野積みされた鉱石の焼滓には、砒鉱石から昇華分離されないままの砒素成分(焙焼により一部は亜砒酸となつたもの)が含まれていたものと認められ、これに抵触する証拠はない。

そして、製錬場一帯は、右の焙焼炉からの煙が滞留し、堆積場の焼滓の粉じんが飛散して、これらに汚染されていたことも、前認定のところから明らかである。

3、しかるに、製錬夫等のこれらに対する、防護措置は無に等しかつたこと前記のとおりである。

4、そうすると、第一に製錬夫が右各作業中亜砒酸の粉末、粉じんを鼻や口から吸入し、あるいはこれが皮膚に付着し、もつてこれに曝露したことは明らかというべきであるし、第二に、戦前の製品等運搬夫は、製品を運搬すべくこれを箱詰めしている場所に赴いた際等にその箱詰作業で散舞していた亜砒酸を吸入し、製品を運搬する際には、製品の入つた箱に付いていた亜砒酸が皮膚に付着し、もつてこれに曝露することを余儀なくされたものというべきであり、第三に、製錬夫は、日々の就業開始から終了まで製錬場及びその付近にいて、また、運搬夫は、燃料、製品箱、製品の運搬作業の都度製錬場及びその付近を行き来して、採鉱夫は、日々の通勤往復の途上製錬場付近を行き来し、あるいはその近傍で、昼食休憩をとつて(この点は第三節一項3参照)、いずれも、製錬場一帯に滞留、飛散する亜砒酸等を含んだ煙や焼滓粉じん等に曝され、これを吸入することを余儀なくされていたというべきである。

第三節  戦後の採鉱作業

一、採鉱作業の実態

〈証拠〉を総合し、これに当事者間に争いのない事実を合わせると次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1、本件鉱山は二条の鉱脈に沿つて水平坑道、立坑、切り込みが縦横に掘られ、標高約三〇〇ないし約五〇〇メートルの山腹沿いにそれぞれ数個の坑口が開かれていたが、坑内には集じん装置や換気装置等は一切なかつた。

2、採鉱作業はダイナマイト(いわゆるハッパ)は使用するが、その余はすべてのみとセットを用いて手掘りで行われた。

ハッパは通常終業時に各切羽で一斉にかけ(いわゆるあがりハッパ)、その後翌朝始業時まで坑内夫が中に入ることはなかつたが、急を要する切羽では、昼休み前にハッパをかけることも行われた(いわゆる昼間ハッパ)。

ハッパをかける場合は、ハッパを装填するための穴を岩盤に穿つが、切羽の下方に向けて穴を穿つ場合は水を注入しながら行つた(いわゆる水ぐり)から、粉じんを発生させなかつたが、切羽の上方へ向けて穿つ場合は、鉱石屑が落ち、粉じんが発生した。

あがりハッパの場合、坑内夫が翌朝入坑する時までに粉じんは収まつていたが、昼間ハッパの場合は、昼休みが終了して午後の作業が開始された後も粉じんは収まつておらず、その中で採鉱作業が続けられた。

この点について、被告は、本件鉱山の坑内には湧水があつて湿気が多く、また自然通気法によつて換気状態は極めて良好であつたから、坑内に粉じんが大量に発生したり、立ちこめることはあり得ない旨主張するけれども、坑内に湿気が多く、また自然通気法が有効な換気法であつたとしても、ハッパをかけた場合はそれらの作用にも限度があることや、本件鉱山の坑道は水平坑道、立坑、切り込みが入り組み、また坑道の先が開かれていない形の坑道もあつたことを考慮すると、被告の主張は採用できない。

3、採鉱夫は、製錬場を経由している前記山道を通つて、各坑口に通勤していた。また、昼食と休憩は、右製錬場の近傍(約一〇〇メートル南)にある休憩所でとつていた。

4、採鉱夫に対しては、防じんマスクを含む防護具の支給も備え付けもなく、採鉱夫は自分で用意したガーゼのマスク等をつけた程度で採掘作業に従事した。

以上の事実が認められる。

二、従業員の粉じん曝露

右認定の事実によれば、採鉱夫がその作業中、坑内において砒鉱石等の粉じんを吸入し、もつてこれに曝露したことは明らかというべきである。

第四節  総括

以上によれば、原告等が本件鉱山に勤務中、亜砒酸等の粉じんに経気道、経口、経皮的に曝露したこと及び亡武夫が右のほか砒鉱石等の粉じんにも経気道的に曝露したことが認められる。

第三章  因果関係(総論)

第一節  砒素中毒症の基礎的知見

〈証拠〉によれば、砒素中毒に関し、次の知見が認められ、その妥当性に疑問を抱かせるに足る証拠はない。

一、はじめに

砒素による急性、慢性中毒の事例のうち、砒素単体によると考えられる事例は殆んどなく、一般に砒素化合物、特に三酸化砒素(亜砒酸)を含む粉じん曝露の事例が多い。動物実験においても、砒素単体は極めて弱毒である。

二、砒素の代謝

労働環境における砒素化合物及びそれを含む粉じんへの曝露は、亜砒酸の形態によるものが多く、主に呼吸器系からの吸入及び皮膚接触が中心をなす。皮膚、粘膜から吸収される場合、その接触部位では皮膚炎を起し、これは、「砒素まけ」「亜砒まけ」と俗称され、ときには、壊死、潰瘍に至ることがある。呼吸器系からの曝露の場合は、一部は肺から体内に吸収されるが、一部は嚥下され、消化管から吸収されることもある。肺、消化器から吸収された亜砒酸は、その九五ないし九九パーセントが赤血球の中に存在し、血清中の砒素はたん白と結合して各組織に運ばれ、二四時間以内に砒素は血液より離れ、主に肝、腎、肺、消化管壁、脾、皮膚に分布する。少量は脳、心、子宮にも分布し、骨、筋肉への分布は濃度は低いが分布総量としては大きく、皮膚とともに体内における砒素の主な蓄積組織と考えられる。

三、砒素の毒作用

砒素は一般に原形質毒で酵素活性特にSH基系酵素活性の阻害作用があることが知られており、酸化及び組織呼吸を減退させる作用がある。また平滑筋麻痺及び血管系、神経系特に末梢神経系への毒作用を持つが、高純度の砒素化合物では不純な化合物に比較して消化器系に刺激性の障害を与えることは少ない。

四、急性・亜急性中毒症状

急性・亜急性の砒素中毒は、主として亜砒酸の刺激作用、腐蝕作用によるものであり、呼吸器系症状として、咳嗽、呼吸困難、胸痛、めまい、頭痛、四肢脱力感が起り、その後嘔気、嘔吐、腹部疝痛、下痢、全身疼痛、麻痺等が起る。また、亜砒酸等の無機砒素化合物を含む粉じん、フュームに曝露することにより、皮膚及び粘膜の刺激症状として、亜砒まけ、鼻炎、喉咽頭炎、気管炎、気管支炎、結膜炎等が起る。経口摂取による急性中毒は、産業中毒では殆んどないが、亜砒酸は、一般成人で七〇ないし一八〇mgが致死量と考えられる。なお近年、急性、亜急性中毒の遅延効果としての慢性中毒症及び後遺症が問題となつてきている。

五、経気道性の慢性砒素中毒症

1、亜砒酸の経気道性の慢性砒素中毒症は、全身作用を示すことがあり、皮膚、粘膜の異常、消化管、神経系特に末梢神経系の異常が認められる。また、まれではあるが、心循環器系及び肝の異常が認められる。

2、皮膚症状

皮膚は、亜砒酸等の無機砒素化合物による慢性中毒においては標的組織であり、湿疹状皮膚変化から重篤な症状まで多様であるが、角化症、いうぜい(疣贅)、皮膚黒化症等が眼瞼、こめかみ、首項、乳嘴、腋化等に見られ、更に腹部、胸部、背中、陰のう、下肢にも現われることがあり、急性皮膚変化とは必ずしも同じ部位に発症するものではない。また、右局所に色素脱色症(白斑)が認められるようになり、これが皮膚黒化症と混在して特徴ある「雨滴れ様色素沈着症」の像を示すこともあり、これが進行すると前癌状態である多発性Bowen病及び皮膚癌が認められるようになる。また、手指における爪の横断白線も報告されている。

3、粘膜症状

慢性鼻炎、気管炎、気管支炎があり、発赤、腫瘍、疼痛を特徴とする結膜炎も報告されている。また、鼻中隔穿孔が認められる場合がある。

4、胃腸症状

主として経口性の慢性砒素中毒症の場合に認められるが、経気道性の慢性砒素中毒においても、まれではあるが、脱力感、食欲不振、嘔気等の症状を伴う胃腸症状を呈することがある。

5、末梢神経障害

下肢、上肢の多発性神経炎を呈することが多く、重篤な場合は感覚異常、じんじん感のほか疼痛、躯幹部の灼熱感、皮膚の敏感症等がある。下肢の多発性神経炎では歩行困難を伴なうが、運動神経の障害は少ない。症状は両側性に認められ、疼痛が比較的激しい。

六、経口性の慢性砒素中毒症

経口性の慢性砒素中毒症としては貧血が認められ、その場合皮膚症状が明らかであり、また白血球減少症も伴う。これは骨髄性の障害と考えられる。西ドイツのぶどう園労働者において肝障害、肝硬変症、肝癌の報告がされているが、これは経口性の慢性砒素中毒症と考えられる。心臓血管系の障害も経気道性と考えるより経口性の砒素中毒と考える方が妥当であり、その症状としては心電図異常、心筋症があり、また末梢血管系における血管内膜炎、壊疽もみられる。

第二節  砒素中毒症の特質

〈証拠〉によれば、次の知見が認められ、その妥当性に疑問を抱かせるに足る証拠はなく、むしろ証人柳楽翼、同青山英康の各証言はこれを裏付けるものである。

一、砒素の毒作用の普遍性

砒素は細胞のSH基系酵素を阻害するが、SH基系酵素はすべて細胞代謝に不可欠であり、この意味では、砒素中毒は、いかなる生体組織にも影響を与え得るといわれている。

二、個体差

一方で、砒素に対する人体反応には個人的特異性があることが指摘されており、Scheldenは個体が示す臨床反応だけでなく、個々の臓器の生物学的親和性にも大きな個人的変動があると述べている。

これらの変動をもたらす要因は知られていないが、個体差はおおむね砒素に対する感受性や耐性あるいは特異体質の表現とみなされている。

このような個体差の存在は、有機砒素製剤による駆梅療法に伴う副作用(出血性脳炎)の出現頻度が六五〇〇分の一であつたとするRosenfeldの報告や同一条件による中毒(同時期、同期間の水系汚染、軍隊内の若い男子の集団発生)でも病像は極めて多彩であつたというLinnewehの報告等からも容易に推察される。

三、症状の広範性

砒素中毒は全身の諸臓器系に多彩な症状を発現させる。内外の約一〇〇編の文献から拾つた砒素中毒の臨床症状を要約すると表8のとおりである。

皮膚、粘膜、神経系、造血臓器、肝臓、心臓、循環器系等は最も普遍的に侵襲される組織である。

四、発現形式

しかし、個々の病像は多様で、症候学的には様々なバリエイションがある。また汚染の型(汚染量、汚染期間、汚染経路)により症状発現までの期間や各症状の症度及び経過は異なるが、発現する症状の種類や各症状の発現形式は一部の局所症状を除き、汚染の型によつて殆んど左右されない。

つまり、経口、経気道、経皮あるいはこれらの複合形態汚染のいずれでも、また急性、慢性を問わず、ほぼ同じ種類の症状が一定の順序で出現してくる。Brouardel及びPouchetは、右発現形式をⅠ消化器系、Ⅱ喉頭及び気管支カタル、発疹、Ⅲ知覚障害、Ⅳ麻痺の四段階に分類し、急性中毒と慢性中毒の間で各症状の発現及び経過は異なつても、症状発現の順序は異ならないことを指摘している。

第三節  岡山大意見書、検診医師団報告

一、岡山大意見書

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

本件鉱山の元労働者の依頼により、岡山大学医学部衛生学教室の医師らが、昭和四九年一〇月一一、一二日の二日間、本件鉱山の元労働者のうち四一名につき健康調査を行つたところ、全身倦怠、易疲労、めまい、不眠、視力低下、眼脂、流涙、上肢知覚異常、鼻汁、嗅覚低下、鼻閉、動悸、息切れ、胸苦、咳、痰、腰部痛の自覚症状は五〇パーセント以上の頻度を示し、るいそう、嗄声、上肢関節痛、上肢レイノー症状喘鳴、嘔気、腹痛、腹部異和、膨満感、下肢関節痛、下肢知覚異常の自覚症状は三〇パーセント以上の訴え率を示し、通常の場合と比較して高率であつた。

二、検診医師団報告

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

本件鉱山の元従業員らを中心にして結成された被害者の会等の要請により、北九州市内の病院に勤務する医師らが、昭和五一年三月二〇、二一の二日間本件鉱山の元労働者三四名、鉱山周辺の住民で同鉱山の従業歴のない者一五名、合計四九名について健康調査を行なつたところ、自覚症状、他覚的所見、検査所見で比較的高率に認められた異常所見のうち、コントロール群(対照群)と比べ松尾群に特徴的な所見は次の八であつた。

① 嗅覚障害、鼻粘膜所見(萎縮、肥厚、瘢痕)

② 皮膚所見(色素沈着、白斑、角化等)

③ 知覚障害(多発性神経炎疑)

④ 呼吸器障害

⑤ 血液障害(貧血、白血球減少、血小板減少)

⑥ 肝腫大(肝障害疑)

⑦ 聴力障害

⑧ 末梢循環障害(レイノー現象、爪圧迫試験陽性)

右のうち、①ないし⑥の所見を一応砒素を主体とする鉱毒による健康障害の目安とした場合、六所見のうち五所見以上ある者を五、四所見ある者を四、三所見あるを三、二所見ある者を二とすると、慢性砒素中毒症や、じん肺の労災認定を受けている者(各六名)は全員四又は五であり、未認定の元従業員二二名については、四又は五が一二名、三が四名、二が六名であつた。

三、岡山大意見書、検診医師団報告の評価

右各健康調査は、受診者の数、検診項目の範囲などの点で限界があるといわなければならないが、これを考慮しても、広範な症状がしかも高率に認められた反面、飲酒、喫煙歴の面で通常の場合と比較して格別異なつた点が認められなかつたことに鑑みると、それらの症状の原因については砒素曝露との関連を抜きにして考えることはできないというべきである。

第四節  久保田報告

一、久保田報告の調査結果

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

宮崎労働基準局の委嘱を受けて、久保田重孝を委員長とする専門委員会が、本件鉱山の元労働者のうち六一名について健康調査を行なつた。昭和四七年四月二四、二五日の二日間第一次健診を、次にそれによる異常所見者二八名中二五名について同年九月七、八日の二日間第二次健診を実施した。

第一次健診の結果業務上疾病あるいはその疑いありと判定された者は表9のとおりで、第二次健診後の最終的判定の結果は表10のとおりであつた。

(弁論の全趣旨により原告勝義、同シズ子、同平川、同新名、同戸高、亡武夫はそれぞれ受診者番号五七、一七、二二、五九、一二、一九に該当すると認める。)

二、労災認定

久保田報告に基づき、原告勝義、同シズ子、同平川、同新名、同戸高は昭和四八年三月八日宮崎労働基準局から業務上疾病として慢性砒素中毒症に罹患している旨の労災認定を受けたが、その認定された慢性砒素中毒症の症状は、右久保田報告で主症状として認められた症状(次記三項)に限られていた(これは当事者間に争いがない。)。

三、久保田報告の評価

久保田報告が慢性砒素中毒症と認められる者あるいは砒素等による影響が疑われる者とした者の主症状の欄に掲げられた症状は、鼻中隔穿孔、皮膚変化、知覚低下(もつとも「?」が付されている。)、嗅覚失調・脱失、毛髪粗(以上慢性砒素中毒症と認められる者の分)鼻中隔瘢痕、爪肥厚(以上砒素等による影響が疑われる者の分)である。

同報告は、右以外に慢性砒素中毒症の症状としていかなる症状が認定できるかについて一切明らかにしていないから、結局右以外の症状はこれを認定していないものとみなさざるを得ない。

ところで、〈証拠〉によれば、久保田報告の調査でも、自覚症状の点はおいても、前記症状以外に例えば手指振せん、関節痛、気管支喘息、気管支炎、肺機能低下、心電図異常、白内障、半身不随などが認められたが、これらはその頻度、症状の程度の点において、注目すべきものがあつたことが認められるから、これらと砒素曝露との関連については十分な解明が必要とされるものというべきである。

仮に、これらにつき他の因子、例えば山林伐採作業就労歴、性、年令、喫煙歴が作用した可能性があるとしても、その一事で砒素曝露との関連を否定することはできない。

まして、久保田報告自身が、業務上の疾病あるいはその疑いあるものと判定している症状(肺機能障害、半身不随、白内障)については、一段とそれがあてはまるものというべきである。

しかるに、同報告は右の点に関し、何ら納得できる解明、説明を示していない。

そうだとすれば、〈証拠〉にあるとおり、久保田報告が、慢性砒素中毒症と認められる者及び砒素等による影響が疑われる者の症状として、前記症状のみを掲げているからといつて、その余の症状について砒素曝露との因果関係を認めることの妨げとはなり得ないものというべきである。

第五節  総括

以上に基づき、原告等の症状(じん肺、肺癌を除く。)と砒素曝露との間の法的因果関係を判断するにあたつての、基本的考え方を検討する。

第一に、原告等の症状が医学上、砒素によつて起り得るとされている症状にあたるかどうかが検討されるべきことはいうまでもない。

第二に、そのうえで、症状の種類、組み合わせ、発現形式が検討されるべきである。

砒素中毒症の症状は、先に見たように広範であり、一般的に疾病によつても起り得るとされている症状(非特異的症状)が多いけれども、砒素中毒に特有とまではいえないにしても、これに特徴的な症状はある。鼻中隔穿孔(瘢痕)、皮膚症状、末梢神経障害(多発性神経炎)はかかる症状に属する。

ところで、原告等に鼻中隔穿孔が認められる場合は、その者は高濃度の砒素に曝露したものというべきであるから、鼻腔に連なる気管支や肺を始め、身体の各組織にも何らかの障害を与えている蓋然性が高いと考えるのが自然である(鼻中隔瘢痕の場合もこれに準じる。)。

また、皮膚症状や末梢神経障害が認められる場合は、そのことはとりも直さず、砒素が身体の排毒作用の限界を超えて体内に侵入し、当該組織に運搬されたうえ、これを侵害したことを物語るものというべきであるから、砒素中毒症の機序からして、その者に右以外の症状も生じている蓋然性は高いものというべきである。

そうだとすれば、以上の要件を充足する場合は、特段の事情のない限り、原告等の症状と砒素曝露との間の相当因果関係を認めるのが相当である。

そのうえ、第三に、原告等の症状が各健康調査において、高率の出現頻度が確認されたものである場合は、右蓋然性は、一段と高いものというべきである。

第六節  じん肺の基礎的知見

〈証拠〉によると、じん肺に関し次の知見が認められる。

じん肺は、不溶又は難容性の粉じんを長期間多量に吸入することにより、肺の線維増殖性変化、気道の慢性炎症性変化、気腫性変化等を起させることにより肺機能低下をきたす疾病であり、肺性心にまで至る。

粉じんの種類により、珪肺、石綿肺が古くから知られ代表的なじん肺とされるが、珪肺では主として肺の線維増殖性変化を、石綿肺では主として気道の慢性炎症性変化をもたらす。

なお、じん肺による右各変化は、いずれも不可逆性のもので一度失われた肺機能は回復しない。そのうえ、一定期間以上粉じんの吸入が続くと、離職等により吸じんの機会がなくなつても、長期間にわたり症状は進行し、増悪する。

第七節  じん肺と肺癌の関係

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

昭和三〇年以降、石綿肺に限らず、珪肺等のじん肺についても肺癌との関係が注目されるようになり、合併症として肺癌が認められた者は、北海道岩見沢労災病院では剖検例三五〇例中五〇例(合併率14.2パーセント)、東京西多摩病院では六九例中九例(同13.2パーセント)というように、各調査とも一〇パーセント前後の高い合併率が報告された。

岡治道を班長とする研究班は気管支炎の継続が細胞の異常、異型な増殖をもたらし、この部位から肺癌が発生すること、気管支炎はじん肺変化の重要な一部であるから、石綿肺以外のじん肺もその合併肺癌は業務上のものであることを主張し、昭和五三年一〇月には久保田重孝を班長とする研究班も同旨の結論を出すに至つた。

労働省は同年一一月、じん肺管理区分管理、四と認定され、現に療養中の者に発生した肺癌は業務上の疾病として取扱う旨通達した(昭和五三年一一月二日、基発第六〇八号)。

第八節  砒素の発癌作用

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。

銅製錬工場、農薬工場等における砒素を含む粉じんへの高濃度曝露が肺癌の原因と考えられること、医薬品Fowler液(0.5パーセントの亜砒酸含有)の長期摂取や砒酸を含む飲料水の摂取によりBowen病、皮膚癌の発生が高率に認められることの各報告がなされており、この外にも砒素と肺癌、皮膚癌との関連を示す報告例は多く、いまだ動物実験の発癌成功例がなく発癌機構についても解明されていないというものの、砒素及び砒素化合物を大量に長期間曝露されることにより、肺癌、皮膚癌が長い潜伏期の後多発することは、疫学的には疑いの余地がない。

また、砒素曝露から発癌までの期間について、Neubauerは三年ないし四〇年、Sommersらは一三年ないし五〇年、Rothは一三年ないし二二年、Liebeqottは一七年ないし二一年としており、その潜伏期は著しく長期である。

第四章  因果関係(各論)

第一節  慢性砒素中毒症

一、はじめに

1、久保田報告において原告ツナ子を除くその余の原告らが皮膚変化、知覚低下、嗅覚脱失、鼻中隔穿孔の症状の限度で慢性砒素中毒症に罹患していると認められ、その症状の限度で労災認定を受けたことは前記のとおりである。

2、次に〈証拠〉によれば、原告シヅ子は昭和五三年五月に宮崎労働基準局から慢性砒素中毒症による続発性気管支炎の労災特別援護措置承認決定を受け、原告平川及び戸高は、昭和五二年三月に同労働基準局の労災診断サービスを受けたところ、慢性砒素中毒症による続発性気管支炎と診断され、同五三年三月二九日付で追加的に労災認定を受けたことが認められる。

3、そして、原告ツナ子を除くその余の原告らが慢性砒素中毒に罹患していること自体については、その症状内容、程度は別として、これに疑問を挾ましむべき証拠は何もない。

4、また、亡武夫については、慢性砒素中毒に罹患していたか否かについては、労災認定も受けておらず、これを否定的に解する趣旨の証拠も存するけれども、同人が砒素に曝露したことは前記のとおり明らかであり、後記認定のとおり同人には本件鉱山従業中に砒素中毒の初期症状である亜砒まけ、咳痰、下痢等の皮膚粘膜の刺激症状が発生しており、且つ〈証拠〉によれば同人の遺体中の肝臓、腎臓から砒素が検出された事実が認められるのであつて、以上の点からすると、〈証拠〉にあるとおり亡武夫は慢性砒素中毒症に罹患していたものと認めるのが相当であり、〈証拠〉をもつてしてはこれを覆すに足りないものというべきである。

二、症状認定の基本

そこでまず、原告等の現症、自覚症状の内容について検討すべきところ、原告等については(但し、じん肺は除く。)大別して次の三種類の診断(書)が存在する。

すなわち、①久保田報告(〈証拠〉)、②自主検診医師団の医師ら作成の各診断書(原告ツナ子を除くその余の原告らにつき。〈証拠〉によりこれを認める。)、又は岡山大学検診(昭和五〇年二月)における医師柳楽翼作成の診断書(亡武夫につき。〈証拠〉によりこれを認める。)、③医師堀田宣之作成の各診断書(〈証拠〉。以下これを「堀田診断書」という。)の三つである。

しかして、右各診断書を比較すると、まず、③は、①と比較してすべて診断時期が新しく、②と比較しても、一部を除き診断時期が新しいし、この点に、〈証拠〉によつて認められる堀田医師の砒素中毒症に対する経験、造詣の深さと診断方法の個別性、的確さを考え合わせ、次に述べる点も斟酌すると、原告等の現症の認定にあたつては、③の診断を基本として、これに②の診断内容を参酌して検討するのが妥当であると解される。

ここで、右②③の各診断書の内容と①のそれとに、例えば、原告勝義の鼻中隔所見について、①は「穿孔瘢痕なし」とし、②は「鼻中隔わん曲、鼻中隔の局所的稀薄化を認める。」とし、③は「鼻中隔瘢痕(左)」とする等の差異が見られる点について考察するに、この差異の原因としては、各診断時期の違いによるほか、このような重篤、顕著でない症状の場合、診察方法及びその詳細さによつて結果に差異が出易いこと、更には、各診断の性質、目的が相違することの影響を指摘できる。

すなわち、②③は通常の診断書であるが、①は行政上の必要に基づき、大量観察の方法により、本件鉱山の元労働者らに砒素による健康障害があるのかどうかを調査、検討するためのものである。

右の事情に鑑みれば、①の診断は、原告勝義につき、②又は③の診断結果に従つて鼻中隔症状を認定するうえで妨げとはなり得ないものというべきである。(以上のことは、同原告や他の原告等のいくつかの症状についてもあてはまるというべきである。)

三、原告等の現症、自覚症状

そこで、〈証拠〉(堀田診断書)に、本節一項認定の事実、並びに、〈証拠〉を総合すれば、原告等にはそれぞれ次の現症及び自覚症状があることが認められる。

1、原告勝義

(1)、慢性気管支炎、慢性胃腸炎、慢性鼻炎、多発性神経炎、求心性視野狭窄、視力障害(視力・右眼前手動三〇センチメートル、左失明)、脳循環障害(左片麻痺)、両側性難聴、嗅覚脱失、味覚障害、貧血、皮膚症状(尚、左胸部の一部にBowen病様変化あり)、歯の障害、鼻中隔瘢痕等

(2)、頭重感、脱力、下肢のふるえ、物忘れ、めまい、流涙、眼脂、動悸等の自覚症状

2、原告シヅ子

(1)、慢性気管支炎、慢性胃腸炎、慢性鼻炎、多発性神経炎、求心性視野狭窄、両側性難聴、嗅覚障害、皮膚症状、歯の障害等

(2)、頭重、全身倦怠感、四肢脱力、易疲労、物忘れ、めまい、眼脂、動悸等の自覚症状

3、原告平川

(1)、慢性気管支炎、慢性胃腸炎、慢性鼻炎、鼻中隔穿孔、両側性難聴、嗅覚障害、多発性神経炎、歯の障害、レイノー症状、皮膚症状、軽度知的機能障害等

(2)、頭重、全身倦怠感、不眠、易疲労、物忘れ、たちくらみ、食欲不振、動悸等の自覚症状

4、原告戸高

(1)、慢性気管支炎、慢性胃腸炎、慢性鼻炎、難聴、嗅覚脱失、多発性神経炎、歯の障害、レイノー症状、皮膚症状、鼻中隔瘢痕等

(2)、頭重感、全身倦怠感、不眠、易疲労、物忘れ、たちくらみ、食欲不振、動悸等の自覚症状

5、原告新名

(1)、慢性気管支炎、慢性胃腸炎、慢性鼻炎、鼻中隔穿孔、両側性難聴、嗅覚障害、発汗過多、手足の厥冷、皮膚症状等

(2)、頭重感、膝関節痛、易疲労、物忘れ、食欲不振、動悸、不整脈等の自覚症状

6、亡武夫

両側性難聴、鼻中隔瘢痕(右)、慢性鼻炎、求心性視野狭窄、皮膚症状、慢性気管支炎、手指振せん、四肢筋力低下等

四、症状の経過、発現形式

前項掲記の各証拠によれば、本件鉱山就労時における原告等の症状及び鉱山退職後の症状の出現、増悪とその時期は表11のとおりと認められる(但し、退職後の症状の出現、増悪については、その時期が証拠上不明なものが多く、これは右の表には記載されていない。)。

五、症状と砒素曝露との因果関係

前記見地(第三章第五節)に立つて、前認定の原告等の砒素曝露状況と症状の内容、種類、組み合わせ、発現形式を検討し、これに前掲の堀田医師及び自主検診医師団の医師らの診断(前掲各書証及び各証書)を合わせ考慮すれば、原告等の三項掲記の各症状については、他にその症状の原因となるべき特定の疾病が存在する等砒素曝露との因果関係を肯定する妨げとなる特段の事情がない限り、右各症状と本件砒素曝露との間には法的相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

しかして、右のうち、亡武夫の両側性難聴については、〈証拠〉によれば右武夫は本件鉱山に勤務するようになつた時には既に耳が遠かつたことが認められるから、本件砒素曝露との因果関係を認め難いが、他には、原告等の右各症状と本件砒素曝露との間の因果関係を肯認する妨げとなるべき特段の事情を認めるに足る証拠はない。

もつとも、右武夫以外の原告等の難聴についても、前記表8に難聴が砒素中毒の症状として掲げられていないことからして、本件砒素曝露との間に因果関係が存するか否か疑問の余地なしとしないけれども、〈証拠〉によれば両者の関連を裏付ける動物実験報告は多く、臨床報告例も少数ながら存在することが認められ、難聴が砒素によつて生じ得ることを医学上否定できないこと、本件では亡武夫を除く原告等全員について難聴が認められるが、〈証拠〉(堀田診断書)及び各原告本人尋問の結果によればそれらはいずれも本件鉱山勤務後発症したことが認められ、その原因を他に求めることは困難であることからすれば、難聴についても砒素曝露との間の相当因果関係を認めるべきである。

第二節  じん肺

一、亡武夫

亡武夫が昭和四九年二月に宮崎労働基準局からじん肺管理四の業務上疾病の認定を受けたことは当事者間に争いがない。

亡武夫が本件鉱山で採鉱作業に従事中鉱石等の粉じんに経気道的に曝露したことは前記認定のとおりであり、〈証拠〉によれば、亡武夫は昭和九年ころから鉱夫として各地の鉱山を転々とした後、本件鉱山に勤務したが、本件鉱山閉山後は鉱山に勤務したことはないこと、昭和三八年までの間に従事したパルプ材伐採作業や本件鉱山焼滓回収作業(後記表12参照)も、じん肺を惹起するような環境下での作業であつたとは認められず、このことに〈証拠〉(第三節の一項参照)を合わせ考えると、本件鉱山における鉱石等の粉じん曝露と亡武夫のじん肺との間には相当因果関係を認めることができる。

そして、被告は、亡武夫が本件鉱山に就職するまでの職歴を容易に知り得たものと解されるから、仮に本件鉱山以前の鉱山作業もまた亡武夫のじん肺発症の一因となつていたとしても(後記説示の如く、本件鉱山での粉じん曝露につき被告に過失がある以上)、被告は、亡武夫に生じたじん肺につきその賠償責任を一部でも免れることはできないものというべきである。

二、亡武夫以外の原告等

1、〈証拠〉(以下「長門診断書」という。)によれば、昭和五五年九月二五日医師長門宏の診察を受けたところ、原告勝義、同平川、同新名、同戸高は、いずれもじん肺管理区分管理二、同シヅ子は管理一と診断されたことが認められ、これに〈証拠〉を合わせれば、原告勝義、同平川、同新名、同戸高は、右五五年九月ころまでにはじん肺が発症し、これにより肺機能に障害が生ずる状態に至つていたことが認められる。〈証拠〉(久保田報告)には、右と異なつてじん肺の所見はない旨記載されているが、これは、診断時期が右長門診断書よりもかなり前であることを考慮すれば、右認定を覆すに足りないものというべきである。

2、そこで、原告勝義、同平川、同新名、同戸高のじん肺と本件鉱山における亜砒酸等の粉じんとの間の因果関係について検討する。

原告新名本人尋問の結果によれば、同原告は、本件鉱山における製錬作業以外には鉱山粉じんに曝露する環境下で作業したことがないものと認められるから、同原告のじん肺は本件鉱山における亜砒酸等の粉じん曝露に起因するものというべきである。次に、その余の原告三名については、〈証拠〉によれば、いずれも本件鉱山における製錬作業以外に他の鉱山における勤務など、粉じんに曝露する環境下での従業歴があることが認められるけれども、右原告三名の本件鉱山における作業内容ひいては亜砒酸等粉じんの曝露状況及びその従業期間が原告新名と殆んど変わるところがなかつたことからすれば、右原告三名についても、原告新名と同様、そのじん肺と本件鉱山における亜砒酸等の粉じん曝露との間に相当因果関係を認めるのが相当である。

第三節  肺癌

一、亡武夫

1、亡武夫は宮崎労働基準局からじん肺管理区分管理四に認定されたが、同五〇年五月に至つて肺癌と診断され、同年一一月四日死亡したことは当事者間に争いがない。

2、証人佐野辰雄の証言によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

同証人が、亡武夫の死亡後その肺につき大切片標本と顕微鏡標本を作成して検定したところ、肺及びリンパ線には粉じん巣が存在し多量の粉じんが溜まつていて、極めて固かつた。これは珪肺であるが、まだ大陰影には達しない程度であつた。

他方、気管支の上皮細胞は繊毛が消失し、形の変わつた癌の一歩手前というような細胞が全体にわたつて増殖し、気管支粘膜下の滑平筋も増殖するなどの強い慢性気管支炎の像を示しており、この部分から肺癌が発生したとみられる。

このような気管支変化は珪肺性の粉じんだけでは起り得ないから、他の刺激性の粉じん、例えば砒素を含む粉じんの作用を想定せざるを得ない。右粉じんが発癌の引き金を引いたとみられる。

そして、本件鉱山における砒鉱石等の粉じん及び亜砒酸の粉じん曝露以外に、右に述べた刺激性の粉じんに亡武夫が曝露されたことを認めるに足る証拠はない。

3、そうすると、亡武夫の肺癌は、じん肺と砒素の作用があいまつて発症したものと認めるのが相当であり、本件鉱山における砒鉱石等の粉じん及び亜砒酸等の粉じん曝露との間には相当因果関係があるというべきである。

二、亡武夫以外の原告等

砒素自体に発癌作用があるのに加えて、原告勝義、同平川、同新名、同戸高にはじん肺の所見もあることを考慮すれば、亡武夫以外の原告等にとつても、将来における肺癌発症の危険性にはなお軽視できないものがあるというべきである。

第五章  責任

第一節  はじめに

原告らは、被告の責任原因として債務不履行責任と不法行為責任と鉱業法一〇九条に基づく責任とを主張し、これらに基づく請求をしているところ、右の三者は選択的な関係において主張、請求されているものと解されるので、まず、不法行為責任(請求原因第五章第三、第四節)の成否について、以下検討する。

第二節  予見可能性

一、砒素毒の予見可能性

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

紀元前二〇〇〇年の昔、既に砒素は銅精錬により亜砒酸として得られ、医薬及び毒物として使用されていた。中世の西洋では殺人用毒物として最も普通に用いられた。砒素製剤による医療はしばしば重大な副作用をきたした。

砒素中毒の集団発生の事例は数多く、古くはフランスの砒素混入ぶどう酒事件(一八八四年)、イギリスの砒素含有ビールによる中毒事件(一九〇〇年)が報告されている。

また、金、銅等の製錬や山元亜砒酸製造では、亜砒酸や亜硫酸ガスが大量に排出され、これによる汚染が鉱山労働者や地域住民に中毒による被害を及ぼしてきたことも、Henckel(一七二八年)、Geiyer(一八九八年)、Lundgren(一九五一年)らが既に報告している。

発癌性についても、砒素製剤を投与した患者に皮膚癌の発症をみたとする報告(一八八七年)など、早くから臨床報告例がある。以上の事実が認められる。

そうすると、砒素が死を含む重篤な健康障害をもたらす強力な毒物であること、及び亜砒酸製造等によつて労働者等がこれに曝露し被害を受けるおそれのあることは、古くから知られていたというべきである。

二、じん肺の予見可能性

〈証拠〉によれば、鉱山労働者には、作業中における難溶性の粉じんの多量吸入が原因となつて珪肺を代表とするじん肺が発生することは古くから知られていたこと、我国では明治、大正時代からこれに関する調査、研究が行なわれ、昭和五年には当時の内務省の通牒により、珪肺が業務上の疾病として公的に認められるに至つたこと、被告も多数の鉱山を経営する企業として、昭和九年以前からじん肺に関する研究等を行ない対策を講じてきたことが認められる。

第三節  製錬作業をめぐる故意、過失責任

一、故意責任

被告が、戦後本件鉱山の近くに診療所を設置し、従業員に対し、一定の医療措置を行なつたことは当事者間に争いがないし、また〈証拠〉によれば、被告は製錬夫に対し、砒素まけ防止用に塗布剤の支給も行なつたことが認められる。結局、本件全証拠によつても、被告が原告等の健康障害の発生を認識しながらこれを認容し放置していたことは認め難いから、被告に故意責任があるとはいえない。

二、過失責任

1、前記認定(本章第二節)からすれば、被告は、砒素(亜砒酸)が強力な毒物でありこれに曝される労働者に重篤な健康障害をもたらすおそれのあること及び粉じんが労働者にじん肺をもたらすおそれのあることを容易に知り得たはずであるから、本件鉱山における焙焼炉の構造、安全性に格別の注意を払うのは勿論、作業方法、防護具に万全を期し、もつて何よりもまず、本件鉱山の労働者が右のような強い毒性を有する砒素に曝露すること及び粉じんを吸入することを防止すべき注意義務があるのはいうまでもない。

しかるに、被告が本件鉱山に設置していた焙焼炉は、前記認定のとおり、新炉、旧炉を問わず、製錬夫が集砒室内に入つて亜砒酸のかき出し、壁落し、煙道ほがし等の作業をすることを余儀なくされるうえに、脱煙、収じん等の装置は一切なく、安全性の面で重大な欠陥があつたことは明らかである。

また、製品の箱詰作業、運搬作業、焼滓の管理面でも適切を欠いたうえ、塗布剤を支給したほかはこれといつた防護具の支給、備え付けがなかつたことも前記認定のとおりである。

そうすると、被告には右注意義務の懈怠があるというべきである。

2、もつとも、戦前の本件鉱山における亜砒酸の製錬作業は、すべて訴外黒木が被告からこれを請負つて行つていたものであつて、被告自らが行つたものでないことは前記(第一章第二節)認定のとおりである。

しかし、〈証拠〉によれば、同訴外人は個人の零細経営であつたこと、作業の設備は一切被告が所有し管理していたこと、同人の請負つた作業は、本件鉱山における操業の一工程として、これに組み込まれており、右作業についても、被告会社の本件鉱山現場監督の訴外高橋角太郎が、毎日製錬現場を見回り、製錬夫の出勤状況を監視、督励する等していたこと、原告勝義らは、被告の従業員である本件鉱山所長の面接、了解を得たうえで、訴外黒木に雇傭されたこと、等の事実が認められ、以上の各事実からすれば、被告は訴外黒木及びその従業員を指揮監督できる地位にあり、且つ現実に指揮監督していたものと認めるのが相当であり、証人都甲益視の証言をもつては右認定を覆すに足りず、他にこれに反する証拠はない。

してみれば、この場合においても、訴外黒木以上に専門的な知識を有し、本件製錬作業による加害の危険を容易に予知しえたはずの被告としては、自らあるいは訴外黒木に指示して、焙焼炉の安全性確保、各作業における危険防止、焼滓の管理、防護具の支給、備え付け等につき万全の措置を講じ、もつて本件鉱山の労働者(被告に雇傭されていると訴外黒木に雇傭されているとを問わず)が砒素に曝露したり粉じんを吸入したりすることを防止すべき注意義務を負つていたものというべきである。

しかるに、被告がこれを懈怠していたことは、右1と同様前記認定のところから明らかというべきである。

3、次に、被告は、昭和二九年一二月、被告の元従業員である訴外糸永に租鉱権を設定し、合わせて焙焼炉、坑道等の設備一切を同訴外人に譲渡したことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、訴外糸永は、右租鉱権の設定、焙焼炉等の譲受けに際し、被告が雇傭していた鉱山所長、製錬夫、採鉱夫等をそのまま引き続いて雇傭し、被告がなしてきたのと全く同様の方法で操業を続けてきたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、右の承継の態様、その前後の事情からすれば、被告は同訴外人が右焙焼炉等の設備をそのまま使用し、従前と同様の方法で操業を続けることを十分知悉していたというべきであるから、このような場合、被告は、製錬夫を始め本件鉱山に勤務する労働者が、亜砒酸及びその他の粉じんに曝露することがないように右焙焼炉等を改造し、安全な構造のものとして譲渡すべき注意義務があるといわなければならない。

しかるに、被告は焙焼炉等の前記欠陥を何ら是正しないまま譲渡し、もつて訴外人がこれらをそのまま使用して従前同様の操業を続けるに任せたものというべきであるから、被告に右注意義務の懈怠があることは明らかである。

4、結論

以上によれば、被告には、戦前戦後鉱業権を有していた期間の本件鉱山における亜砒酸の製錬作業により、原告等が被つた健康障害(慢性砒素中毒性、原告勝義、同平川、同新名、同戸高のじん肺、亡武夫の肺癌)について過失責任がある。

第四節  採鉱作業をめぐる故意、過失責任

一、故意責任

本件全証拠によつても、被告が本件鉱山における採鉱作業により、従業員にじん肺が発症することを認容していたとは認め難いから、被告に故意責任があるとはいえない。

二、過失責任

1、前記認定(本章第二節)からすれば、被告は、坑内作業において発生する粉じんが、労働者にじん肺をもたらす虞あることを容易に知り得る立場にあつたことは明らかであり且つ現実に知つていたものと推認されるから、坑内に集じん、換気装置を設置するは勿論、防護具に万全を期し、もつて何よりもまず、作業に従事する労働者が粉じんを吸入することを防止すべき注意義務があるのはいうまでもない。

しかるに、前記認定のとおり、本件坑道は集じん、換気装置は一切なく、労働衛生の面で重大な欠陥を有していたし、また被告から従業員に対し、防護具の支給は一切なかつたから、被告には右注意義務の懈怠がある。

2、前記のとおり、被告は昭和二九年一二月本件鉱山の坑道を訴外糸永に譲渡したが、右承継の態様、その前後の事情からすれば、被告は、同訴外人が右坑道をそのまま使用して操業を続けることを十分知悉していたものというべきであるから、このような場合、被告は採鉱夫等が坑内において発生する粉じんを吸入することがないように前記各装置を設置する等本件坑道を安全な設備を有するものにして譲渡すべき注意義務があるといわなければならない。

しかるに、被告は坑道の前記欠陥を何ら是正しないまま譲渡し、もつて訴外人がこれをそのまま使用するに任せたものというべきであるから、被告には右注意義務の懈怠がある。

3、結論

以上によれば、被告には、亡武夫が本件鉱山において採鉱作業に従事したために被つた健康障害(じん肺、肺癌)について、過失責任がある。

第六章  抗弁について

第一節  和解

一、前提事実

〈証拠〉を総合し、これに当事者間に争いのない事実を合わせると次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1、本件鉱山の元従業員の間に砒素による健康障害があるという指摘や陳情に基づき、昭和四七年宮崎労働基準局の委嘱を受けた、久保田重孝を委員長とする専門委員会が本件鉱山の元労働者の健康調査を行ない、その結果は翌四八年二月久保田報告としてまとめられたが、それによると、亡武夫を除く原告等五名を含む九名の者が第三章第四節記載の症状の限度において慢性砒素中毒症と認められ、そのうち原告平川の症状は鼻中隔穿孔、皮膚変化、同新名の症状は鼻中隔穿孔、同戸高の症状は皮膚変化、嗅覚脱失、毛髪粗、知覚低下とされた。

2、久保田報告を受けて、宮崎労働基準局は同年三月八日、右九名の者について、右久保田報告の認めた症状の限度において業務上疾病としての慢性砒素中毒症に罹つている旨の認定を行なつた。

3、被告は右労災認定を受けた九名の者に見舞金を支払いたいと考え、直ちにその旨申し入れをなし、同月一一日を第一回として交渉が続けられた。

4、右交渉において、被告は支払うのは損害賠償金ではなく見舞金であり、しかもそれを支払ううえで対象となる症状は、慢性砒素中毒症として公的に認定された症状、換言すれば久保田報告が認定した症状に限るとの立場に立ち、その点で砒素曝露により原告等が受けた健康障害は当時原告等に発症していた全身にわたる広範、多彩な症状のすべてでありこれに対する充分な損害賠償がなされなければならないとの立場に立つ原告らと強く対立した。

5、被告は右の立場に立脚して、勤務時期、勤務年数に対応して金一一〇万円、七五万円、五五万円、二五万円の四ランクに分けた見舞金の提示をし、これに対して原告らは損害賠償金として一人金八三〇万円を要求した。

6、原告らは砒素曝露による健康障害が全身障害であるとの立場に立つていたとはいえ、当時そのことを裏付ける具体的資料は原告らの耳目に触れえるものとしては何もなかつたばかりか、公的調査機関たる専門委員会はこれを事実上否定する結論を出していたもので、原告らの右見解は臆測の域を超えるものではなかつたし、砒素が肺その他の癌を発症する蓋然性を有していることの認識は全く欠如していた。

7、その後、見舞金額のランク付の是非をめぐつて、原告らの内部に意見の対立が起り、被害者の会は事実上分裂し、そうした状況の中で、被告の提案を受諾する者が出てきた。

8、被告が当初の提示金額を増額したこともあつて原告ら三名は急速に妥結に傾き、原告平川は同年七月一〇日金二五〇万円で、同新名、同戸高は同月一二日それぞれ八〇万円で妥結した。

9、この間原告らは一回だけ弁護士に法律相談をしたにとどまり、その内容も訴訟を提起した場合の見通しに関するものであつた。

10、原告三名が被告と取交わした覚書には、第一項として被告は各原告に対し特別見舞金として右各金員を支払う旨、第二項として業務上疾病(慢性砒素中毒症)については一切が円満に解決したものとし、以後原告は被告に対し名目の如何を問わずいかなる請求もしない旨の各条項(以下第二項を「請求権放棄条項」という。)が含まれている。

以上の事実が認められる。

二、本件特別見舞金契約の解釈

本件覚書をその文理どおり解釈すれば、金二五〇万円もしくは金八〇万円と引換えに、原告三名は一切の請求権を放棄したと解し得ないでもないが、仮にそうであるとすれば、右契約は同原告らの被つた健康障害の程度と対比すると、社会観念上同原告らに著しく不利な内容のものといわざるを得ない。

しかし、砒素曝露により被つた健康障害は全身障害であるとする原告らの主張を裏付ける資料は当時なかつたこと、かえつて公的調査機関はこれを事実上否定する結論を出していたこと、被告の提案した見舞金のランク付の是非をめぐつて被害者の会は事実上分裂し、原告らは個別交渉を余儀なくされたこと、弁護士からの十分な指導、助言はなく、特に本件覚書の内容についての助言は皆無であつたこと、原告らはもともと被告に対し一人金八三〇万円の要求を出していたものであるが、妥結金額はこれと比較しても隔りが大きいこと、交渉にあたつて被告のとつた立場は前項4記載のとおりであることを考慮すれば、本件請求権放棄条項を右のような趣旨のものと解釈することは相当でないものというべきである。

すなわち、右は、原告三名が久保田報告において認定され且つ労働基準局から「業務上疾病」と認定されていた前記症状の範囲で、これに関する請求権を放棄したものと解釈するのが相当である。

被告の和解の抗弁は右の限度で理由がある。

なお、本件特別見舞金契約は、右のとおりに解されるから、原告の和解契約が公序良俗に反するとの主張及び錯誤の主張は、いずれもその前提を欠き採用できない。

第二節  消滅時効

一、民法七二四条後段の長期消滅時効

1、同法七二四条後段には「不法行為ノ時ヨリ二〇年」とあるけれども、これを加害行為の行なわれた時から二〇年と解するならば、行為後一定期間を経て損害が発生する場合は、損害賠償請求権が発生する前にその消滅時効が進行を開始するという矛盾が生じ、消滅時効は権利を行使しうる時から進行を開始するとの一般原則(民法一六六条一項)にも背馳することとなり、殊に、行為後二〇年以上を経て損害が発生する場合は、それにつき被害が全く救済されないという不当な事態を避けられないこととなる。

このような点に鑑みると、同法七二四条後段にいう「不法行為ノ時」とは不法行為の成立要件が充足された時、すなわち、加害行為があり且つそれによる損害が発生した時を意味するものと解するのが相当である。もつとも、通常の場合には、加害行為時に、仮に損害が未だ現実化、顕在化していないとしても、それが将来現実的に発生すべきことの認識が客観的には可能である(従つて損害賠償請求権も客観的には行使可能である)ために、その行為の時をもつて損害が発生したものとみなし、従つて損害賠償請求権も発生したものとして処理する、ひいてはその時から消滅時効の進行が開始するものと扱うのが相当と解されるけれども、損害の客観的認識可能という前提の充たされない場合には、右の擬制は採用しえず、損害が現実化、顕在化するまでは時効は進行しないものというべきである。

2、更に、損害が相当期間にわたつて進行的に発生、拡大し、そののち確定する進行性損害の場合は、時効の問題では全損害を一体としてとらえ、右確定の時から(すなわちその進行のやんだ時から)全損害につき一律に時効が進行を開始するものと解するのが合理的である(鉱業法一一五条二項参照)。

3、ところで、本件の健康障害は、皮膚や粘膜の刺激症状に始まり、砒素等の曝露終了後、長期間にわたつて、次第に皮膚症状、多発性神経炎、慢性気管支炎、循環障害、じん肺症、更には肺癌(亡武夫)等、広範、多彩な症状が出現、増悪するものであり、個々の症状は互いに関連し合つて健康不全状態を形成し、労働能力低下、日常生活阻害等を招来しているものと評価すべきであるから、右各症状として顕われてきている原告等の健康障害は、その総体が一個の損害として、まさしく右にいう進行性損害にあたるものというべきである。

4、従つて、本件損害賠償請求権の長期消滅時効は、前記見地に立つて、新たな症状の出現がやんだ時、すなわち損害が確定した時から、全損害につき一律にその進行を開始すると解すべきである。

5、ところで、本件においては、前記(第四章第一節)認定のとおり、原告等全員について、本訴提起の日であることが記録上明らかな昭和五一年八月二一日から二〇年前の日以降においても、新たな症状が出現したことが認められるから、本訴提起の時点においては、原告ら全員について、いまだ右長期消滅時効は完成していないことが明らかである。

二、民法七二四条前段の短期消滅時効

1、同法七二四条前段には「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時ヨリ三年間」とあるけれども、右は、加害者に対する損害賠償請求権の行使が可能な程度に(換言すればその権利行使に着手すべきことを期待しうる程度に)、具体的な資料に基づいて、当該不法行為による損害とその加害者を認識することを意味するものと解するのが相当である。

ところで、前記のとおり、本件健康障害は症状の広範性、多彩性、進行性、非特異性を特質とするものであつて、このような場合には、かかる広範、多彩な健康障害の少くとも主要部分が当該、加害行為に起因して進行的に出現、拡大する(又は出現、拡大してきた)ものであることについての認識の有無が、賠償請求権の行使の可能性を大きく左右し、かかる認識のない間は、損害全体についての賠償請求が不可能であるのは勿論であるし、また、すでに出現し且つ当該加害行為により生じたことの判明している重要でない一部の症状に関してのみの賠償請求に着手すべきことを当然には期待し得ないものというべきであるから、右損害に関する賠償請求権の短期消滅時効は、原告等が、右に述べた症状の広範性、進行性及び加害行為との因果関係について具体的な資料に基づいて認識するに至つた時から、全損害につき一律に進行を開始するものと解するのが相当である。

2、そこで、右の趣旨において「知つた」時を検討するに、前記認定によれば、久保田報告及びこれに基く労災認定は、前記の如き一部の外形的症状を慢性砒素中毒症として肯認したにすぎないものであるから、原告等にとつて、自らの広範、多様な健康障害の主要部分が本件加害行為に起因して進行的に出現、拡大してきたものであることを裏付ける資料としては足りないものというべく、勿論、右以前にかかる具体的資料が原告等の耳目に触れ得たことを認めるに足る証拠は何もない。

そうすると、原告等が右のような資料を得たのは早くとも岡山大意見書の出た昭和五〇年二月というべきであり、この時をもつて時効の起算点と解すべきである。

3、右昭和五〇年二月から三年以内に本訴が提起されていることは明らかであるから、その時点においては、原告ら全員について、いまだ右短期消滅時効は完成していないというべきである。

三、時効の中断

そこで、本訴提起による時効中断の範囲について検討する。

本件訴状においては、原告平川(ただし、訴外糸永に雇傭されていた期間につき)、同新名、同戸高については民法七〇九条に基づく請求(当裁判所が前五章で理由あるものと判断した請求)が訴訟物とされていたけれども、原告勝義、同平川(ただし、被告に雇傭されていた期間につき)については民法四一五条に基づく請求が、同シズ子、同ツナ子については鉱業法一〇九条に基づく請求が、それぞれ訴訟物とされていたことは記録上明らかである。

従つて、原告平川(ただし、訴外糸永に雇傭されていた期間につき)、同新名、同戸高に関しては、本訴提起が「裁判上の請求」そのものとして前記各消滅時効を中断することが明らかであるけれども、その余の原告らについては、本訴提起が「裁判上の請求」そのものに該当するか否かは論議の余地があることとなる。

しかしながら、本訴提起時の右各請求はいずれも、要するに原告等が勤務していた本件鉱山の操業により原告等が被つた健康障害について損害賠償を求めるものであるが、その訴提起は、右各請求自身の時効を中断するとともに、これと同一の事実関係を原因として同種の給付を求める同一当事者の他の請求についても、その履行を催告する意思を含んでいることが明らかであるから、少くとも、いわゆる「裁判上の催告」としての時効中断効を有するものと解すべきである。

それ故、右の訴を提起し、維持している間に、原告勝義、同平川(ただし、被告に雇傭されていた期間につき)、同シヅ子、同ツナ子が明示的に追加した民法七〇九条に基づく請求(当裁判所が、前五章で理由あるものと判断した請求)についても、前記各消滅時効は中断されているものと解すべきである。

四、結論

以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく、原告らいずれについても、右各消滅時効は完成していないものというべく、被告の消滅時効の抗弁は理由がない。

第三節  一部弁済

本件特別見舞金契約を前記(第一節)のように解すれば、原告平川、同新名、同戸高は、久保田報告において認定された前記症状の範囲では一切の請求権を放棄したこととなり、受領した各金員で満足すべきものである。

そうすると、同原告らは、右放棄に係る部分を除くその余の部分についてのみ損害賠償を求め得るのであるから、その損害額の算定にあたり、更に右各金員を控除することは二重の控除となる。従つて、かかる控除はすべきでなく、被告の一部弁済の抗弁は採用できない。

第四節  損害の填補

一、当事者間に争いのない事実

抗弁第四章(損害の填補)のうち、原告等及び原告ツナ子が被告主張の金員の支払を受けたことは当事者間に争いがない。

二、労災法に基づく休業補償給付、障害補償給付、遺族補償年金、厚生年金法に基づく障害年金

労災法に基づく保険給付の実質は、使用者の労働基準法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うものであつて、受給権者に対する損害の填補の性質をも有するから、政府が受給権者に対し、同法に基づく保険給付をしたときは、損害賠償義務者はその価額の限度で責を免れると解するのが相当である。

また、厚生年金法に基づく保険給付も右損害填補の性質を有することは否定できないから、右と同様に解すべきである。

従つて、労災法に基づく休業補償給付、障害補償給付、遺族補償年金、厚生年金法に基づく障害年金は、支給された額の限度で損害額から控除する。

原告らは厚生年金法に基づく障害年金については、被保険者自身が保険料の二分の一を負担しているので、仮に控除するとしても、その控除額は支給された額の二分の一にとどめるべきだと主張するけれども、厚生年金の給付は労働者の負担する保険料と対価性を有しないから右主張は採用できない。

三、労災法に基づく休業特別支給金、遺族特別支給金、援護措置要綱に基づく給付金

労災法に基づく休業特別支給金、遺族特別支給金は、政府が労働福祉事業として支給するものであつて、損害填補の性質を有しないから損害額から控除すべきではない。

同じ理由で、援護措置要綱に基づいて給付される療養に要する雑費も控除しない。

第七章  損害

第一節  損害額の算定にあたり考慮すべき事情

一、原告等に共通の事情

前記認定によれば、原告等の慢性砒素中毒症は、砒素の細胞内酵素特にSH基系酵素活性の阻害作用に基づくもので、第四章第一節四に見られるとおり長年月にわたつて、次第に、広範、多彩な症状が出現し、増悪してきたものであり、しかも、それらの症状は不可逆性で、現在の医療においては根本的に治癒し得ないという深刻な特質を持つ。

また、自覚症状も多彩で、その内容にも全身倦怠感、易疲労感など見過せないものがある。

そのうえ、原告等の殆んどはじん肺にも罹患していることを考え合わせると、原告等の健康障害の広範性、重篤性には相当顕著なものがあるといわなければならない。

これらの原告等の症状は、総合的に観察するとき、労働過程及び日常生活の過程において、本人及び家族に多大の苦痛をもたらすものというべきである。

加えて、砒素には発癌作用があることは今日疫学的に疑いがなく、現に亡武夫は肺癌を発症して死亡した。他の原告等にとつても、発癌の危険性には軽視できないものがある。

右のような砒素中毒症の特質からすれば、将来にわたつて、原告等に対し、強い健康不安を抱かせるものであることはいうまでもない。

砒素は古くから猛毒をもつて知られた物質であり、また、粉じんに曝されての作業がじん肺をもたらすおそれのあることも相当以前から知られており、被告もそれらのことを十分認識していたとみられるにもかかわらず、戦前はともかく、戦後においても、殆んど防護措置のない状態のままに採鉱や亜砒酸の製造が続けられていたことは、まことに驚くべきことであつて、被告の過失は重大といわなければならず、この点も損害額算定にあたつては無視し得ないところである。

二、個別事情

以上の諸点のほか、上来認定の原告等の症状とその程度(一部の症状について請求権を放棄した原告平川、同新名、同戸高についてはその症状を除く。)、本件鉱山における職種、勤務期間とこれに由来する本件砒素曝露、粉じん曝露の程度、期間、並びに〈証拠〉によつて認められる表12記載の諸事情(本件、鉱山退職後の生活状況、特に就業状態、年令、生計を共にした家族数等)を総合考慮して、本件口頭弁論終結時現在において、原告等の包括的な損害額を算定するのが相当である。

第二節  賠償額の算定

一、損害額

前節の見地に立つて各原告等の損害額を算定すると、原告勝義につき金二八〇〇万円、同シヅ子につき金一三〇〇万円、同平川につき金一八〇〇万円、同戸高につき金一五〇〇万円、同新名につき金八〇〇万円、亡武夫につき金三五〇〇万円とするのが相当である。

二、給付金の控除

右認定の賠償額から第六章第四節認定の損害の填補たるべき各種給付金を控除すると、その残額は、原告平川につき金一一〇〇万五九〇一円、原告戸高につき金七六二万五〇一七円、同新名につき金七九五万円、亡武夫につき金二六〇九万六八六三円(控除額中には原告ツナ子の受給した遺族補償年金六九七万八二四二円を含む。)となる。

三、相続

原告ツナ子が、遺産分割協議により亡武夫の損害賠償請求権を全部相続したことは当事者間に争いがない。

四、弁護士費用

本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額等諸般の事情を考慮すると、一項掲記の損害額(ただし、二項で受給額を控除した原告平川、同新名、同戸高及び原告ツナ子についてはその控除後の残額)に対する一割の額(円未満切捨)が、本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用と認められるからこれをそれぞれ加算した額が被告の各原告らに支払うべき賠償額である。

第八章  結語

以上によれば、原告らの被告に対する請求は、認容金額一覧表(表1)の認容金額欄記載の金員及びこれに対する本件口頭弁論終結時である昭和五七年六月二八日からそれぞれ完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、原告らのその余の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(森脇勝 渡辺修明 若宮利信)

表1 認容金額一覧表

原告名

認容金額(円)

金子勝義

三〇八〇万

金子シヅ子

一四三〇万

平川誠四郎

一二一〇万六四九一

新名清一

八七四万五〇〇〇

戸高藤平

八三八万七五一八

土田ツナ子

二九五九万七五四九

表7

受給者

給付等の種類

受給期間(昭和)

受給金額(円)

原告シヅ子

労災特別援護措置要綱

(昭和四八年八月九日基発第四六七号)

3.へに掲げる療養に要する雑費

五三年五月~

五七年一月

七一万八〇〇〇

原告平川

労働者災害補償保険法に基づく

障害補償給付

四八年

五万

休業補償給付

五三年四月一四日~

五七年四月三〇日

三八六万七三六四

休業特別支給金

同右

一四八万八三一七

厚生年金保険法に基づく

障害年金

五〇年七月~

五七月二月

三〇七万六七三五

合計八四八万二四一六

原告新名

労働者災害補償保険法に基づく

障害補償給付

四八年

五万

原告戸高

労働者災害補償保険法に基づく

障害補償給付

四八年

一二万

休業補償給付

五三年四月一〇日~

五七年四月三〇日

三八八万四四三六

休業特別支給金

同右

一四八万七四〇一

厚生年金保険法に基づく

障害年金

五〇年七月~

五七年一月

三三七万〇五四七

合計八八六万二三八四

亡武夫

原告ツナ子

労働者災害補償保険法に基づく

(亡武夫)

休業補償給付

四八年一二月二四日~

五〇年一一月四日

一一一万四八九五

休業特別支給金

四九年一一月一日~

五〇年一一月四日

二三万〇五〇二

(原告ツナ子)

遺族特別支給金

五〇年

一〇〇万

遺族補償年金

五〇年一二月~

五七年二月

六九七万八二四二

合計九三二万三六三九

表8

文献にみる砒素中毒の臨床症状

急性中毒

亜急性中毒

慢性中毒

体重減少,るいそう,顔面蒼白,悪寒,発熱,倦怠感,脱力,虚脱

体重減少,るいそう,倦怠感

体重減少,るいそう,倦怠感,易疲労

皮膚炎(痒感,紅斑,糖状或は落屑性表皮剥離,

水疱,小丘疹,小嚢胞,膿疱性毛嚢炎),蕁麻疹様症状,皮下出血,点状出血,出血性紫斑症,メース氏線(爪)局所性浮腫(眼瞼,顔面,踵部)

皮膚炎,蕁麻疹,色素斑,局所性浮腫,爪の変形・脱落,メース氏線

皮膚炎,局所性浮腫,爪の変形・脱落,メース氏線,爪周囲炎,脱毛,指趾の無痛性潰瘍,色素沈着,色素脱失,異常角化,疣贅

皮膚癌

類表皮癌

基底細胞癌

表皮内細胞癌

type B keratosis

ボーエン氏病

粘膜系

障害

食道痛,胃腹部痛,仙痛,嘔気,嘔吐,下痢,胃腸出血,便秘,食欲不振,

胃腸炎,潰瘍性腸炎,麻痺性イレウス

胃腹部痛,腹部不快感,嘔気,嘔吐,下痢,便秘,舌苔,口渇,食欲不振など胃腸炎症状

胃腹部痛,嘔気,嘔吐,下痢,便秘,舌苔,食欲不振,胃腸出血,腹部膨満感など胃腸炎症状,食道癌,胃酸減少症,胃酸欠乏症

咳,呼吸促迫,呼吸困難,喉頭痛,無声,咽頭炎,喉頭炎,気管支肺炎,肺梗塞

咳、喀痰,血痰,呼吸困難,嗄声,無声,咽頭炎,喉頭炎,気管支炎,肺炎

咳,喀痰,血痰,嗄声,呼吸困難,胸痛,胸水,咽・喉頭痛,

咽頭炎,喉頭炎,気管支炎,気管支肺炎,肺炎,気管支周囲炎,気管支拡張症,喘息様症状,滲出性胸膜炎,胸膜胼胝腫,肺気腫,気管支癌,肺癌

口唇乾燥,口腔粘膜出血,歯齦出血,

角膜炎,結膜下出血,結膜炎,

鼻炎,鼻中隔潰瘍

結膜炎,角膜炎,

鼻炎,副鼻腔炎

歯周囲炎,歯齦炎,歯牙の強度欠損,口内炎,結膜炎,結膜下嚢胞,角膜炎,角膜潰瘍,角膜穿孔,鼻炎,副鼻腔炎,鼻中隔穿孔

神経系

障害

脳神経障害(Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,Ⅵ,Ⅶ,Ⅷ)

多発性神経炎,四肢筋力低下,発汗過多,筋肉痛

視神経炎(視神経萎縮,求心性視野狭

窄,視力障害),外転神経麻痺,眼球

偏位,多発性神経炎,多発性根神経炎,坐骨神経痛,発汗過多,筋萎縮,筋緊張症

嗅覚障害,視神経炎,味覚障害,三又神経痛,

角膜反射障害,多発性神経炎,多発性根炎,多発性根神経炎,筋萎縮,発汗過多,四肢寒冷,流涎,レイノー現象

頭痛,不安,不機嫌,不穏,興奮,先見当識,譫妄,

昏睡,けいれん発作,項部硬直,ケルニッヒ徴候,オピストトーヌス,髄圧亢進,眼振,振戦,散瞳,嚥下障害,深部反射亢進,大小便失禁,尿閉

頭痛,めまい,性欲欠如,記憶・記銘力

減退,失見当識,コルサコフ症候群,譫妄,不穏焦燥,対光反射消失,項部硬直,深部反射亢進

頭痛,傾眠,性欲障害,記憶・記銘力障害,失見当識,

譫妄,一過性意識障害,けいれん発作,振戦,アテトーゼ様運動,脊髄癆様症状,興奮,精神の不安定,幻視,抑うつ状態,器質性精神病状態

脈搏微弱・急拍,不整脈,心雑音,心停止,チアノーゼ,下肢の浮腫,心室性細粗動,心電図異常

硝子体出血,網膜出血

心内膜炎,心肥大,頻脈,チアノーゼ,心電図異常

網膜出血

心肥大,心筋梗塞,滲出性心嚢炎,発作性心房粗動,高血圧,低血圧,梗塞性,門脈硬化症,下肢の浮腫,下肢静脈瘤,下肢壊疽,

blackfoot disease,閉塞性動脈内膜炎,網膜出血,微細動脈瘤,硝子体混濁,網膜血管狭小化

貧血,汎血球減少症,好塩基性斑点,再生不良性貧血,顆粒細胞減少症

貧血

脾腫,貧血,白血球減少症,リンパ球増多症,好酸球増多症,汎血球減少症,血沈亢進,多赤血球血症,血小板減少症,再生不良性貧血,白血病

肝腫大,黄疸,急性肝炎,

急性黄色肝萎縮,

膵臓機能不全(一過性過血糖)

黄疸,肝硬変

肝腫大,腹水,黄疸,肝硬変,悪性肝腫瘍,胆道癌,食道静脈瘤,

非肝硬変性門脈高血圧,

血清ビリルビン値上昇,低蛋白血症

腎機能不全,急性出血性腎炎,

尿中アルブミン陽性,血尿,乏尿,無尿

賢硬化症

表9

専門委員会第1次健診結果

(業務上疾病あるいはその疑いありと判定された者)

(有所見者)

(職種)

鼻中隔穿孔

5人

製錬 5人

皮膚変化

(色素沈着,色素脱失白斑,角化)

5人

製錬 5人

爪変化

1人

製錬 1人

知覚異常(病的反射なし)

5人

製錬 5人

半身不随

1人

製錬 1人

白内障

2人

製錬 2人

じん肺症あるいはその疑い

13人

採鉱 11人

製錬 1人

選鉱 1人

PR4:3

PR3:1

PR2:3

PR1:6

肺機能障害

5人

製錬 4人

選鉱 1人

表10 専門委員会第2次健診結果

1. 慢性砒素中毒症と認められる者(9名)

受診者

番号

年令

職種

主症状

22

55

製錬

鼻中隔穿孔・皮膚変化

28

53

鼻中隔穿孔・皮膚変化(?)・尿中As

42

49

鼻中隔穿孔・皮膚変化

44

37

鼻中隔穿孔・知覚低下(?)

59

45

鼻中隔穿孔

10

55

皮膚変化・嗅覚失調

12

55

皮膚変化・嗅覚脱失・毛髪粗・知覚低下(?)

17

60

皮膚変化・知覚低下(?)

57

66

皮膚変化

2. じん肺症(管理4)と認められる者(2名)

56

58

採鉱

PR3K2Tb(+)

34

72

PR4Tb(-)F2

3. 砒素等による影響が疑われる者(2名)

4

60

製錬

鼻腔はん痕,爪肥厚,じん肺法による管理2(Pr1,Tb(0),F1)

5

66

嗅覚失調,じん肺による管理2

(PR1,Tb(0),F1)

4. じん肺症(管理3)と認められる者(6名)

1

41

採鉱

PR3Tb(0)F2

18

38

PR2Tb(0)F2

19

57

PR2Tb(±)F0

20

41

PR1Tb(±)F2

26

64

PR2Tb(-)F2

52

73

PR4Tb(0)F1

5. 再検査を必要とする者(3名)

39

43

採鉱

尿中砒素高値

47

40

48

43

毛髪砒素高値

表11

原告等の症状経過

(その1)原告勝義

Ⅰ、本件鉱山就労時の症状

イ、嗄声、咳、痰、咽頭痛

ロ、鼻汁、鼻血、嗅覚低下、眼脂

ハ、亜砒まけ

ニ、下痢,腹痛

ホ、頭髪脱毛、頭痛

ヘ、左眼視力低下(亜砒酸粉末の誤入による)

ト、四肢の知覚鈍麻、しびれ

Ⅱ、本件鉱山退職後の症状の出現、増悪とその時期

(但し証拠上時期の判明しているものに限る)

1、昭和一五年頃から、手足のしびれが顕著になった。

2、昭和一八年頃から腹部が異常に腫れ(同二五年頃まで)、

食欲不振となり、左眼は失明状態となった。

3、昭和三六年一二月に脳卒中の発作で倒れ、左片麻痺の

後遺症が残り、以後今日まで寝たきりの状態が続いている。

4、昭和三九年頃から、耳鳴、難聴、下肢の浮腫がみられる。

(その2)原告シヅ子

Ⅰ、

イ、嗄声、咳、痰、喉頭痛

ロ、鼻汁、鼻血、眼脂

ハ、亜砒まけ

ニ、下痢、腹痛

ホ、脱毛、頭痛

ヘ、手の爪の生え際の逆むけと化膿

Ⅱ、

1、本件鉱山を退職した頃から、嗅覚低下、手足のしびれが出現し、昭和二〇

年頃には針仕事が困難となり、昭和三一年頃にはスリッパを脱いでいるか

否かさえ目で見ないとわからなくなった。

2、昭和一八年頃から歯が折れて欠けはじめ、次いで抜けるようになり、また、

目まいや立ちくらみが頻繁に起った。

3、腋毛は昭和二七年頃には全部脱落した。

4、昭和三六年頃肝臓が腫れているとの診断を受け、通院治療を受けた。

5、昭和三七年頃から、耳鳴、視力低下、動悸などがみられるようになった。

(その3)原告平川

Ⅰ、

イ、喉頭痛、咳、痰

ロ、鼻汁、鼻づまり、鼻出血、嗅覚低下、眼脂

ハ、亜砒まけ

ニ、下痢、便秘、胸やけ、食欲不振

ホ、眉毛脱毛、歯牙脱落

ヘ、息切れ、動悸、風邪をひきやすい

Ⅱ、

1、昭和四五、六年頃から、手足のしびれ、厥冷・蒼白化、呼吸困難、頭重感、

難聴が見られるようになり、物忘れもひどくなってきた。

2、同じ頃、胃潰瘍に罹患し、肝障害をきたし、肋間神経痛や貧血もあって、

入、通院治療を受け、その後も現在まで右症状と続発性気管支炎の治療

のため通院中である。

3、昭和五〇年頃から、茶わんを落とすなどの触覚障害が出現した。

(その4)原告戸高

Ⅰ、

イ、嗄声、咳、痰、喉頭痛

ロ、鼻閉、嗅覚低下

ハ、亜砒まけ

ニ、下痢、腹痛

ホ、頭髪の脱毛

Ⅱ、

1、昭和三五年頃、手足のしびれ、冷えが若干出現し、同四三年頃には

両指趾が寒冷時蒼白となり、両手のしびれが明確となった。

2、昭和三八年頃、頭髪が全て脱毛した。

3、昭和四一年頃から歯が欠けはじめた。

4、昭和四三年頃から、軽度の難聴が出現した。

5、昭和四五年頃から、空腹感が欠如し、嗅覚が脱失した。

6、昭和四八年頃から、アルコール類の摂取ができなくなった。

7、昭和四九年頃、右頚部にリンパ腺腫瘍が形成され、五四年には

拇指大の腫瘤となった。

8、昭和五〇年頃から、物忘れしやすくなった。

9、昭和五一年頃、陰茎亀頭部に針先程の穴ができ、同五四年には浅い

びらん(箸先の大きさ)となった。

10、昭和五二年頃、動悸、左上下肢のふるえ、頭痛が出てきた。

11、最近も、胃腸炎及び気管支炎の治療で通院している。

(その5)原告新名

Ⅰ、

イ、咳、痰

ロ、鼻腔内にできもの、鼻閉、嗅覚低下

ハ、亜砒まけ

ニ、下痢

ホ、頭痛

Ⅱ、

1、昭和三四年頃、鼻腔内のはれあがった肉の切除手術を受けたが、その後

再び盛りあがり、通気状態が悪いまま今日に至っている。

2、同年頃から足の指関節、足関節(半年後)、次いで膝関節に痛みが出、

さらにその後手指の関節痛が出現してきた。手足の冷感も出てきた。

3、昭和三五年頃から胃のもたれ、食欲不振がみられるようになった。

4、昭和四〇年頃から、動悸、不整脈が出現した。

5、昭和五〇年頃から、耳鳴、難聴が出現した。

(その6)亡武夫

Ⅰ、

イ、嗄声、咳、痰、咽頭痛、喘鳴

ロ、眼脂

ハ、悪砒まけ

ニ、下痢

ホ、頭痛

ヘ、聴力低下、風邪にかかりやすい

Ⅱ、

1、昭和三八年頃から、肘等の関節痛。疲労しやすくなる。咳がひどくなり、

家族も夜は同室できず、血痰をみるようになる。

2、昭和四一年頃、保健所検診で胸部陰影を指摘される。

3、昭和四九年四月からじん肺及び気管支炎で入院治療、同五〇年五月

肺癌と診断される。

表12

原告等の年齢、家族構成、生活状況

(その1)原告勝義、同シヅ子夫婦

Ⅰ、

生年月日、家族構成

明治三七年八月二六日生(原告勝義)、同四五年三月一日生(原告シヅ子)。

昭和六年に結婚。

長男(昭和七年生)、二男(昭和一〇年生、昭和二八年死亡)、三男、長女、

二女(いずれも本件鉱山退職後出生)。

長男は、慢性砒素中毒症に罹患していると診断されている。

昭和一八年頃からは原告勝義の母が同居。

Ⅱ、

本件鉱山退職後の生活状況

本件鉱山退職後吉本鉱山に勤務し、原告勝義は採鉱、同シヅ子は選鉱に従事したが、

症状増悪のため昭和一六年に退職した。

そして原告勝義の実家(東郷町)に戻って、農作業、林業(炭焼)に従事したが、これも

困難となり、昭和一八年頃日向市に出て来てからは、両名とも軽易な日雇労働(土木

作業、農家の手伝い)に従事した。

昭和一九年頃、原告勝義は就労困難となり、同シヅ子の日雇労働のみにより家計維持。

経済的に困窮し、昭和一九年に、原告勝義は入院治療を勧められていたが、これを

断念し、薬草等を服用するだけであった。

昭和三一年になると原告シヅ子も就労困難となり、三月から生活保護を受給するように

なり、今日に至っている。

昭和三一年七月から三六年九月まで、原告シヅ子は肺結核で入院した。

昭和三六年、一二月以降は、原告シヅ子が寝たきりの同勝義の世話をしてきている。

三男、長女、二女は、経済的理由により高校進学を断念した。

(その2)原告平川

Ⅰ、

大正五年一二月二〇日生。

昭和二二年結婚。

長男(昭和二四年生)、長女(同二七年生)。

Ⅱ、

本件鉱山閉山後昭和三八年まで塊所で植林作業に従事した後、同年から同四〇年

までは男鈴鉱山でトロッコ押し作業に従事したが、作業と自転車通勤に耐えられなくなって

退職した。

その後、昭和四四年まで再び植林作業に従事した後、同四五年に日向市に転居し、

同五〇年までオガライト工場のボイラー係として働いたが、収入少かった。

昭和五〇年以降は就労不能となっており、収入は厚生年金、労災給付、子供からの

仕送りだけである。

この間、昭和三七年には、東米良村から生活補助を受けたこともある。

長男、長女は、経済的理由により高校進学を断念した。

(その3)原告戸高

Ⅰ、

大正五年九日一五日生。

昭和二一年結婚。尚、妻も本件鉱山で選鉱夫をし、慢性砒素中毒症(慢性気管支炎等)

に罹患していると診断されている。

長男(昭和二三年生)、長女(同二五年生)、二男(同三五年生)。

Ⅱ、

本件鉱山閉山後昭和四〇年まで近隣の植林作業に従事し、次いで同四二年まで

東谷建設で本件鉱山焼滓からベニガラ等を採取する作業に従事した。

その後昭和五〇年三月頃まで出稼に出て建築工事に従事していたが、症状との関係で

数か月毎に断続的就労した。そして、不就労の間は雇用保険を受給していた(この間、

同四四年に日向市に転居した。)。

その後暫く出稼者をあっせんする仕事をしたが、症状悪化により肉体労働が困難となり、

昭和五〇年七月より一年間生活保護を受け、以後、就労し得ない状態で現在に至り、

厚生年金や労災保険を受給し、これと妻の稼働収入で生計を維持している。

(その4)原告新名

Ⅰ、

昭和二年一月一一日生。

昭和三〇年結婚(再婚)。

前妻との長男(昭和二四年生)、同二男(同二八年生)、現妻との長男(同三二年生)。

Ⅱ、

本件鉱山閉山後、実家のある延岡市に戻り、昭和四〇年まで農漁業に従事する傍ら

土木建築の日雇労働にも出ていた。

その後、職業安定所の紹介で宮崎県公衆衛生センターに狂犬病予防技術員として

勤務し、今日に至っている。

(その5)亡武夫、原告ツナ子夫婦

Ⅰ、

大正三年四月二八日生(亡武夫)、同六年七月一六日生(原告ツナ子)。

昭和一四年に結婚。

長男(昭和一六年生)、二男(同一八年生)、三男(同二五年生)、長女(同二一年生、

同二五年死亡)、二女(同二七年生)。

昭和三八年からは寝たきりの伯母土田リエと同居(昭和四四年養子縁組)。

Ⅱ、

本件鉱山閉山により一時失業後、パルプ材の伐採作業、東谷建設で本件鉱山の焼滓

採取作業に各二、三年従事した。

昭和三八年に東臼杵郡南郷村神門に転居し、以来、昭和四九年の入院まで、農業の

手伝い、土木補助作業等の軽労働に従事した。

神門に移って後は、仕事を休むことも多くなり、ツナ子も農業の手伝い等して働いたが、

経済的に困窮、三子とも義務教育終了後就職した。

昭和四九年頃には軽労働も困難、同五〇年には全く就労不能となった。

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